第35話 令嬢たちの証言
圧倒的な権力と暴力の前に、広間に引き出された被害者たちは誰一人として声を上げることができなかった。
ガタガタと震える令嬢。床に額を擦りつけて怯える侍女。そして、絶望に瞳を濁らせた平民の教師たち。
彼らは皆、金冠教育会という巨大なシステムの歯車にすり潰され、一度は完全に心を折られた者たちだ。今ここで反抗すれば、自分だけでなく家族までどんな目に遭うか分からないという恐怖が、彼女たちの唇を堅く縫い合わせていた。
「ほら、ご覧なさい」
オクタヴィア公爵夫人が、扇で口元を覆いながら満足げに嗤った。
「誰一人、不満など持っていないではありませんか。彼女たちは自らの至らなさを恥じ、金冠教育会の処置に心から感謝しているのです。これこそが、身の程を知るという美しい秩序。……あなたの安い同情など、誰も求めていないのですよ、作法教師殿」
取り巻きの貴族たちが、オクタヴィアの言葉に追従して嘲笑の声を上げる。
だが、リディア・グレイスは銀縁眼鏡の奥で、一切の動揺を見せずに静かに被害者たちを見つめていた。
(……ええ。かつてのわたくしであれば、ここで『声を出さなければ救えない』と彼女たちを切り捨てていたかもしれません)
リディアは、地方の侯爵家で初めて裁きを下した日のことを思い出していた。
あの時は、証言を引き出すために厳しく被害者を問い詰めた。言葉にしなければ真実は証明できないと信じていたからだ。
しかし、この長い巡察の旅で、不当な契約で縛られた令嬢や、首輪を嵌められた獣人の子供たちの涙を見てきた。声を上げることすら許されない、絶対的な暴力の重さを知ったのだ。
「恐怖で奪われた声を、無理に絞り出させるのはただの暴力です。……ですが、出せない声ならば、掬い上げればいい」
リディアは静かに一歩踏み出し、凛とした声で広間に告げた。
「授業を続けます。……セレスティナ、ミロ。声を出せない彼女たちの代わりに、地下で見た『真実の記録』を読み上げなさい」
「はい、先生!」
ミロが犬の耳をピンと立てて、広間の中央に歩み出た。
彼は地下記録室で完璧に記憶した、膨大な書類の配置と内容を、自らの言葉で紡ぎ始めた。
「東の棚、三段目! 王都近郊の侍女たちの記録! 雇用契約に違反して給金を奪われ、食事を減らされた上で、無理やり責任を押し付けられて解雇された名前が、五十七人分もありました!」
「それから、南の棚の奥! 自由民証を不当に偽造だと言いがかりをつけられて、違法な奴隷取引に回された獣人たちの名前と、売却先のリスト!」
ミロの記憶に基づく具体的な被害の告発に、怯えていた侍女や獣人たちがハッと顔を上げた。
セレスティナもまた、ドレスの隠しポケットから地下で書き写した羊皮紙の束を取り出し、扇のように広げて見せた。
「続いて、わたくしが読み上げますわ! 婚約市場の価格表に基づく、令嬢たちの不当な評価記録! 家のために利用価値がないと判断され、偽造された同意書によって修道院へ送られた少女たちの名前。さらに……」
セレスティナは一旦言葉を切り、オクタヴィア公爵夫人を真っ直ぐに睨み据えた。
「さらに、周囲の令嬢を煽動させ、悪役として仕立て上げた上で婚約破棄を誘発させる『破滅計画書』! ……かつて加害者として裁かれたこのわたくし、セレスティナ・ヴァルモントも、初めからあなた方の計画の駒に過ぎなかったという証拠ですわ!」
セレスティナの力強い告発が広間に響き渡る。
「あ……」
「私と、同じ……」
代弁された真実の数々を聞き、床に崩れ落ちていた被害者たちの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
自分だけが悪いのではなかった。自分だけが理不尽な目に遭っていたのではなかったのだと。
「……私の契約書は、無理やり書き換えられたものです!」
一人の令嬢が、震える足で立ち上がり、叫んだ。
それを皮切りに、塞がれていた声が次々と堰を切ったように溢れ出す。
「私、毒なんて盛ってない! 教会の薬草だと言われて、飲まされただけなのに!」
「自由民証を取り上げられて、地下に閉じ込められたんだ!」
「家格が足りないからと、舞踏会の紹介順から外されました……!」
一人、また一人と、被害者たちは涙を流しながらも、自らの言葉で罪を告発し始めた。
それはもはや、恐怖に支配された沈黙の群れではない。自らの尊厳を取り戻し、不正に立ち向かおうとする民の力強い声だった。
「……これが、彼女たちの声です。彼女たちが泣いた理由です」
リディアは広間に響く告発の声を受け止め、オクタヴィア公爵夫人を見据えた。
「オクタヴィア公爵夫人。彼女たちの証言と、地下に隠されていた記録。これらが揃った以上、あなた方の罪は明白です」
広間の空気は完全に逆転した。
周囲の貴族たちも、次々と暴かれる具体的な不正の事実に動揺し、ざわめきを隠せずにいる。
しかし、玉座のような特別席に座るオクタヴィアは、焦るどころか、どこまでも冷ややかな笑みを崩さなかった。
「……素晴らしいお遊戯ですこと」
オクタヴィアがパチン、と扇を閉じると、広間の空気が再び氷のように冷たくなった。
「ですが、それはただの感情論ですわ。そこの獣人の記憶? 助手の女が持ち出した紙切れの束? そんなものが、神聖なる法廷で証拠として通るとお思いで?」
オクタヴィアは立ち上がり、リディアを見下ろして傲慢に言い放った。
「証言などという曖昧なものは、力を持たぬ弱者の泣き言に過ぎない。記録こそが真実なのです。そして、公式な記録の『原本』は、すべて我が金冠教育会の厳重な管理下にある。あなた方の持ち出した落書きなど、法的には何の意味も持ちませんわ」
被害者たちの勇気を、権力の論理で再び無に帰そうとする言葉。
だが、オクタヴィアの反撃はそれだけでは終わらなかった。
「だいたい、あなたは何様のつもりでわたくしを裁こうとしているのかしら? 王命監査と口走りましたが……」
オクタヴィアの瞳の奥で、毒蛇のような悪意が冷たく光った。
「本物の第二王女エレオノーラ殿下は、重い病に伏せり、王宮の奥から一歩も出てはおられない。これは、王宮から公式に発表されている絶対の『記録(真実)』です」
彼女は広間の全員に聞こえるように、はっきりと宣告した。
「王族の御名を騙り、偽造の紋章を掲げて善良な教育機関を脅迫する大悪党。……作法教師リディア・グレイス。あなたこそが、国家反逆の罪人ではありませんか」
オクタヴィアの言葉によって、王命監査の権威そのものが、正面から完全に否定されたのだった。




