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第3話 授業は終わりです

「問六。客人より贈られた茶葉を振る舞う際の、正しい言上を」


「『いただいたご厚意を、皆様と共に味わう誉れに感謝いたします』。……完璧な回答でしょう?」


三日後の茶会室。

侯爵令嬢イザベラは、自信に満ちた笑みを浮かべて胸を張った。

取り巻きの令嬢たちは感嘆の溜息を漏らし、上座の侯爵夫人は満足げに扇を揺らしている。


「ええ、筆記問題の模範解答としては完璧です」


王宮作法教師リディア・グレイスは、手元の評価簿に視線を落としたまま、淡々と告げた。

イザベラは得意げに鼻を鳴らす。この三日間、彼女は寝る間も惜しんで王宮作法教本を丸暗記したのだ。この地味な女教師を見返すために。


「では、実践の評価に移ります」


リディアが合図をすると、控えていた侍女が新しい紅茶を運んできた。

三日前に火傷を負わされたあの侍女ではなく、別の若いメイドだ。極度の緊張からか、メイドの手は微かに震えていた。

カチャリ、と。

ティーカップをテーブルに置く際、ソーサーとカップがぶつかり、わずかに小さな音を立ててしまった。


「っ……! この愚図が! 王宮の査定の場で何という失態を!」


イザベラが烈火の如く怒鳴りつけ、メイドは悲鳴を上げてその場に土下座した。

イザベラがさらに罵声を浴びせようと手を振り上げた瞬間――。


「そこまでです」


リディアの冷たく、透き通るような声が部屋に響いた。


「イザベラ様。あなたは先ほど、『皆様と共に味わう誉れに感謝する』と答えました。しかし現実は、わずかな音を立てただけの使用人を、客人の前で大声で罵倒した」


「なっ……これは我が家の躾よ! こんな無能な――」


「王宮作法において、主人の器は使用人への態度で測られます。暗記した言葉と行動が伴っていない以上、あなたの礼法判断は『不合格』です」


イザベラの顔から血の気が引いた。

不合格。その言葉は、王宮への推薦状が白紙になることを意味する。


「ふざけるな!」


それまで黙って見ていた侯爵夫人が、ついに激高して立ち上がった。


「たかが雇われの作法教師ごときが、我が侯爵家に泥を塗る気か! お前たち、この無礼な女をつまみ出せ!」


夫人の怒声に呼応し、扉の外に控えていた私兵たちが部屋へなだれ込もうとした。

だが、彼らが踏み込むより早く、荷物持ちの青年――近衛騎士レオンハルトが、無言で扉の前に立ち塞がった。

剣は抜いていない。ただそこに立ち、冷たい視線を向けただけで、私兵たちは得体の知れない威圧感に気圧され、一歩も動けなくなった。


「暴力で解決なさるおつもりですか。それこそ、貴族の恥辱ですが」


リディアは動じず、手元の鞄から数枚の書類をテーブルに並べた。


「わたくしは三日前、この家が三つの礼を破ったと申し上げました」


リディアは銀縁眼鏡を押し上げ、灰紫の瞳で夫人を射抜いた。


「一つ。使用人への私刑。被害に遭った侍女から、日常的な暴力と脅迫に関する正確な証言を得ました。

二つ。教育記録の虚偽。こちらは、厨房の隠し扉から回収した『罰金帳簿』の原本です」


侯爵夫人の顔が、怒りの赤から、恐怖の蒼白へと変わっていく。

窓際のミロが、犬の耳を立てて鼻を鳴らした。


「奥様、嫌な汗の匂いがしてますよ。隠し事が見つかった時の、大人の匂いです」


「そして三つ目。寄付金による王宮推薦状の不正取得」


リディアが最後の一枚――豪奢な王宮推薦状を提示する。


「この推薦状の署名と、罰金帳簿の筆跡は完全に一致しました。貴女は使用人から搾取した金で王宮の役人を買収し、偽の評価を金で買っていた。これは単なる礼法違反ではありません。国家に対する詐欺行為です」


「ち、違う! それは何かの間違いよ! お前のような身分卑しき平民の言葉など、誰が信じるというの!」


わめき散らす夫人を前に、リディアは静かにため息をついた。

そして、常に持ち歩いている地味な裁縫箱を開け、その底から『あるもの』を取り出した。


「ええ。平民の作法教師の言葉なら、王宮は動かないかもしれません」


リディアの手に握られていたのは、純白の封蝋章。

王族のみが持つことを許された、絶対的な権威の象徴。


「ですが、王命ならばどうでしょう」


その紋章を見た瞬間、侯爵夫人とイザベラは雷に打たれたように硬直した。

膝の震えが止まらず、そのまま崩れ落ちるように床へ這いつくばる。


「跪きなさい」


リディアの声は、先ほどまでの教師のものではない。

王国を統べる者の血を引く、絶対者の響きを持っていた。


「授業は終わりです。白百合巡察令により、この屋敷を王命監査下に置きます」


部屋の中は、恐ろしいほどの静寂に包まれた。


「侯爵夫人。貴女には当主を通じ、貴族院から正式な処分が下されるでしょう。

イザベラ令嬢。貴女の王太子妃候補への推薦は取り消し、当面の社交権を停止します。王宮の監督下で、一から己を見つめ直しなさい」


イザベラは声も出せず、ただポロポロと涙をこぼしていた。

そんな彼女の前に、セレスティナが静かに歩み寄る。


「……泣いて済む時間は、終わりましたわ」


セレスティナの声は冷たかったが、どこか深い憐れみを含んでいた。


「わたくしも昔、あなたと同じように人を傷つけ、裁かれました。ですから分かります。あなたはまだ、変われる場所にいる。……ただし、許しを強要してはいけません。変われるかどうかは、これからのあなた次第ですわ」


リディアは震えるメイドに向き直り、本来の年齢に見合った、少しだけ柔らかい声で告げた。


「あなたたちの未払い給金は、すべて侯爵家の資産から返還させます。もう、怯えなくていいのですよ」


メイドは両手で顔を覆い、今度は恐怖ではなく、安堵の涙を流して深く頭を下げた。



◇ ◇ ◇



監査の事後処理を終え、屋敷を後にした馬車の中。

ガタゴトと揺れる車内で、向かいに座るレオンハルトが、誰にも聞こえないような小声で呟いた。


「……ご無事で何よりです、殿下」


その言葉に、リディア――第二王女エレオノーラは、銀縁眼鏡をわずかに外し、ふっと息を吐いた。

厳しい作法教師の仮面の下から、一人の王女としての微かな安堵の表情が覗く。


「ええ。あなたの背後への備えがあったからです、レオンハルト」



◇ ◇ ◇



同じ頃。

遥か遠く、王都の中心にそびえる豪奢な邸宅の一室。


最高級の香炉から甘い煙が立ち上る中、豪奢なドレスに身を包んだ女が、届けられた一通の報告書を読んで優雅に笑い声を上げた。


「まあ。あの地方の侯爵家が、王命監査で潰されたというの?」


女の指先が、報告書に書かれた『作法教師』という文字をなぞる。


「白百合が動いたのね。……作法教師、ね。ずいぶんと可愛らしい変装だこと」


女の赤い唇が、弧を描く。

盤上の駒が一つ消えたことなど、まるで気にする素振りも見せずに。

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