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第29話 王都からの召還命令

「作法教師リディア・グレイス! 王家の権威を騙った重罪容疑により、直ちに王宮へ帰還し査問を受けよ!」


王宮近衛兵の紋章を掲げた使者の怒声が、冷え切った迎賓館の広間に響き渡った。

「本物の第二王女は病床にある」という偽王女の爆弾発言によって疑心暗鬼に陥っていた地方貴族たちは、王都からの決定的な『罪人』の烙印にざわめきを大きくする。


「ほら、ご覧なさい! わたくしの言った通りでしょう!」


派手なドレスを着た偽王女が、狂喜に満ちた声で扇を振り立てた。


「王女の代理であるわたくしに逆らい、あろうことか白百合の巡察章まで偽造するなんて! 大悪党め、さっさと捕縛されて王都の地下牢へ行きなさい!」


使者とともに現れた兵士たちが、リディアを捕らえようと荒々しい足取りで迫る。

セレスティナが青ざめた顔で「先生……っ」と声を漏らし、レオンハルトが無言で剣の柄に手をかけた。

だが、リディアはそれを片手で静かに制し、兵士たちの前に毅然と立ちはだかった。


「……命令書を拝見します」


リディアは一切の動揺を見せず、使者の手から乱暴に突き出された羊皮紙を静かに受け取った。

銀縁眼鏡の奥の灰紫の瞳が、文面に走るインクの跡を冷徹に分析していく。


(……署名は間違いなく、兄上――王太子殿下のものです。しかし)


リディアは書面の端々に目を走らせ、微かな違和感の正体を突き止めた。


「この命令書の形式、王宮の正規の手続きからわずかに外れていますね」

「な、何を馬鹿なことを! それは王太子殿下直々の――」

「ええ。ですが、日付の綴りが略式になっている。加えて、公印の押される位置が規定より二分(約六ミリ)ほど上にずれている。これは王宮の書記局であれば絶対に犯さない初歩的なミスです」


リディアの指摘に、使者の男の顔がピクリと引きつった。

王族の間だけで共有されている暗号がある。緊急時や、自らの意思に反して書類を作らされた場合、兄である王太子は必ず日付の末尾に特殊な『払い』を入れる。

その『払い』が、この署名には欠落していた。


(……兄上は味方です。ですが、表立って動けない状況に追い込まれている。王宮の奥深くまで、金冠教育会の息がかかった者たちが入り込み、兄上を監視しているのですね)


金冠教育会は、リディアの地方での活動を封じるため、ついに王宮中枢の権力さえも乗っ取りにかかったのだ。

もしこの使者たちに大人しく同行し、王宮の査問委員会の手に渡れば、彼女の正体は完全に『偽造』され、闇から闇へ葬り去られるだろう。


「……残念ですが、この不備だらけの命令書には従えません」


リディアは羊皮紙を静かに突き返し、冷たい声で宣告した。


「王命に逆らう気か、大罪人め! 構わん、力尽くで引っ立てろ!」


使者が声を荒らげ、兵士たちが一斉に武器を構えて飛びかかろうとした、その瞬間。


「彼女に触れることは許さん」


レオンハルトが、リディアを庇うように進み出た。

彼は剣を鞘に収めたままであったが、その全身から放たれる圧倒的な死線のプレッシャーは、先ほどの偽王女の私兵たちに向けたものとは次元が違った。

一歩でも踏み出せば命はない。そう本能で理解させられた使者と兵士たちは、恐怖に顔を引きつらせて完全に足を止めた。


「に、逃げる気か……! 王都の追手から逃げ切れるとでも思っているのか!」


偽王女がヒステリックに喚くが、リディアは冷ややかな視線を彼女に向けた。


「逃げるのではありません」


リディアは背筋を伸ばし、王国を統べる者の血を引く気高さを纏って静かに言い放った。


「彼らが用意した籠(罠)には乗りません。……わたくしたちは、自らの足で王都へ向かいます」


その決断は、最も巨大な敵の懐へ、自ら飛び込むことを意味していた。

セレスティナが息を呑み、レオンハルトが微かに目を細める。


「殿下。王都はすでに敵の陣地です。ここから先は、四方八方から刃が飛んでくることになります」

「ええ。ですが、彼らが王宮の権威すらも歪めるというのなら、わたくしが直接王都へ赴き、彼らの罪を法と証拠で縛るしかありません」


リディアはレオンハルトを見上げ、静かに問いかけた。


「……わたくしの背後を、お願いできますか?」

「御意のままに」


レオンハルトは短く、しかし絶対の忠誠を込めて頷いた。


圧倒的な気迫に押され、使者たちも偽王女も、迎賓館を立ち去ろうとする一行を止めることができなかった。

だが、彼らが扉を抜けようとしたその時。


「……先生」


最後尾を歩いていた獣人の少年ミロが、すれ違いざまにピタリと足を止め、使者の男の足元に置かれた荷物袋をじっと見つめた。

ミロの犬の耳が、警戒するようにピンと立っている。


「どうしました、ミロ」

「この使者の人、おかしいです」


ミロは鼻をひくつかせ、使者の男を真っ直ぐに指差した。


「王宮から来たって言ってるのに……この人の荷物の底から、王宮の匂いとは違う、すごく嫌な匂いがします。前に裏市場で嗅いだのと同じ……金冠教育会の『通行証』の匂いが隠されてます」


「なっ……!?」


使者の男の顔から、一気に血の気が引いた。


「き、貴様、何をデタラメを……!」

「デタラメじゃない! アンタ、王宮の使いのふりをしてるけど、本当は金冠の犬だろ!」


ミロの鋭い指摘が、広間に致命的な沈黙をもたらした。

王宮からの公式な召還命令すらも、金冠教育会の操り人形が運んできた罠だった。


「……なるほど。王都の腐敗は、わたくしが想像していたよりもずっと深刻なようですね」


リディアは銀縁眼鏡の奥で、灰紫の瞳を剣呑に光らせた。

王都へ向かう道は、もはや巡察ではない。国の中枢を蝕む巨大な悪との、全面対決への行軍だった。

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