第27話 偽王女の舞踏会
「王女殿下の名代であるこのわたくしに、そのようにぬるい紅茶を出すとは何事ですの!」
王都へと続く街道の要衝にある、地方都市の迎賓館。
華やかな舞踏会の会場に、けたたましい女の怒声が響き渡った。
けばけばしいほどに金糸をあしらった派手なドレスを着た女が、足元に這いつくばる給仕のメイドを扇で打ち据えようとしている。
周囲を取り囲む地方貴族たちは、その女の横暴な振る舞いを止めるどころか、機嫌を取るように薄気味悪い愛想笑いを浮かべていた。
「も、申し訳ございません……! ですが、規定通りの温度で……」
「口答えする気!? 平民の分際で、王族の舌に合う温度が分かるとでも言うの!」
女がメイドの顔に熱い紅茶を浴びせようとカップを振り上げた、その時だった。
「お待ちください」
広間のざわめきを切り裂くように、静かで、しかし決して無視することのできない冷たい声が響いた。
黒いドレスに銀縁眼鏡の作法教師、リディア・グレイスが、足音ひとつ立てずに女の前へと進み出た。
背後には、近衛騎士レオンハルトが無言のまま圧倒的な威圧感を放って控え、セレスティナとミロも続いている。
「なんですか、あなたは。この高貴なわたくしに意見しようなどと」
女はリディアの地味な身なりを鼻で笑い、傲慢に見下した。
リディアは表情を変えず、ただ倒れ込んでいるメイドを庇うように立ち塞がる。
王都へ向かう道中、一行はこの大きな地方都市で「王女の代理による特別査察が行われている」という噂を耳にしていた。
金冠教育会が、身分を隠して巡察を続けるリディアの信用を先回りして落とすため、意図的に用意した罠だ。
「先生。あの女、香水の匂いがキツすぎて鼻が曲がりそうです。王宮の匂いなんて欠片もしない、ただの安物の匂いですよ」
ミロが犬の耳を不快そうにパタパタと動かしながら、リディアの背後で囁いた。
セレスティナもまた、扇で口元を隠し、冷ややかな視線を女へ向けていた。
(……呆れましたわ。王族としての気品も、歩く際の足運びの基礎すらできていない。あのような者が王女の代理だなんて、悪い冗談です)
セレスティナの心の声に同意するかのように、リディアは真っ直ぐに偽王女を見据えた。
「わたくしは王宮より派遣されました作法教師、リディア・グレイスです。……そちらのメイドが淹れた紅茶の温度は、王宮式茶会規定が推奨する『香りを最も引き立てる適温』です。決してぬるいわけではありません」
「はっ? 王宮から来た作法教師ですって?」
偽王女は一瞬だけ驚いたように目を丸くしたが、すぐにせせら笑った。
「これは傑作ね! たかが雇われの教師ごときが、このわたくしに作法を説くつもり? いいこと、わたくしは第二王女エレオノーラ殿下より直々に権限を委譲された、特別査察官よ。わたくしの言葉は、すなわち王女殿下の言葉そのものなのですわ!」
周囲の貴族たちが、「おお、王女殿下の……」「逆らっては身の破滅だ」と怯えたようにひれ伏す。
だが、本物の第二王女であるリディアは、微塵も動じなかった。
「王女殿下の言葉そのもの、ですか。では、お伺いします」
リディアは銀縁眼鏡を中指で押し上げ、冷酷な灰紫の瞳で偽王女を射抜いた。
「王宮給仕規定、第二十項。公の場において、給仕の者に直接手を下す行為は、自らの統治能力の欠如を示す『最大の恥辱』とされています。王女殿下は、そのような下品な振る舞いを推奨しておいでなのですか?」
「なっ……!?」
正論の刃を突きつけられ、偽王女の顔がみるみるうちに赤く染まる。
しかし、彼女も金冠教育会から差し向けられた手先。ただ引き下がるわけにはいかない。
「身の程知らずめ! 相手が誰だか分かって言っているの!?」
偽王女は扇を乱暴に振り回し、リディアを声高に嘲笑した。
「先生。王族の礼を、あなた程度が語れるの? 平民の分際で教本を暗記しただけの小娘が、高貴なる者の真の作法を理解できるはずがないでしょう!」
「真の作法、ですか」
リディアの声が、一段と冷たさを増す。
彼女は自分の正体を明かさず、あくまで『作法教師』という立場のまま、相手の無知を論理で詰める道を選んだ。
「では、あなたが身に纏っているそのドレスについてお教えしましょう。その過剰な金糸の刺繍は、夜会において主賓よりも目立つことを避けるという『謙譲の美徳』を完全に無視しています」
「……っ!」
「さらに、先ほどからあなたがメイドに向かって振り上げている右手。王族は、決して感情に任せて腕を肩より上に上げることはありません。それは威圧ではなく、単なる『粗野な威嚇』に過ぎないからです」
リディアは一歩、また一歩と偽王女との距離を詰め、その圧倒的な存在感で相手を後ずさりさせた。
「あなたは王女の代理を名乗りながら、王族が最も重んじるべき『民の前で責任を背負うための礼儀』を欠片も持ち合わせていない。あなたのような無作法な者に、王女殿下の名代が務まるとは到底思えません」
広間の空気が完全に凍りついた。
周囲の貴族たちも、ただの作法教師であるはずのリディアから放たれる、本物の王族だけが持つ絶対的な威厳に気圧され、息をするのすら忘れている。
「き、貴様……っ! よくもこのわたくしをコケにしてくれたわね!」
偽王女は恐怖と屈辱に顔を歪ませながら、ドレスの胸元に手を突っ込んだ。
「ならば、この証拠を見せてやるわ! これこそが、わたくしが王女殿下から全権を任された証よ!」
偽王女が狂ったような笑みを浮かべながら高く掲げたもの。
それを見た瞬間、レオンハルトの瞳が鋭く細められ、セレスティナがハッと息を呑んだ。
彼女の手に握られていたのは、純白の封蝋で作られた一つの紋章。
それは、リディアの裁縫箱の底に隠されているはずの『白百合の巡察章』に、不気味なほど酷似した偽物の紋章だった。




