第21話 点数で売られる娘たち
「背筋の角度が三度足りません。これでは『従順の美徳』の項目で減点です」
無機質な評価官の声が響くたび、広間に集められた令嬢たちの顔からさっと血の気が引いていく。
誰かが扇を落とすような些細な失敗をするだけで、周囲の少女たちは同情するどころか、自分より点数の低い者ができたことに安堵の息を漏らしていた。
ここは王都近郊に広大な領地を持つ、ヴァルデン伯爵家が主催する『令嬢評価会』の会場。
王都の社交界へデビューを控えた娘たちが集められ、厳格な作法の審査を受けるための場である。しかし、そこにあるのは華やかな未来への希望ではなく、ただひたすらに点数を引かれることへの恐怖だけだった。
「ごきげんよう、皆様。本日から特別作法教師として赴任いたしました、リディア・グレイスと申します」
黒いドレスに銀縁眼鏡という地味な装いのリディアが広間に進み出ると、令嬢たちの間に微かな動揺が走った。
だが、その視線の多くは「この教師の採点基準はどれほど厳しいのか」という打算と恐怖に満ちている。
(……見事なまでに、心が殺されていますね)
リディアは灰紫の瞳を静かに細め、扇を胸元に当てて一列に並ぶ令嬢たちを見渡した。
王太子からの密書で『狩られる側』に反転したことを知ったリディア一行は、あえて王都のさらに近く、金冠教育会の影響力が色濃く表れているこの伯爵家へ、作法教師として潜入を果たしていた。
堂々と敵の懐に飛び込む。それこそが、身分を隠した王女の最大の武器だった。
「では、歩型の実技審査を再開します。次の方、前へ」
リディアが手元の評価簿にペンを走らせるふりをしながら指示を出すと、一人の小柄な令嬢が進み出た。
しかし、極度の緊張からか、彼女の足元はもつれ、ドレスの裾を踏んで床に膝をついてしまった。
「ああっ……!」
「また失敗ですの? これで彼女の総合点は、修道院送り確実の『赤点』ですわね」
「仕方ありませんわ。家のために役に立たない娘など、不要な荷物と同じですもの」
倒れ込んだ令嬢を助け起こす者は誰もいない。
それどころか、周囲の令嬢たちは冷たい目で彼女を見下し、自分たちの点数が相対的に上がったことを喜ぶように嗤い合っていた。
「……」
リディアの背後に控えていたセレスティナが、扇を握る手を小刻みに震わせた。
かつて高慢な悪役令嬢として振る舞い、他者を見下していた彼女だからこそ、この場の異常さが痛いほどよく分かった。
「……先生」
セレスティナは、リディアの耳元で極めて小さな声で囁いた。
「かつてのわたくしも、他人の失敗を嗤う愚か者でした。ですが、彼女たちは違います。嗤うことで『自分はまだ安全な側にいる』と思い込もうと必死なのです。ここは社交場などではありません。点数という鎖で繋がれた、家畜の檻ですわ」
「ええ。その通りです、セレスティナ」
リディアは倒れ込んだ令嬢の元へ静かに歩み寄ると、その手を引いて立たせた。
「姿勢を崩した際、咄嗟に両手で床を突くのは、ドレスを汚さないための正しい防御姿勢です。怪我はありませんね?」
「え……あ、はい……」
「よろしい。少し休んで、呼吸を整えなさい。実技は何度でもやり直せます」
リディアの思いがけない配慮に、その令嬢はポロポロと涙をこぼしながら深く頭を下げ、壁際の椅子へと退いていった。
ほんの少しの温情。だが、点数至上主義のこの異常な空間では、その小さな言葉の救いだけでも、令嬢の絶望を繋ぎ止める確かな希望となった。
そのやり取りを部屋の隅で見ていた獣人の少年ミロが、鼻をひくつかせてレオンハルトを見上げた。
「……レオンさん。この部屋、すごく息苦しい匂いがします」
「香水の匂いのことか?」
荷物持ちとして待機している近衛騎士レオンハルトが、周囲への警戒を解かずに低く応じる。
「違います。みんな、自分を高く売るために必死で、隣の子が失敗するとホッとする……そんな、すり減った心の匂いです。前の鉱山町にいた奴隷の子供たちと、同じ匂いがします」
ミロの言葉に、レオンハルトは無言で剣の柄に指を添えた。
豪華なドレスを着ていようが、彼女たちの実態は金冠教育会という組織によって点数化され、市場で売買される商品に過ぎない。
価値が低いと見なされれば、実の親によって容赦なく修道院へ放り込まれる。それがこの王都近郊の『常識』となっていた。
「さて、実技はこれくらいにしましょう」
リディアはパンッと手を叩き、広間に張り詰めていた空気を一度断ち切った。
「本日の授業は終了です。皆様、自室へ戻って教本の復習をしておきなさい」
令嬢たちが安堵の溜息を漏らし、三々五々に散っていく中、リディアたちは客室として割り当てられた部屋へと戻った。
「……先生。どうやらあの『評価簿』は、想像以上に恐ろしいシステムのようです」
部屋に入るなり、セレスティナが青ざめた顔で口を開いた。
彼女は先ほど、広間の片隅に置かれていた管理官のデスクを密かに確認していた。
「令嬢たちはただ作法を学んでいるのではありません。点数が低ければ婚約を破棄され、高ければ高位貴族への『貢ぎ物』として家の道具にされる。完璧に点数で管理された、人身売買の市場ですわ」
「ええ。問題は、その本物の『評価簿』がどこに保管されているか、です」
リディアは銀縁眼鏡の奥で、静かに思考を巡らせる。
違法な婚約斡旋や修道院送りの証拠となる大元の名簿。それを押さえなければ、金冠教育会の本体を王命監査で縛ることはできない。
その横顔を、ミロが心配そうに見上げた。
点数で値をつけられ、売り買いされる娘たち。その鎖の大元――本物の評価簿を押さえぬ限り、この地獄は終わらない。
「……必ず見つけ出します。この屋敷のどこかに隠された、その証拠を」
「先生、僕も鼻で探します!」
リディアの静かな決意と、ミロの頼もしい声。
華やかなドレスの下で進行する人身売買を断ち切る戦いは、ここからが本番だった。




