第17話 白百合への報復
「王宮からの召還命令、ですか。……レオンハルト、あなたはどう見ますか?」
王都へと続く街道の途中。行く手を阻むように現れた『近衛騎士団』を名乗る騎馬隊に対し、馬車の中からリディア・グレイスは静かに問いかけた。
御者台に座る本物の近衛騎士レオンハルトは、無言のまま冷ややかな視線を男たちへ向けた。
「剣の帯び方も、馬の装具も規定違反だ。何より、本物の近衛騎士団がそのような安物の香水を漂わせているはずがない。貴様ら、どこのゴロツキだ?」
レオンハルトが腰の剣の柄に手をかけ、圧倒的な死線を放つと、先頭の男の顔が引きつった。
彼らは本物の騎士の放つ重圧に耐えきれず、ジリジリと馬を後退させる。
「ちっ……! 覚えとけよ、作法教師! 王都の『金冠』に盾突いて、タダで済むと思うな!」
男たちは偽の命令書を投げ捨て、そそくさと馬を反して逃げ去っていった。
リディアは土に落ちた羊皮紙を一瞥し、静かに眼鏡を押し上げる。
「やはり、金冠教育会の息がかかったならず者ですか。教会の地下で嗅ぎ回っていた密偵の報告が、早くも本部に届いたようですね」
彼らの目的は、一行を本当に連行することではなく、威嚇と足止めだったのだろう。
その夜、一行が次の宿場町に到着すると、金冠教育会による本格的な『報復』が待っていた。
「も、申し訳ねえ。あんたたちには部屋を貸すなって、お偉いさんから圧力がかかってて……」
何軒かの宿を回ったが、どこも怯えた顔の主人に門前払いを食らった。
多めの銀貨を握らせて、なんとか場末の宿の粗末な屋根裏部屋を確保したが、嫌がらせはそれだけでは終わらなかった。
「……先生」
部屋に入るなり、ミロが犬の耳を伏せて、町の役場から届けられたという一枚の通達書を差し出した。
「この町じゃ、僕の『自由民証』は無効かもしれないって言われました。獣人の身分証の偽造が流行ってるから、金冠教育会の保証印がないと、町を歩いちゃダメだって……」
それは、ミロから社会的な身分を奪い、再び奴隷の立場へと引きずり下ろそうとする陰湿な攻撃だった。
さらに、窓の隙間から部屋に投げ込まれていた石には、一通の封書が結びつけられていた。
「これは……っ」
手紙を開いたセレスティナの顔面から、サッと血の気が引いた。
そこには、セレスティナがかつて高慢な悪役令嬢として侍女を打ち、下の令嬢を嘲笑っていた過去の罪状が事細かに記されていた。
『罪人が作法教師の助手など笑止千万。己の醜い過去を世間に晒されたくなければ、直ちに巡察から手を引け』という、悪意に満ちた脅迫状だった。
宿への嫌がらせ。ミロの自由民証への疑義。セレスティナの過去を暴く脅迫状。
物理的な暴力ではなく、社会的地位と精神をじわじわと削り取る、権力者特有の陰湿な妨害工作。
「殿下」
重苦しい空気の中、レオンハルトが周囲を警戒しながら低い声で進言した。
「旅の中止を進言します。これまでは地方の腐敗貴族が相手でしたが、敵は王都に根を張る巨大な組織です。情報網も権力も桁違いだ。これ以上の巡察は、あなた自身の身を危険に晒します」
護衛としての彼の言葉は、極めて正しい正論だった。
だが、リディアは銀縁眼鏡の奥で、決して揺るがない灰紫の瞳を向けた。
「ここで引き返せば、泣いている者たちは永遠に救われません。わたくしは、進みます」
リディアの声には、王女としての揺るぎない覚悟が満ちていた。
しかし、彼女は言葉を区切り、傷ついた表情のセレスティナと、不安げなミロ、そしてレオンハルトの顔を静かに見渡した。
「ですが、ここから先は、わたくしの命令だけでは進めません」
リディアは真っ直ぐな瞳で、三人に問いかけた。
「あなたたちの意思を聞きます。……ついてきますか?」
沈黙が落ちた。
やがて、セレスティナが脅迫状をギュッと握りつぶし、顔を上げた。
「わたくしは、もう過去からは逃げません。かつてのわたくしのような令嬢を生み出しているのがあの組織なら……裁かれた者でも変われるのだと、わたくし自身が証明してみせますわ」
セレスティナの瞳には、過去の罪から逃げない気高い強さが宿っていた。
ミロも犬の耳をピンと立て、力強く頷く。
「僕も行きます! 腹が減って死にそうだった僕を助けてくれた先生を、一人にするわけないじゃないですか。それに、匂いを嗅ぎ分けるのは僕の仕事です!」
二人の返答を聞き、レオンハルトは小さく息を吐き、片膝をついて首を垂れた。
「……殿下、あなたはいつも、最も危険な道を選ぶ。では私は、あなたの背後に立ちます」
三人の揺るぎない意思を確認し、リディアの口元に微かな微笑みが浮かんだ。
権力で縛るのではなく、信頼で結ばれた彼らだからこそ、この王命監査の旅を共に歩むことができる。
「頼もしい助手と騎士ですね。……では、この下品な脅迫状をどう料理するか、考えましょう」
リディアがセレスティナから脅迫状を受け取り、その封蝋に目を落とした、その時だった。
「……先生、どうかしましたか?」
セレスティナが不思議そうに首を傾げる。
リディアの灰紫の瞳が、剣呑な光を帯びて細められていた。
雑に押され、潰れたように見えた赤い封蝋。
しかし、その端にわずかに残された百合と茨の意匠。
「この紋章は……」
それは、ただの慈善団体であるはずの金冠教育会が使えるような代物ではない。
王都の社交界の頂点に君臨する上位貴族、ローゼンフェルド公爵家の紋章に、酷似していた。




