第14話 聖女候補の茶会
「泥と、安い油の匂いがしますわ。平民上がりの聖女候補なんて、本当に教会の恥さらしね」
「お祈りの作法もなっていないし、先日の礼拝でも居眠りをしていましたのよ? 信じられませんわ」
美しいステンドグラスから七色の光が降り注ぐ、教会領の大聖堂に併設された中庭。
純白の修道服に身を包んだ平民出身の少女ノエルは、貴族出身の聖女候補たちに取り囲まれ、ギュッと目を伏せて立ち尽くしていた。
ここは王国全土から聖女の素質を持つ少女たちが集められ、修練を積む神聖な場所。
だが、その実態は王都の社交界と何ら変わらない、家柄と身分がモノを言う陰湿な階級社会だった。
「ほら、お茶の作法もご存知ないのね。その焼き菓子をいただくのに、なぜそのフォークを使いますの?」
「平民は手掴みで食事をするのでしょう? 無理もありませんわ」
令嬢たちが扇の陰でクスクスと嘲笑する中、ノエルは震える手で銀のフォークを置き、ただ嵐が過ぎ去るのを待つように身を縮こまらせた。
その時だった。
「王宮式茶会規定、第四項」
澄み切った、しかし氷のように冷たい声が、令嬢たちの嘲笑をピタリと止めた。
黒いドレスに銀縁眼鏡という、華やかな茶会には不釣り合いな装いの女教師。
王宮作法教師、リディア・グレイスが、足音ひとつ立てずにノエルの隣へ歩み寄った。
その背後には、無言のまま圧倒的な威圧感を放つ近衛騎士レオンハルトが控え、令嬢たちの退路を塞ぐように立っている。
「『同席者の些細な不作法を公の場で指摘し、ことさらに貶める行為は、主催者と同席者への最大の侮辱とみなす』。……あなた方は今、自らの浅ましさをひけらかし、この神聖な茶会の品位を地に落としました」
「なっ……! あなた、新しく来た作法教師ね! 平民の分際で、高貴な我々に説教するつもり!?」
貴族令嬢の一人が顔を真っ赤にして反論しようとしたが、リディアは冷徹な灰紫の瞳で彼女を射抜いた。
「ええ。あなた方の作法が、あまりにも『平民以下』であったため、指導に入りました」
「へ、平民以下ですって……!?」
「スプーンの使い間違いは単なる知識の欠如。ですが、他者を貶めるためにわざわざ声を上げるのは、品性の欠如です。教会が求める聖女の資質に、他者を嘲笑う傲慢さが含まれているとは存じませんでした」
正論の刃で切り捨てられ、令嬢たちはぐうの音も出ない。
レオンハルトの鋭い視線に見据えられていることもあり、彼女たちは「覚えていなさい!」と捨て台詞を吐いて、逃げるようにその場から立ち去っていった。
「……あの令嬢たち、昔のわたくしと同じように、自分より弱い者を探して安心しているだけですわ」
一部始終を見ていたセレスティナが、静かに扇を閉じて呟いた。
「平民出身でありながら聖女候補に選ばれたノエル様が、目障りで怖いのでしょうね。だから、自分たちが勝てる『礼儀作法』や『匂い』といった土俵でしか攻撃できないのです」
セレスティナの正確な心理分析に、リディアは静かに頷いた。
「あ、あの……助けていただいて、ありがとうございました」
ノエルが恐る恐る頭を下げた。
彼女の純朴な顔には、深い疲労の色が滲んでいる。
「お気になさらず。わたくしは作法教師として、当然の指摘をしたまでです。……ですが、ノエル様。あなたは少し、顔色が優れないようですね」
「……はい。恥ずかしいお話なのですが……最近、お祈りの最中にどうしても頭がぼんやりしてしまって……」
ノエルは自分の修道服の裾をギュッと握りしめ、消え入りそうな声で告白した。
「わたくしは平民ですが、神聖力だけは誰よりも強いと言われて、この教会領へ呼ばれました。でも、ここに来てから、ずっと体が重くて……先日の重要な礼拝でも、途中で意識が飛んで、居眠りをしてしまったんです。皆様がわたくしを『平民臭い』『無能だ』と仰るのも、仕方がないのです……」
自責の念に駆られるノエルを見て、リディアは眼鏡の奥で微かに眉根を寄せた。
緊張や疲労からくる体調不良にしては、不自然な点が多い。
(……前の町で、金冠教育会の『令嬢評価簿』の存在を知りました。身分の低い有能な少女を潰すために、裏で手を引いている者がいるとしたら)
「ミロ」
「はい、先生!」
リディアが短く呼ぶと、少し離れた場所でクッキーを齧っていた獣人の少年ミロが、犬の耳をピンと立てて駆け寄ってきた。
「ノエル様が普段お祈りをしている礼拝堂へ案内してもらいなさい。何か、変な『匂い』が落ちていないか調べてちょうだい」
「分かりました! お腹も膨れたし、鼻の調子はバッチリです!」
ミロはノエルを促し、大聖堂の奥にある候補生専用の礼拝堂へと向かった。
◇ ◇ ◇
ステンドグラスの光が厳かに差し込む、静寂に包まれた礼拝堂。
祭壇の前には、祈りのために使われる大きな銀の香炉が置かれていた。
ミロは礼拝堂に入るなり、クンクンと鼻を鳴らして顔をしかめた。
「うわっ……。先生、この部屋、すごく変な匂いがします」
後から入ってきたリディアとレオンハルトを振り返り、ミロは香炉の近くへ駆け寄った。
「教会って、普通はもっとスッとする神聖なお香の匂いがするはずですよね? でも、この香炉の底から……甘ったるくて、頭の奥が痺れるような、嫌な草の匂いがします」
ミロは犬の耳をパタパタと動かし、記憶の中の匂いと照らし合わせた。
「これ……ただのお香じゃないです。獣人を無理やり大人しくさせる時にも使われる、『眠り草』の匂いです」
「眠り草……強い催眠作用と、魔力や神聖力を鈍らせる効果のある毒草ですね」
リディアの声が、一段と冷たくなった。
祈りの場に、故意に毒草が仕込まれていた。ノエルの不調は、プレッシャーなどではなく、明確な『外部からの攻撃』によるものだったのだ。
「ひどい……。わたくし、お祈りのたびに、この煙を吸い込んでいたから……?」
ノエルが口元を押さえ、信じられないというように後ずさった。
レオンハルトが静かに進み出た。
「殿下。単なる令嬢同士の嫌がらせにしては、悪辣すぎます。教会の設備に細工ができるということは、内部の大人――教会の人間が関与している可能性が高い」
「ええ。あの令嬢たちは、ただ主犯に利用され、踊らされているだけかもしれません」
リディアは香炉から、燃え残った眠り草の灰をハンカチで丁寧に包み取った。
証拠の一つ目は手に入った。だが、まだ足りない。
「先生! まだあります!」
祭壇の横にある小さな控室から、ミロの声が響いた。
彼の手には、ノエルが祈りの前に飲むようにと用意されていた『清めの茶』の入ったカップが握られていた。
「このお茶からも、同じ眠り草の匂いがします。それに、少しだけ違う薬の匂いも……」
ミロの言葉に、ノエルは顔面を蒼白にさせた。
「そ、れは……教会の上位の神官様から、『神聖力を高めるための特別な薬茶』だと言われて、毎回、祈りの前に必ず飲むようにと渡されていたものです……!」
神聖なる教会の中で、平民の少女を合法的に潰すための毒牙が、すでにノエルの喉元まで迫っていた。




