表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フルートで戦うことになりました  作者: 襟須遥
獣編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/12

7 戦いの旋律


 剣は、何度も当たっている。


 それでも刃は止まり、確かな反動だけが、腕に返ってくる。


 ――やはり、斬れない。


 獣の身体は、異様なほど硬い。

 肉ではない。骨に当たっている感触が、はっきりと伝わってくる。


 斬るたびに、手首が痺れる。

 握力が、少しずつ削られていくのが分かった。


 息を吸う。

 吐く。

 だが、呼吸は整わない。


 どれくらい、こうしている?

 時間の感覚は、とうに曖昧になっていた。


 獣は疲れを見せない。

 肩を揺らし、低く唸りながら、こちらの動きを待っている。


 ――まずいな。


 判断は、まだできる。

 だが、身体が追いつかなくなり始めていた。


 次の瞬間、獣が地面を蹴った。


 巨体とは思えない速度で、一直線に距離を詰めてくる。


「くっ……!」


 身を捻り、なんとか避ける。

 だが、脚がもつれる。


 浅い。


 そう思った瞬間、衝撃が来た。


 肩口に、重い一撃。

 視界が跳ね、身体が宙に浮く。


 次の瞬間、背中が硬いものに叩きつけられた。


「……っ、ぐ……」


 肺から、強制的に息が吐き出される。

 剣を握る指が、思うように動かない。


 ――ここまで、か。


 背後の幹に体重を預けなければ、立っていられなかった。


 視界の端で、何かが動いた気がした。

 だが、焦点が合わない。


「行くぞ!」

「援護する!」


 その時、音が耳を通り抜けた。

 その意味を考えようとする間もなく、兵士たちが獣へ距離を詰める。

 瞬間、カイルは思わず身を強張らせた。


 ――危ない。やられる。


 あの間合いは近すぎる。

 一撃でも直撃すれば、隊列は崩壊するはずだった。


 だが、そうはならなかった。


 突き出された爪に、先頭の兵が盾を合わせる。

 受け止める――のではなく、わずかに角度を変え、力を横へ流した。


 爪は盾の縁を滑り、獣の体勢が崩れる。

その一瞬を逃さず、周囲の兵が一斉に踏み込んだ。


 連携が、途切れない。


 盾役はただ防いでいるのではない。

攻撃を引き受け、爪の軌道を逸らし、仲間が斬り込む隙を作っている。


 それを合図にするかのように、剣が走り、隊列が動く。

 個々の動きが良く、判断に迷いがない。


 ――集団戦を、きちんとやっている。


 数で押しているだけではない。

 それぞれが役割を理解し、噛み合っている。


 その違和感の正体に、カイルは遅れて勘付いた。


 あの子の鳴器(めいき)の演奏だ。


 ――なるほどな……。


 あの獣と渡り合えてる一因は、おそらくそれだろう。


 一度体感したから分かる。


 演奏が止まると、足音がこちらに近付いてくるのが分かった。


「……姫か、元気そうだな」


 ――意識が、ふっと戦場から離れた。


 何を話したのか、ちゃんと覚えていない。


 最後にリナが鳴器(めいき)を構えて演奏を始める。


 懐かしい感覚がする。


 身体が暖かい気配に包まれて、癒されていく感覚。

 あの日ゴブリンの接近を感じ取った、あの時の感覚。


 あの獣……、クマと言ったか。その動きが少し遅く見える。


 やがてリナの出す音が変わり、激しく心を奮い立たせてくる。


 ――そうか。


 カイルは、ずっと分かっていた。歌姫の力があれば、この獣にも対抗できるかもしれないことを。


 それでも、頼らなかった。

 ――いや、頼れなかった、のかもしれない。


 リナは、戦うための存在ではない。

 そう思い込もうとしていた。


 だが、その階段を登ってきたのは、リナの方だった。


 守られる側でいることを選ばず、自分の意思で、戦場へ踏み込んできた。


 胸の奥に、重いものが残る。

 彼女を巻き込んでしまったという自覚。

 それでも――。


 感謝している自分が、確かにいた。


「……姫、ありがとう」


 カイルは剣を地につき、立ち上がった。


* * *


 ふと目を開けると、そこには大きな背中があった。


 そのはずなのに、次の瞬間にはやけに遠くの方に見える。


 もう、リナの周りには誰もいない。


 音がもうみんなに届く前に、自然に溶けてしまっている。


 そう感じて、リナは唇から管を離す。


 視界に入るのは、断片だけだ。


 土が跳ねる。

 盾が擦れ合う音。

 誰かの息が、近くで荒くなる。


 クマの全身は、ほとんど見えない。

 見えるのは、振り下ろされる前脚の影と、たまに空を切る爪痕だけ。


 次の瞬間には、もう場所が変わっている。


 ――速い。


 頭では理解できても、目が追いつかない。


 剣が走った、気がした。

 金属が、何か硬いものに弾かれた音がした。


 低く唸る声が、森を震わせる。


 びくりと、指が震えそうになる。

 それでも、音を止めない。


 誰かが踏み込む気配。

 誰かが、引く。


 入れ替わる。

 ぶつかる。

 離れる。


 連続しているはずなのに、リナには一つ一つが切り離された場面のように見えた。


 血の色が、ちらりと視界を横切る。


 ――当たった?


 思った瞬間には、もう見えない。

 代わりに、クマが大きく体を揺らし、怒りをぶつけるように吼えた。


 その声に、胸の奥がざわつく。


 効いているのか。

 それとも、逆なのか。


 判断できない。


 ただ、空気が変わったのは分かった。


 さっきより、重い。

 さっきより、張り詰めている。


 誰かが、短く叫んだ。

 意味は聞き取れない。


 それでも、次の瞬間、動きが変わった。


 ――左脚に一撃を加えられたのか。


 そう気づいた時には、もう何度目かの衝撃音が重なっていた。


 クマが、片脚を引きずるように下がる。


 バランスを崩す。


 倒れた――。

 

 巨体は完全に地に伏し、土を巻き上げたまま動かなくなる。


 一拍。


 誰かが、息をついたのが分かった。

 張り詰めていた空気が、わずかに緩む。


 剣先が、ほんの少し下がる。

 盾の位置が、戻る。


 ――終わった?


 そう思った瞬間だった。


 倒れたはずの脚が、ぴくりと動く。

 土を掴むように、爪が沈む。


 リナの喉が、ひくりと鳴った。


 まだ、生きてる。


「危ない!」


 叫びは、届いたのか分からない。


 地面を叩き割るような音。

 クマが、叩きつけるように上体を起こす。


 油断していた兵士たちの動きが、半拍遅れる。


 その隙を縫うように、獣の頭が振れた。


 赤い目が、一直線にこちらを向く。


 ――見られた。


 次の瞬間、クマの咆哮が森を震わせる。


 矛先が、完全にこちらへ向いたのが分かった。


 次の瞬間、大地が揺れた。


 視界いっぱいに、黒い影が迫る。

 空気が押し潰されるような圧。


 ――来る。


 そう思った時には、もう遅かった。


 地面を砕く音。

 突風のような衝撃が、こちらへ一直線に突っ込んでくる。


 身体が、強く引かれた。


「――っ!」


 声を出す暇もない。


 腕が回り、背中と胸を一気に抱え込まれる。

 視界が反転し、空と地面が入れ替わった。


 風が、耳を裂く。


 自分の足が、地面を離れているのが分かった。


 次の瞬間、重たい衝撃。

 すぐ横を、巨大な影が叩き抜けていく。


 土と木片が弾け、熱と振動が遅れて伝わってくる。


 ――今のが、クマ。


 近くで見ると、さらに恐怖心が込み上げる。


 鼓動が、異様なほど近い。


 速い。

 自分のものじゃない。


 息が、耳元で荒く揺れる。


「……大丈夫か、姫」


 安心させようとする声。


 短く、切れた言葉。

 カイルが、助けてくれたのだ。


 視界の端で、別の兵士が地面に膝をついているのが見えた。


 盾が、地面に転がっている。

 肩から先が、だらりと下がったまま動かない。


 別の方向では、誰かが倒れている。

 脚を庇うように、二人がかりで後ろへ下がっている。


 血の色が、土に滲む。


 ――みんな、無事じゃない。


 当たり前のことが、今になって胸に落ちてくる。


 クマは、まだ立っている。


 左脚を少し引きずる様子はあるが、それでも巨体を揺らし、こちらに狙いを定めるように頭を動かしている。


「……吹けるか?」


 そう聞かれて、両手で握り絞めていたフルートを確認する。

 折れたり壊れたりはしてなさそうだ。


 うんうん、と頷く。

 声は出せなかった。

 

 ゆっくりとカイルはリナをおろす。


 周囲の兵士たちが、距離を取っているのが分かる。


 もう、隊列は組めない。

 誰も、前に出られない。


 ――だから。


 だから、ここにはカイルしかいない。


 リナは深く息を吐く。

 目を閉じて集中する。


 必要なのは、戦うための勇敢なメロディ。


 そして吹き始める。


 クマと対峙したら、基本的に命はない。

 それがリナの中での常識だ。


 そんな中、リナとクマの間に一人立っているのがカイルだ。

 戦いに無知なリナでも、さすがに分かる。


 ここが、勝負の分かれ道だ。

 

 リナは目を閉じたまま、息を流し続ける。


 すぐに、地面が揺れ始めた。


 重く、一直線な振動。

 間隔が、急速に詰まっていく。


 ――突進。


 ……怖い。

 それでも、音は止めない。


 次の瞬間、正面で空気が弾けた。


 叫び声のような咆哮が轟く。


 カイルの怒声が響く。


 空気を切る音が、何回も響く。


「姫ーっ!離れるんだ!」


 カイルの声が聞こえて、音を断ち切る。


 目を開けた瞬間、世界が一気に流れ込んできた。


 すぐ前で、クマが狂ったように暴れている。


 頭を振り回し、

 前脚を滅茶苦茶に振り下ろす。


 空を掻く爪が、木を裂き、土を抉る。


 赤かった目の周りは、濡れて光っている。

 焦点が合わず、ただ怒りだけで動いているのが分かった。


 咆哮が、もはや威嚇ではない。

 痛みと混乱を吐き出す、獣の叫びだ。


 突進はない。

 代わりに、暴風のような動きが、周囲を薙ぎ払う。 


 一歩、二歩と後ろへと後退りする。


 カイルは、静かに構えながら、その場でクマの動きをじっと眺めている。


「……手を出そうとした報いだ」


 カイルは静かにそう言った。


 前脚が大きく振り上げられた、その瞬間。


 低く鋭い踏み込み音。

 カイルが、前に飛び込む。


 振り下ろされる前脚の下へ。

 刃が、左脚の付け根へ深く沈む。


 クマの体が前のめりに崩れた。

 だが、すぐには止まらない。


 大きく痙攣するように、脚が一度、二度と動く。

 爪が土を掻き、濁った声が漏れた。


 ――まだか。


 動きが、途切れた。

 掻いていた土が、静かに落ちる。


 巨体は横たわったまま、もう揺れない。


 重たい沈黙。


 カイルが剣を引き抜く音で、リナはようやく息を吐いた。


 ――終わった。


 荒れ狂っていた気配が嘘のように消えて、森は再び静まり返っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ