表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フルートで戦うことになりました  作者: 襟須遥
獣編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/12

6 覚悟


 ――いったい、どこにいるんだ?


 あの岩山から、獣を遠ざけようとしたはずだ。

 森の入り口とは反対側へ、できるだけ離れた場所へ。


 時折、獣の臭いがしたと思うと、すぐに消える。

 それでも足は止めず、更に森の奥へと向かう。


 地面に残る爪痕。

 踏み荒らされた下草。

 わずかに乱れた空気。


 ――近くにいる。


 感覚は、通常通りだ。


 あの日感じた、異常に冴え渡るような感覚は、結局一度きりだった。

 リナがゴブリンに襲われた、あの時だけ。


 あれから何度も、彼女の演奏を聞いた。

 それでも、同じ感覚は戻らない。


 今もそうだ。

 音は届いているはずなのに、あの時の感覚だけが、ない。


「くそっ……」


 守らなければならない存在なのに、

 都合のいい時だけ、その力を求めてしまう。


 そんな自分に、嫌悪が込み上げた。


 ともかく、リナも負傷した兵士たちも、あそこにいれば安全だ。

 あとは――囮になったという遠征隊長が、無事でさえあれば。


 ――ゴァァァァァッ。


 低く、腹の底を震わせる咆哮が、森を裂いた。


 反射的に顔を上げる。

 音の方向は、左――近い。


 考えるより先に、身体が動いていた。

 枝を払い、足元を蹴り、音のする方へと駆ける。


 次の瞬間、視界が開けた。


 倒れ伏した人影。

 そのすぐ向こうから、獣が突進してくる。


「……隊長!」


 獣の影が、地面を覆う。


 剣に手を伸ばしかけ――止めた。


 斬るより早い。

 防ぐより確実だ。


 カイルは剣を鞘に収めると、迷いなく身を低くした。


 倒れている遠征隊長の身体に腕を回し、そのまま抱え上げる。


 重い。


 だが、躊躇はない。


 次の瞬間、地面を強く蹴った。


 横へ。


 獣の牙が、空を噛む。


 風圧が背を叩き、土と枯葉が舞い上がる。


 転がるように着地し、すぐさま距離を取る。


 腕の中の重みを、しっかりと抱えたまま。


 ――間に合った。


 振り返った先にいる獣は、大きかった。

 人の丈で二人分はあるだろう。

 鋭い爪に鋭い牙を持ち、カイルの方をギロリと睨んでくる。


 

「さぁて、そこの獣。第二ラウンドといこうか」


* * *


「……それでな、あいつが爪で俺の腹をグサってやりやがったのよ」


 兵士の話を聞いた瞬間、リナは思わず自分の腹を押さえた。

 想像しただけで、ぞわりと背筋が冷える。


「よく……助かりましたね」


「はは、まあな」


 笑ってはいるが、その声は少しだけ強張っている。

 冗談めかしていても、恐怖がなかったわけじゃないのだと、分かった。


「ああ、そこで我らがローディス隊長がよ、あいつの左足を攻撃したら――」


「おい、それ以上はやめとけ」


 低い声が遮った。

 さっきまで話していたおしゃべり兵士が、ちらりとリナを見る。


「……嬢ちゃん、怖がらせちまったな。腹はかすっただけだ」


「い、いえ……」


 無理に笑って返しながら、リナは胸の内で言葉を繰り返した。


 ――左足。


 何気ない一言。

 でも、耳に残る。


「嬢ちゃんは、歌姫の力は知っていたのかい?」


「えっと……それが、私、よく分からなくて……」


 本当のことだった。

 できることと、できないことの境目が、まだ曖昧だ。


「そっか。もし自在に使えりゃ、ローディス隊長の助けにもなるんだがなぁ……」


 その言葉に、胸がきゅっと縮んだ。


 ――カイルさん。

 ――今、戦っているんだ。


 リナは、ぎゅっとフルートを握る。


「あの……!」


 自分でも驚くほど、はっきりした声が出た。


「もし……ご迷惑でなければ、少し、試させてもらえませんか」


 兵士たちは顔を見合わせ、やがて一人が肩をすくめた。


「試すって?」

「私の演奏で……何か変わるか、確かめたいんです」


 沈黙。

 それから、賛同する声が徐々に上がった。


「もちろん、力になるぞ!」

「嬢ちゃんの力、気になるしな」


 こうして、簡単な模擬戦が始まった。


 兵士たちが木剣を交える横で、リナは少し離れた場所に立ち、フルートを構える。


 色々なメロディを演奏する。

 色々な想いを音に込める。

 励ますように、背中を押すように。


 戦いが終わると、兵士たちは額の汗を拭いながら、感覚を言葉にした。


「……なんだろうな。さっきよりお前の力が強くなってないか?」

「相手の動きが、ちょっと遅く見えた?」


 最初は、気のせいだと思っていた。

 でも、何度か繰り返すうちに、同じ言葉が重なっていく。


 演奏している最中よりも、

 終わった後、しばらくしてから。


 ――じわじわと。


 足に溜まっていた重さが、いつの間にか抜けている。

 胸の奥が、静かに高鳴った。


「ありがとうございました……!」


「いや、こっちこそだ」


 リナは、深く息を吸い直す。


 ――これなら。


 直接戦えなくても。

 剣を振れなくても。


「……行きましょう」


 声は、震えなかった。

 

 リナと兵士達は、岩山の外に出る。


 今度は、二人を探すための音だ。


 リナは集中する。


 テンポは中くらい。

 高低をつけ、流れるように。

 そして、森に溶けるようなメロディを。


 そして演奏を始める。


 吹き始めてすぐ、兵士の一人が顔を上げた。


「……聞こえる?」

「どっちだ?」


 兵士は目を閉じ、耳に意識を集中させる。


「あっちだ!」


 一人の兵士が断言する。


 走り出す。


 リナは兵士達の体力についていけず、途中で息が切れる。


「乗るか?」


 あのおしゃべり兵士だ。


「はぁっ……はぁっ……」


 兵士の背に掴まる。


「お願い……しますっ」


「了解!」


 兵士の背中で、リナは呼吸を整える。

 ガタガタという揺れが、自分の恐怖からなのか、ただの振動なのかは分からない。

 自然とフルートの入った矢筒を強く抱きしめる。

 ここから先は、演奏の力を頼ることになる。


 そして、揺れの中で、リナの耳にも届いた。

 一瞬の静寂。そして……。


 ――ゴァァ……。


 低く、身体に響く咆哮。


 確かに、そこにいる。


 走り回っているのは、――カイルだ。


 逃げているように、見えた。


 木々の間を縫うように、獣の突進をかわし続けている。

 真正面から斬り結んでいるわけじゃない。

 距離を取り、角度を変え、何かを待っているようにも見える。


「隊長は?」

「ローディス隊長?」


 兵士たちの声が、重なる。


 その一言一言が、胸の奥に落ちてくる。


「なんだ、あの獣は……。見たことない」


 誰かが、そう呟いた。


 リナは、獣の方へ視線を向ける。


 大きな身体。

 盛り上がった肩。

 分厚い前脚と、鈍く光る爪。


 絵本で見た挿絵とか、図鑑やテレビで見た光景と重なる。


「……え?」


 喉から声が漏れた。


 直接見たことはない。

 でも、この色、この輪郭、この顔。


「……クマ、さん?」


 リナが動揺した、その瞬間だった。


「――行くぞ!」

「援護する!」


 誰かが叫び、兵士たちが一斉に動いた。


 え――。


 止める暇もなかった。


 剣を抜き、盾を構え、木々の間から飛び出していく。

 クマの注意が、はっきりと兵士たちへ向くのが分かった。


「ま、待って……!」


 声は、届かない。


 獣が吼え、地面を蹴る。

 太い幹に体当たりし、木が軋み、葉が舞った。


 兵士たちが散開する。

 だが、相手は大きすぎる。


 ――このままじゃ。


 リナの胸が、強く脈打った。


 考えるより先に、身体が動く。


 フルートを構える。

 息を吸う。


 今、必要なのは――戦うための音。


 テンポは、速く。

 力強く、高低差のあるメロディを。

 フレーズも、盛り上がるものにする。

 疾走感を大事にしながら……。


 そして吹き始める。


 地を蹴る足を思い浮かべる。

 剣を振るう腕が、迷わないように。

 恐怖の感情すらも、力にできるように。


 最前に出た兵士の踏み込みが、わずかに深くなった。

 クマの爪をかわし、盾が間に合う。


「今の……!」

「いけるぞ!」


 声が上がる。


 カイルはというと、大木を背に座り込んでいる。


 演奏を停止させると、リナは駆け寄る。


「……姫か、元気そうだな」


「カイルさん、お怪我してますよね?」


 腕や足には服が破れた跡があり、少し血も滲んでいるように見える。

 陽気に見せているが、声は明らかに弱っていた。


 リナがそう尋ねると、カイルは肩をすくめた。


「正直、あんまり余裕はないな。けど、まだ動ける」


 その視線が、少し先――獣の方へ向けられる。


「自分はあんな獣は初めて見た」


「……私も、実物は初めてです」


 その言い回しに、カイルは引っかかったのだろう。

 わずかに眉を上げる。


「実物?」


 リナは、はっとしてから頷いた。


「あ、えっと……話には、聞いたことがあって」


 言葉を選びながら、続ける。


「あれは――クマです」


「クマ?」


「はい」


 テレビで聞いたような知識しかないけど……。

 リナは、必死に記憶をたぐる。


「骨がとにかく頑丈で、筋肉も分厚いんです。だから、人の力では中々傷はつけられないんです」


 確か、警察官が持つ拳銃ですら、効かないと聞いたことがある気がする。

 そんな曖昧な記憶が、頭をよぎる。


「……うん、そうだな。確かに、中々剣が通らなかった」


 カイルは納得したように息を吐いた。


 リナは、もう一つ、大事なことを思い出す。


「あ、それと……」


 視線を上げ、はっきりと言う。


「ローディス隊長が、クマの左足に傷をつけているようです」


 あの、おしゃべりの兵士が言っていた。


「左足……」


 カイルの表情が、わずかに引き締まった。


「同じ場所に傷を重ねたら、もしかしたら……」


 断言はできない。


「……なるほどな」


 カイルは小さく笑った。


「カイルさん、聞いてください。……私、少しカイルさんのお役に立てるかもしれませんよ!」


 リナはフルートを唇に当てたまま、息を整える。


 カイルに、もう一度立ち上がってもらうために。


 目を閉じ、集中する。


 テンポは、ゆっくり。

 音量は、優しく。

 フレーズは、緩やかに広がるものを。

 明るく、希望を感じさせるようなメロディを。


 そして、演奏を始める。


 暖かい気配が、静かに満ちていく。


 ――そうか。


 この、包み込むような感覚。

 これが、自分がずっと感じていた違和感の正体なのだと、リナは理解する。


 しばらくして、彼女は音を変えた。


 テンポを、少しずつ速く。

 音量を、確かなものへ。

 最初の旋律を土台に、さらに情熱的に展開させる。


 ゆっくりだったメロディは、次第に力強さを帯び、暖かい気配は、更に周囲に染み渡っていく。


「……姫、ありがとう」


 その言葉に込められたものが、

 感謝なのか、信頼なのか、それとも覚悟なのか。


 リナには、まだ分からなかった。


 ただ――フルートを握る指に、もう迷いはなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ