11 街
その日は雨だった。
火は満足に起こせないし、洗濯もできない。
時間だけが重たく積もっていく。
「はぁぁぁ……」
思ったより深い声が出た。
「そんなため息をついて、どうしたんだ?」
振り返ると、そこには微笑みながら佇む男の姿。
「カイルさんこそ、そんなニヤニヤしてどうしたんですか?」
「姫のことが心配で様子を見に来ただけだ。ニヤニヤしてない」
雨音がテントの屋根を叩く。
その一定のリズムが、やけに静寂を強調していた。
「そういえば、食料を備蓄してある倉庫があるじゃないですか」
「ああ」
「残りがかなり少なくなってきてますけど、あれって誰かが持ってきてくれるんですか?」
「……たしか、何日かに一回、補給部隊が持ってきてくれるんじゃなかったか?」
フードのついたコートを羽織ると、二人は食料倉庫へ向かう。
ここの拠点は、岩壁にそって作られており、そこをくり抜いた簡素な倉庫に、食料が積まれている。
隅のスペースにちょこんと収まる程度の。
「たしかに、これはおかしい。……ちょっと隊長の所に行こう」
「いってらっしゃい」
そう言って立ち去ろうと足を動かす。
「……姫も来るんだ」
「えー……」
嫌な予感がプンプンする。
「気づいたのは姫だ。説明も一緒にしたほうが、何か聞かれた時に早い」
当然のように言われ、言葉に詰まる。
「……足手まといになりませんか?」
そう言いつつも、本心では置いていかれるほうが嫌だったのかもしれない。
カイルは小さく息を吐いた。
「ならない。少なくとも、自分はそう思わないから大丈夫だ」
不意に胸の奥が熱くなる。
褒められたわけでもないのに、認められた気がした。
「……わかりました」
二人は雨の中を歩き出す。
地面はぬかるみ、靴が沈むたびに鈍い音を立てる。
テントの列を抜けると、中央に少しだけ大きな天幕が見えてきた。
そこが隊長――アマギの指揮所だ。
入口の布をめくると、湿った空気とは違う、張り詰めた空気が流れ出る。
「カイルか」
中から低い声がする。
地図が広げられた机。
簡素だが整えられた空間。
外の雑然さとは対照的に、ここだけは秩序が保たれている。
「どうした」
アマギの視線が二人に向く。
その目は静かだが、鋭い。
カイルが一歩前に出る。
「食料の残りが僅かになっていて、補給部隊は来ていないのかなと思いまして」
「……そうか」
短い言葉。
しかし空気がわずかに冷える。
リナは喉の奥がひりつくのを感じながら言葉を挟む。
「あ、あの……。補給部隊は、大体何日おきに来るんですか?」
視線が自分に向いた瞬間、背筋が伸びる。
アマギは記憶を辿るように目を細める。
「前回は一昨日のはずだな」
その一言で、テントの中の空気が確実に変わった。
一昨日。
ならば、もう到着していていい。
雨音が遠くで鳴り続けている。
だが今は、それがやけに遠く感じた。
「遅れている可能性は?」
カイルが問う。
「遅れるなら、そう連絡があるはずだ」
即答だった。
何かトラブルがあったのかもしれない。
沈黙が落ちる。
アマギはゆっくりと地図に視線を落とした。
「補給部隊は街道を経由する。途中で街を通るな」
街。
その言葉に、リナの胸が小さく波立つ。
「様子を見に行く部隊を出すか」
アマギの声は静かだった。
えっ……。
リナは思わず口を開く。
「もし街で何かあったのなら、大人数で入るのは目立ちませんか?」
言った瞬間、しまったと思う。
だがアマギは怒らなかった。
むしろ、わずかに目を細める。
「続けてみろ」
試されている。
「連絡が来ないということは、補給部隊が狙われた可能性もあるかなと思いました。そ……その場合、相手から警戒されてしまうと思いました」
話しながら恐る恐るアマギ隊長の目を見る。
「……まずは、情報を集めるのがいいと思いました……」
再び沈黙。
やがてアマギはゆっくり頷いた。
「……一理ある」
カイルが横目でこちらを見る。
その視線には、驚きと、わずかな誇らしさが混じっていた。
「では」
アマギは決断する。
「カイル。お前が行け」
そして。
「リナも同行しろ」
また?
「理由を聞いてもいいですか?」
カイルが尋ねる。
「理由?兵士が少女を連れてるなんて、普通思われないだろ?」
まぁ、確かにそうか。
退屈な一日だったはずなのに、雨はまだ降り続けている。
この拠点は街から歩いて半日ほどの所にあるようだ。
「また馬……」
「じゃあ、姫は歩いていくのか?」
リナは顔をしかめる。
「カイルさんのイジワル」
歩く馬の上なら、かなり恐怖感を克服できた気がする。
周りの景色を堪能する余裕すら生まれているのだ。
草原と丘陵しかなかったところに、所々人工物が見えてきた。
何に使ってるか分からない小屋や、何か作物が育っている畑が見えてくる。
雨はどんどんと強くなっている気がする。
身体が冷えてきて、コートを着ていても徐々に雨の水が嫌に感じてくる。
「……ひどい雨になってきたな」
「はい」
「もうすぐ街が見えてくるはずだ」
「どんな所なんですか?」
「そうだな、街の周りを川が流れていて、賑やかな所だ」
出発してから、かれこれ三時間ほど経っていただろうか。
そして段々と外壁が見えてきた。
「ん?」
何か不思議そうな声を出すカイル。
カイルの声につられて、リナも前を見る。
門が柵で閉じられている。
その奥で佇んでいる人影。
「いつもとは違うんですか?」
「だな。いつもは門は閉じてない」
雨の影響か、手前にある川は勢いが凄い。
その川を渡るための小さめの橋を進むと、カイルが手綱を引くのが分かった。
「姫、ちょっと待っててくれ」
馬が短くいななき、足を止める。
カイルは馬から降りると、橋の方へと歩いていった。
何かあったのだろうか。
リナも前を覗き込む。
橋の一部――手すりになっている木が、途中から折れている。
雨で腐ったのだろうか。
カイルはその近くで足を止めると、足元を見つめた。
そして、何かを拾い上げる。
……手袋?
濡れた革のそれを、カイルはしばらく黙って見つめていた。
やがて何も言わず、それを懐へしまう。
そのまま踵を返し、こちらへ戻ってきた。
「大丈夫ですか?」
「……いや、なんでもない」
そう答えたカイルの声は、ほんのわずかに低かった。
ふと視線を落とす。
カイルの手には、同じ柄の手袋がはめられている。
リナは胸の奥に小さな引っ掛かりを覚えた。
カイルが馬に乗り、再び動き出す。
門番は、カイル達の馬が近づいてきた事に気付くと、手でバツ印を作る。
門番は軽装ではあるが、剣と思われる物を腰に付けている。
カイルは再び馬から降りると、門に近づく。
「通りがかりの旅人だ。こんな雨だからな、早く中に入れてくれないか?……このままだと妹も風邪を引いてしまう」
門番は明らかに困った様子。
「実はな、今街の中で病気が蔓延してて……」
「病気?」
「ああ。拡大しないように、誰も出入りさせないようにと言われてるんだ……」
「……そうか、そんなことが」
このままでは街に入れない。
「ところで、そこの橋の手すりが折れているんだが、何か知ってるか?」
「い……いや、俺はちょっと分からねぇ」
声が明らかに揺れた。
リナでも分かる。
この門番は何かを知っている。
リナも馬からゆっくり降りると、カイルがどうするのか視線を送る。
しかし、カイルはそれ以上追求はしなかった。
「……しかたない。違う街に行くしかないな」
カイルはリナの方へと戻ってくる。
そして――
リナの背中を、軽く小突いた。
「……ゴホッ、ゴホッ」
リナが小さく咳をする。
門番の視線が二人の間を揺れた。
「いや、……あー」
口を開いたのは門番だ。
「街の中に入らない方がいいとは思うが、どうしてもというなら……」
そう言うと、閉じた門の脇にある扉を開けた。
「少しトイレに行ってくる」
そう言い残すと、門番は姿を消した。
「これは、通っていいんですか?」
「見て見ぬふりをしてくれるのだろう」
「……あと、急に叩かないでくださいよ」
「すまんな」
リナも馬から降りて、カイルと二人歩いて扉をくぐる。
馬は門を通り抜けたすぐ右側に小屋があり、ここに置いておくことができるようだ。
「これからどうするんですか?」
「補給部隊が来てないか、手がかりを探す」
前を見ると、石造りの建物が肩を寄せ合うように並んでいるのが目に入った。
木枠の窓や張り出した二階部分は、絵本で見た中世の街そのままだが、その全てが固く閉ざされている。
街に人の姿は無く、声すらも聞こえない。
その雰囲気のせいなのか、焦げた薬草のような異臭が鼻をつく。
初めて見るはずの異世界の街は、胸が高鳴るどころか、冷たい静けさに包まれていた。
「手がかりを探そうにも、人がいないんじゃ……」
「こっちだ」
カイルは行く先の当てでもあるかのように、どんどんと先へと歩いていく。
その歩幅に遅れないように、時折小走りになりながらもリナは付いていく。
街の広場らしい空間の中央には井戸があり、それが紐で周囲を覆われている。
その先へと進んでいくと、一つの建物にたどり着く。
看板のような物があるが、なんて書いてあるかは分からない。
「ここだ」
何が?
そんなリナが疑問に思っているうちに、カイルは扉を開ける。
鈴の音が響いたことで来訪者を伝える。
「誰だ?」
建物の奥から男の声が。
「カイル……アマギ隊長直属の特務隊長だ」
「「ええ!」」
男とリナの声が重なる。
「カイル隊長でしたか!」
「カイルさんって、隊長だったんですか!」
こうして、補給部隊と無事に合流することができた。
――だが、補給部隊がここにいるとしたら、あの橋の所の手袋は誰のものなのか。
この街に蔓延する病気とは。
この雨は、まだ止む気配を見せていなかった。




