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第十一章

「須田君?」

 朝一番で忍に向けてかけられた声は、不思議そうなものだった。

 それも当然であろう。強制的に朝練に繰り出された勇一の事情を知っていれば、練習熱心な忍が教室前で自分を待ち構えていること自体が、那美にとっては驚きに値することなのだから。

 小首を傾けて近づいてきた那美に向け、忍は何かを言いづらそうに視線をあちこちにさまよわせる。

 その様子に、何かを察したのか。那美は柔らかな表情を浮かべて先を促した。

 それにつられたように、忍は口を何度か開閉させた後、意を決して言葉を紡いだ。

「あの、先輩……」

「ん?」

「今日の放課後、お時間ありますか?」

「あるけど、どうかしたの?」

「その……相談に、乗ってほしくて……」

 最後の方はやや小声になってしまったが、忍の言葉に那美は嫌な顔を浮かべることなく頷いた。

 ほっとしたように忍が胸を撫で下ろす様子に、那美は小さく口元を綻ばせた。

「もしかして、昨日何かあった?」

「えっ!」

 ボッと顔を赤くさせた忍の様子を見れば、一目瞭然だろう。

 というよりも、昨日見えた光景を考えれば、何があったかなど考えるまでもない、というのが那美の心情だ。

 だが、ふと心を過った不安の塊は、真由美の言動の不一致差をみてしまったからであろうか。

 自分と対峙した時に見せた、傲岸不遜な態度。そして、忍のことを話す時に見せる、おとなしさとか弱さを内包した雰囲気。

 いったい、どちらが彼女の素顔なのだろうか……。

「あの、先輩?」

「あ、ごめんね。何でもない」

「そうですか?なんだか怒っているのかと思いまして」

 そんなに険しい顔をしていたのだろうか。

 少し表情を緩め、那美は苦笑に近い笑みを浮かべてみせる。

 その微笑みに、忍は安堵のためにへにゃりと、何時もとは全く違う表情を見せた。

「じゃぁ、先輩、放課後第二通路を通って、第三東屋に来てもらえませんか」

「いいわよ」

 武道場や本校舎、そして部活棟からも少しばかり遠く、人の出入りがあまりない場所と言われれば、まず真っ先にその場所があがるのは当然のことだ。

 聞かれたくはない話しや、人目を避けるための話し合いなどを行うにはうってつけの場所といえるため、そこを選んだ忍の真意はすぐに察することが出来た。

 忍の提案に対して軽い調子で答えた那美は、茶目っ気を乗せた口調で忍に意地の悪い質問を投げつける。

「で、今日の朝練、そのために休んだの?」

「あ、っと……」

 今更ながらにそのことに思い出したのだろう。忍は呆けたように口を開き、次いでバツの悪そうな色を顔に滲ませた。

「……先輩、趣味が悪いですよ、その質問」

「そうかな?」

「そうですよ」

「ま、不機嫌全開の勇一の相手は、須田君ぐらいにしか務まらないから、今頃道場に行ってるみんなは、腰が引けてるかもしれないけど」

「……確かに、そうですね」

 つい想像をしてしまい、忍は困ったように眉尻を下げた。

 昨夜からずっと那美を捕まえることだけを考え続けていたため、布団に入ってもなかなか寝付けずに朝を迎えたのだ。起き抜けに頭が下した判断は、この相談事をするためだけに、真っ先に那美の行動と放課後の時間を確保する事だけだった。

 そのため、忍の頭の中からはすっぽりと朝練のことが忘れ落ちており、指摘されるまで今日も朝練があったことを忘れていたのだ。

 加えて言うならば、昨日の告白が頭の中いっぱいに詰め込まれていたため、部活のことなどすっかり忘れきっていた忍の混乱ぶりは、よほどの事態なのだと周囲に教え込んでいるのも同然だ。

 そういえば、今朝顔を合わせた家族が、心ここにあらずの忍の態度に不可解そうな視線を向けていたのを思い出す。家に戻れば確実に何かを尋ねられるだろうが、今はそこまで深く考えることが出来ずにおり、忍は小さく溜息を吐き出してそれらを追い払った。

「須田君、大丈夫?」

「え、えぇ、はい」

 心配そうに忍の顔を見つめて問いかけてきた那美に向け、忍は慌てて肯定のために首を縦に振ると、半笑いの表情を浮かべて安心させようと心がけた。

 その様子に、那美は穏やかな微笑みを浮かべる。

「それにしても、須田君にとっては、いい事だったみたいね」

「……そう、なんでしょうか」

 那美の言葉に、忍は思わず声が詰まってしまった。

 引っかかってしまうのは、どうしても昨日見た白昼夢じみた光景のせいだろう。

 あんなことは、今までなかった。それどころか、あの『夢』は本来ならばもっと早くに思い出していなければならないことだというのに、自分はこの平穏を壊したくはないがためにそれを拒絶しようとし始めている。

 振り返った瞬間に思い知った事実は、頭を横殴りされたような衝撃を忍の身体を走り抜けさせるには十分すぎた。

 自分は、このまま平和を享受し続けることは出来ない。

 それは、自分がこの世界に生まれ落ちた時から決まっていたことなのだ。

 だと言うのに……。

 いつの間にか唇は引き結ばれ、忍は硬く拳を握りしめる。

「……先輩、僕、本当は、やらなきゃならないことがあるんです」

 苦渋に満ちた忍の呟きに、那美はきょとんと眼を見開き、まじまじと忍の顔を見つめてしまった。

 いったいどうしたのかと問いかける前に、忍から流れる空気に触れた那美は心の中で疑問を浮かべる。

 この空気は、那美はよく知っている。

 それは、最近ごく間近で感じられるようになったものと同一のものだ。

 まさか、という思いもあるが、それでも間違いようのない代物に、那美は僅かに息を飲み込む。

 あれから、那美もインターネットや図書館などでいろいろと調べた。そこから分かった事は、『彼ら』はこちらの世界では仏法守護を司っているということと、『八人』の鬼人からなる集団だということ。

「須田君……」

「っ!」

 那美の困惑が隠せぬ声に弾かれたよう、忍ははっとしたように現実に立ち戻る。

「あれ、僕……」

 自分でも思ってもいなかったのか。己の唇をついて出た言葉に、忍は数度瞬きを繰り返し、自分の中にある何かを探るような視線を宙に向けた。

「今、僕、何を……」

 途方に暮れたような、迷子のような不安を見せる忍だが、どう声をかけたものか思案する那美の様子に、慌ててそれを引っ込めた。

 間の悪い沈黙が、その場に落ちる。居心地の悪いその空気に、二人は身動ぐ事も出来ずに互いの顔を見つめていた。

 だが、それはかけられた声によって打破され、二人は同時に小さく息を吐き出した。

「おまえら、んなとこで、何やってんだ?」

「勇一」

 怪訝、よりも、呆れたような光を瞳に乗せ、勇一はゆったりとした歩調で二人へと近づいてきた。

 機嫌はどこかまだ悪そうだが、朝のざわめきにあふれた廊下や教室によってなのか。どうにかその感情を蹴散らし、勇一は疑惑ともなんともいえない顔をする那美と忍とを交互に見やる。

「おはようございます、先輩」

「あ?あぁ」

「どうだったの?朝練?」

「変わんねぇよ」

 那美の疑問に、勇一は仏頂面でそう答えた後、本来ならば別フロアーにいるはずの後輩の姿に、勇一は僅かに首を横へと傾けた。

 そんな勇一をおいて、那美は確認するための言葉を忍へと放つ。

「じゃぁ、須田君。今日の放課後、何時がいい?」

「あ、すいませんが、四時でお願いできますか」

「ん、分かった」

 その返答を耳にすると、忍は軽く頭を下げて二人の前から下がっていく。それを見送りつつ、勇一は不思議そうに那美を見つめ、何があったか説明をしろと視線に載せるが、那美はにこりと笑うだけで答えを返そうとはしない。

 むっとしながらも、那美が何も言わないのにはそれなりの理由があってのことだと分かっているため、勇一はそれ以上の詮索はやめて溜息を一つ落とすと教室へと足を踏み入れる。

 その後を追いながら、那美は心に感じている一抹の不安を振り払うように頭を緩く横に振り、忍の姿を思い出してクスリと笑みを漏らした。

 どんな表情で話してくれるのだろう。

 少しばかり意地の悪いからかいを口にしてしまうかもしれないが、かわいい後輩のためだ。協力は惜しまないし、なんとかしてその気持ちを成就させようという思いもある。

 温かな気持ちを抱きながら那美は自席に鞄を置くや、友人の一人が那美へと近づいてきた。

「ねぇ那美ー。数学の宿題やってある?」

「やったに決まってるでしょ。

 でも、ノートは貸さないからね」

「えー。んなこと言わないでよー」

 両手を合わせて那美へと拝み倒す女生徒の様子に、勇一は何時もと変わらぬ日常風景に僅かに口の端をほころばせる。

 こんな日々が続けばいい。

 それがもはや叶わぬ願いだということは、勇一自身が痛感している事実だ。

 誰にも知られぬように小さな息を吐き出した勇一だが、ふと机の中から覗いている手紙の存在に気付き、不思議に思いながらそれを開けた。

『今日の放課後、大切なお話しがあるので第三東屋にお越しください』

 差出人の名前はなく、単に事務的な内容の手紙は、ラブレターとはほど遠いものだ。

 それに……。

 紙面から流れる不穏な空気は酷くかんに障り、勇一は紙面に穴が開くのではないかというほどそれを見つめる。

「勇一?」

「……何でもねぇ」

 ぐしゃりとそれを握りつぶし、勇一は那美を安心させるように何時もと変わらぬ表情を浮かべてみせる。

 それが態とらく、そう簡単に何があったのかを知らせないのだと理解した那美は、僅かに渋面を浮かべて勇一に語りかけた。

「無茶、しないでよ」

「あ、あぁ」

 もっと突っ込んで尋ねられるかと思ったのだが、那美はその言葉だけでほかは何事もなかったかのように授業の準備を始める。

 肩すかしを食らった気分だが、幼なじみの心遣いに感謝し、勇一は握りしめている手紙に視線を落とした。

 誰だかは分からないが、字面から感じ取れた殺意の波動は、チリチリと勇一の首筋につき刺さる。

「誰だ……一体」

 呟きは、誰にも届かなかったらしいが、慌てて勇一は周辺に視線を走らせた。

 刺客、だろうとは思う。だが、こんな回りくどい手を使う神の心当たりなどないと言ってもよい。加えていうならば、本来ならば自分に絡みつくような視線を向けて、隙を伺うのが定石なのではないだろうかと勇一は思うのだが、律儀に自分を指名するとはなんともなめられたものだ。

 阿修羅に相談すべきであろうかと一瞬考えるが、相手もそれなりの手段を講じてくるのは目に見えている。阿修羅を足止めするために何をしでかすか分からないどころか、人間を完全に見下した連中が相手のために、関係のない人間を巻き込みかねない事態に発展する可能性も思慮しなければならない。

 再び小さく吐息を吐き出し、勇一はポケットに突っ込んでいるスマートフォンを無意識のうちにとりだしかける。が、すぐに阿修羅に連絡を取れないことを思い出す。

 文明の利器である携帯電話類だが、阿修羅にとってはその機器事態を操作することが苦手らしく、今だにそれを持つことはない。不便ではあるが、敵を察知することにかけては勇一よりも上だ。何かあれれば、すぐに駆けつけてくるだろう。

 軽く頭を横に振った時、始業のチャイムが鳴り響く。おのおのの机に生徒達が座りはするが、雑談に興じる者が大多数だ。

「おい勇一」

「あ?」

「今度の試合、必ず勝てよ」

「んだよ急に」

「俺、お前が勝つ方にかけてんだよ。負けたら大損だから、勝てっての」

「あのなぁ」

 気さくに話しかける友人の言葉に、勇一は渋面を浮かべてその顔を見る。

 ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべる友人、小野寺は、まだ話し足りないとばかりに口を開く。

 その様子と蕩々と語る内容を耳にしながら、勇一は呆れはてたような表情でそれらを受け流した。

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