ピッツ・バーグの酒場で情報収拾
「……神足」
発動しようとすると足元の黒猫が前足を伸ばし、ファズの脛を強く叩いた。
「安易に頼るでない!解決が必要な場所へ駆けつける力じゃぞ」
「今急いでいるんだ」
「聞け!ローズより解決を必要とする者がいれば、そちらへ跳躍するぞ」
黒猫のハチミツ色の瞳が、冷徹にファズを見つめる。
つまり、知らずに見捨てるのは不可抗力だが、知っていて見捨てたのは選択である。
これは有名なトロッコ問題と同じ構造だ。
簡単に言うと、
暴走したトロッコの先には5人の作業員がいます。
このままでは5人が死んでしまいます。
あなたが線路の分岐点にいて、レバーを引けばトロッコの進路を変えられます。
変えた先の線路にも1人の作業員がいます。
どちらも知らない人間なら、5人を選ぶ。知っている1人なら?
「……知っていて見捨てるのは、ヒーローじゃない」
「おい、新入り」
さっき助けたディガーが近くに寄ってきた。
「ジョン・スミスを気に入らないのは、俺たちだけじゃねえ。
ピッツ・バーグの酒場に着いたら水を2杯注文しな。そこにアイツらがいたら協力してくれるハズだ」
※ピッツ・バーグの街
コム・ストックの街とは別のもう一つの吹き溜まりがある。
工業地帯――通称「ピッツ・バーグ」。
そこは先史文明の巨大な廃棄物が幾重にも山をなし、錆びた鉄と焦げた重油の匂いが立ち込める。
乱立するトタン屋根と鉄骨構造の隙間に鎮座する「ジョン・スミス資源加工場」
その主であるジョン・スミスは、コム・ストックのディガーたちが命懸けで掘り出した遺物を不当な安値で買い叩いて選別し劇薬で洗浄。
抽出したレアメタルの差益で巨額の富を築き上げた悪徳工場主であった。
『上』からの情報で、キューブの身代わりにローズを誘拐したのが彼だ。
※
ジョン・スミスを追いかけてきたファズは、激しい喉の渇きを覚えていた。
焦りは禁物だ。情報もなしにジョン・スミスの根城へ飛び込めば、ローズの命まで危うくなる。
彼はピッツ・バーグの街の入口近くにある、安酒の匂いが漂う酒場の扉を押し開けた。
店内は、怪しく明滅する裸電球とスタンドライトが、乱立する丸テーブルを不均一に照らし出していた。
鉄パイプと木板で構築された退廃的な空間の中で、ジョン・スミスの暴政に諦めきった顔をした労働者やならず者たちが、仄暗い闇に紛れるようにして酒杯を交わしている。
カウンターの端に座り、ファズはバーテンダーに短く告げた。
「水をもらえるか」
「お兄さん、見ない顔だね」
「……引ったくりを追いかけて来たんだ」
「ふうん……」
グラスが置かれると同時に、隣から声がした。
「一曲いかがか?」
見れば、青紫色の髪をした、どこか人好きのする笑みを浮かべた青年がこちらを見ている。
ギターを抱えているところを見ると、流しの音楽家なのだろう。
「インストゥルメンタル(楽器のみの曲)しか、リクエストするなよ!」
と常連の声が聞こえたが、ファズは無視して注文を続ける。
「すまない、水をもう一杯もらえるか」
「工場の正面は当然、固めてるぞ」
「……あそこに、俺を助けてくれた人がいるんだ」
「工場は巨大だ。全部の入り口を固められるわけじゃない」
「助かる」
ファズは冷や水を飲み干すと、カウンターに硬貨を置き、すぐに席を立とうとした。
「待ちなよ」
「……足らなかったか?」
ファズが振り返ると、男はポケットからペンを取り出し、手元のペーパーナプキンに素早い手つきで線を走らせていた。
「釣り銭だ(ご武運を)」
差し出されたナプキンを覗き込むと、そこには工場の正面以外の入口などの見取り図が描かれていた。
「……ありがとう」
深く頷き、ファズは酒場を後にした。
残されたカウンターで、ギターを持った青紫色の髪の男がバーテンダーに話しかける。
「さて、我々も準備をしようか」




