王者の器と釣竿袋の真実
※京
淡海の大いなる湖水がたたえる波の向こう岸。
豊かな自然と歴史の影が折り重なる精神の都――霊気あふれる山懐に抱かれた古刹の奥深く、薄暗い堂内の最奥に鎮座していたのは、戦火の名残か、あるいは深き因果の表れか、一部が黒く焦げた神体――「神鏡」だった。
厳かな沈黙の中、玲がその神鏡の前に進む。
彼女が対峙した瞬間、それまで静止していた鏡の表面が水面のように波打ち、彼女の奥底にある心象風景を容赦なく映し出し始めた。
そこに浮かび上がったのは、あまりにも痛々しい過去の記憶
――父の毒殺の濡れ衣、
叔父に裏切られたこと、
すべてを失って泥水を啜りながら堺の地まで逃げ延びた、あの日の「惨めな自分」の姿だった。
静まり返った堂内に、鏡の中の自分と同じ顔の女が言う。
冷ややかな、しかし甘やかな怨嗟の声で。
『……復讐したいのでしょう?奪われたものを、すべて倍にして返してやりたい。血の雨を降らせて、あの男たちに絶望を与えたい。……そう願うのが、踏みにじられた人間の当然の理ではないのかしら?』
胸を締め付けるような黒い感情の波が押し寄せる。
玲は目を逸らすことなく、鏡の中に映る憎悪と狂気に歪んだもう一人の自分を真っ直ぐに見据えた。
揺るぎない覚悟を宿した瞳で、彼女はハッキリと言葉を紡ぐ。
「……認めます。父を殺し、私からすべてを奪った叔父を、私は心の底から憎んでいる。
私を故郷から追放したあの男を、この手で八つ裂きにしたいという想いは
……確かに、この胸の奥にある。けれど!」
言葉と共に、玲の凛とした瞳の奥から、底知れぬ復讐の感情を乗り越えた気高い「王者の輝き」が眩いばかりに発せられた。
「……けれど、それだけではない!叔父の敷く悪政によって、今この瞬間も民は飢え、国は枯れ果てている。
私が立ち上がるのは、私怨のためだけじゃない。
若津の未来を取り戻し、民の笑顔を取り戻すため。そのための力を……どうか、私に貸してください!」
その魂の叫びが響き渡った瞬間、焦げた神鏡から世界を包み込むような、神聖な眩い光が溢れ出した。
己の中にあるドス黒い執着や復讐心さえも包み隠さず認め、それを国と民への深い慈愛へと昇華させた玲の気高い「王の器」を、神鏡は認めたのだった。
鏡を無事に確保し、ついに二つの神器を揃えた一行。
緊張の糸が少し緩んだのか、ファズは深く安堵の息を吐き出し、胸を撫で下ろす。
「よし、これで二つ目。
……となれば、次はナカジマの親父さんが言っていた、敵の本丸、最後の神器がある若津城だな」
ファズの言葉を受け、玄信は静かに首を横に振る。
「……いや、その必要はない」
「えっ……?じゃあ、最後の神器はどこに……」
ファズが目を丸くする傍らで、玄信は背中に背負っていた使い古された「釣竿袋」をゆっくりと下ろした。
その異様な光景に、玲は息を呑む。
「……玲。貴女はさきほど、あの神鏡の前で自らの魂を証明してみせた。
個人的な復讐の呪縛を超え、民のために再び立つと誓った。
……ならば、俺がこれを預かっていた役目も終わりだ。
今こそ、本来の主にそれを返す」
玄信が釣竿袋の袋の紐を解くと、何重もの布が厳重に巻きつけられた一振りの得物だった。
武骨な布がラフに払われると、そこにはナカジマがかつて語っていた通りの「直剣」
――古の神気と気高い威厳を纏い、実戦で欠けた鋼の刃が、静かにその姿を現した。
「……『天叢雲剣』、ここに。
この剣に真に相応しい『主』が釣れるのを、湖畔で待っていた」
玄信は凄まじい神気を放つその直剣を両手でしっかりと捧げ持ち、玲の前でゆっくりと片膝を突いた。
忠誠を示すように頭を垂れ、低く、しかし力強い声で告げる。
「――玲姫。……いや、若津の正統なる後継者」




