第5話 膝と石畳
止まっていた、という言い方は少し違う。塞がっていた。剥けた皮が、内側から押し上げられるみたいに戻っていく。赤い肉の面が薄い膜に覆われて、その膜が色を取り戻して、数を数えるくらいの間に、元の膝になった。血の跡だけが残っていた。
俺はそれを、しゃがんだまま見ていた。ゆっくり指で擦ってみた。乾いた血がぽろぽろ落ちて、下から綺麗な皮膚が出てきた。かさぶたもない。痕もない。
「……マジか」
思わず、前の世界の言葉が出た。治癒。再生。転んでも傷が残らないのは、子どもだから治りが早いんだと思っていた。目の前で皮膚が戻るところを、ちゃんと見たのは初めてだった。この世界に来て八年、魔術というものがあるのは知っていた。村にはいないが、街には使い手がいるらしい。杖の先の石が光るのも見た。でも、俺は呪文を唱えていない。杖も持っていない。ただ転んだだけだ。
俺は立ち上がって、手のひらを見た。こっちも擦りむいていたはずだが、すでに綺麗になっていた。
その日の夜、薬師のばあさんのところに行った。ばあさんは俺の膝を覗き込んで、腕を取って、しばらく黙っていた。それから言った。
「なんもないねえ」
「でも、転んで皮がむけたんだ。それが、見てる間に塞がったんだよ」
「治ったんなら、いいじゃないか。傷も腫れもないし、薬の出しようがないね」
ばあさんは笑って、干した薬草の束を仕分ける作業に戻った。それで終わりだった。
*
それから三日、俺はこっそり検証をした。小刀で指を浅く切る。塞がる。腕をつねる。痕が消える。壁に額をぶつける。痛い。でも、たんこぶにならない。どれくらい速いのか。深さによってどう変わるのか。回数に限りはあるのか。黙々とやっていたら、四日目の朝、リタに見つかって死ぬほど怒られた。刃物を持って自分の腕を見ている八歳児は、どこの世界でも普通に事件だ。
「何があったの。何か、嫌なことでもあったの」
リタは怒鳴ったあと、俺の両手を開かせた。さっきまでの声と違っていた。
「違うって。治るか見てただけ」
「見てただけって、あんた」
指を調べる手が震えていた。俺はそれを見ないふりをして、平謝りした。検証は夜にやることにした。隠せば心配させずに済む。そのときは、そう思った。
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気づいたのは、五日目の夜だった。その日、俺は石畳の上に座っていた。前と同じ場所だ。膝がどれくらいで治るのかをもう一度確かめたくて、わざと同じように転んでみた。膝を擦る。血が出る。塞がる。よし、と思って立ち上がろうとして――
手をついた石畳に、傷があった。線だった。石の表面に、細い線が走っている。長さは指二本分くらい。幅は爪くらい。俺はそれを見た。それから、自分の膝を見た。さっきまで血が出ていた場所。擦れて皮が剥けていた範囲。同じだった。
形も、長さも、幅も、同じだった。
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心臓が変な打ち方をした。俺はもう一度、指を切った。小刀の刃を、ほんの浅く。血が出る。塞がる。そして、小刀を見た。刃に、刃こぼれが一つできていた。俺の指の切り傷と、同じ長さで。
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寝ないで考えた。壁を殴った。拳が裂ける。塞がる。壁を見る。石の面が、拳の形に砕けていた。自分の頬をつねった。爪の跡が残る。消える。
――消えかけた頬の爪の跡が、もう一度赤くなった。
つねったのが自分だったから、自分に返ってきたらしい。ただ、そこから先は何も起きなかった。二度目の痕も消えて、それきりだ。一度返った傷が、また返ってくるわけではないらしい。笑えない話だった。痛い思いが二回で済んだのを、喜ぶべきなのか。
納屋の梁に頭をぶつけた。額の傷と同じ長さの亀裂が、梁に入った。庭の木を蹴った。足の指が折れた。折れた。痛みで転げ回った。声を殺すのに全力を使った。治った。木には、折れた指と同じくらいの、小さな裂け目ができていた。俺は地面に座り込んで、その裂け目を見ていた。
夜が明けかけていた。
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分かったことを、頭の中で並べた。俺が傷を負うと、その傷は治る。そして、俺を傷つけたものが、まったく同じ傷を負う。人でも、物でも、関係なく。等しく、同じだけ、返る。
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これが、この世界での俺のスキルらしい。そう理解して、俺は空を見た。東の空が白んでいた。鍛冶場のほうから、もうダンが炉に火を入れる音がしている。で。俺は、自分の手を見た。傷ひとつない、八歳の手。これ、なんの役に立つんだ?




