第28話 止まった列
金曜日の午後、青い配送箱を載せたバイクが、俺たちの車を追い越した。箱の角に、白い線が二本。前の交差点で曲がると、セツナの声がスマホから聞こえた。
『今のバイク、火曜にも見たッス。待ち合わせの建物の、向かいにいたやつッス』
俺は後ろを見た。すぐ後ろの車。その助手席で、セツナがスマホを耳へ当てている。
俺たちが乗っているのは岡部さんの車だ。助手席にカズヤ、後ろは俺と白河さん。セツナだけは協力者の車に乗り、後方を見張っていた。
「ずっと追われてた?」
カズヤが聞く。
『一度は見えなくなったッス。でも、今日見たのは二回目ッス。岡部氏の車は、後ろの窓の下の黄色い傷で分かるんで、離れても見分けられるッス』
「次に人のいる所で止まろう。予定の場所へは行かない」
カズヤが頼んだところで、前の銀色の乗用車に赤いランプが点いた。俺たちの車も、その後ろの車も止まった。
工場の並ぶ、一方通行の二車線。俺たちは歩道沿いの左車線に並んでいた。右車線は、まだ空いている。
左には、倉庫の広い搬入口があった。そこだけガードレールがなく、人も車も入れる。敷地に白いワゴン車が止まり、奥には、車列より先の道路へ出る門が見えた。
車列の先は、黄色い作業車にふさがれていた。十五メートルほど先だ。その手前に、銀色の乗用車。
「工事か?」
カズヤが黄色い車を撮る。荷台の会社名と、右下の角のへこみ。塗装の剥げた所まで、画面に入った。
作業車の脇で、男が止まれと手を上げた。向かいの工場から、大型トラックが出てくる。箱形の荷台を載せ、空いていた車線まで斜めにふさぎ始めた。
銀色の車が右へ出た。道をふさがれる前に抜けようとしている。男が操作箱を動かすと、トラックの前輪が曲がった。乗用車をよけた鼻先が、歩道へ向く。
運転席に、人がいない。
「車を出よう。左から!」
カズヤの声が変わった。
俺は左後ろの戸を開け、ガードレールの切れ目から歩道へ降りた。白河さんも座席をこちらへ移り、同じ戸から出る。先に助手席から降りたカズヤが、彼女の手を取った。
後続車からセツナが降り、歩道を走ってくる。その車の運転手が、通報した、と声を張った。
岡部さんはエンジンを切り、空いた助手席から出てきた。戸は開けたままだ。前で、女の人が叫ぶ。
銀色の車から出た年配の人が、歩道の縁でつまずいていた。連れの人が腕を引く。その二人へ、トラックの鼻先が迫っている。
「前の車の人を手伝う」
岡部さんが言った。カズヤは、自分の右手で彼の左手首に触れる。
「先に印を。動けなくなったら、俺と場所を替えます」
印が浮くと、岡部さんが前へ走った。カズヤは白河さんを連れ、倉庫の入口へ下がる。白いワゴン車の手前だ。そこなら、道路からは離れられる。
「セツナ。前の二人を!」
俺も、車列の先へ走った。
セツナが女の人の右脇へ手を入れた。連れの人と一緒に抱え、倉庫の壁へ運ぶ。トラックの前輪が、ガードレールの切れ目へ向いた。ここを越えたら、歩道まで潰される。
俺は切れ目の端に残った柱へ、背中を寄せた。曲がった左前輪の内側に、太い鉄の腕が見える。車輪を支える、その継ぎ目。
腰を落とした。タイヤを正面から受けたら、駄目だ。
鉄の腕が、左肩へ当たる。押されて胸まで柱との間に挟まった。息が切れた。肩の骨がきしむ。
肩へ当たった幅だけ、鉄がへこんだ。
継ぎ目が曲がり、左前輪が傾く。トラックの鼻先が落ちた。バンパーが柱へ噛みつく。鉄を削りながら、車体がガードレール沿いへずれた。
俺の肩から、圧迫が抜ける。
「後ろへ引くッス!」
セツナの右手が、上着の背中をつかんだ。歩道へ引かれた直後、壊れた部品が、俺のひざのあった路面へ落ちた。
トラックが止まる。鼻先はレールに引っ掛かり、長い荷台の後端は、岡部さんの車の左前へ張り出していた。
俺は歩道へ両手をつく。助けた二人は、壁際で立っていた。そこまで見て、息を吸った。吸うたび、胸が痛む。
倉庫の入口へ、戻らないと。
車列の先で、バイクのブレーキが鳴った。青い配送箱だ。男は黄色い作業車の脇へ止め、エンジンを切った。スタンドを立てて座席をまたぎ、路面に両足を下ろす。それからヘルメットを外した。
病院の廊下にいた男だ。
「寺田氏」
セツナが言う。資料の名前と、顔がつながった。
「あんた、そっちへ戻るな」
寺田が道路を蹴った。トラックの鼻先を回り、歩道へ入ってくる。バイクには乗っていない。この人自身が、速い。
「加速ッス! 正面、外して!」
セツナが俺の右腕を引く。俺は壁側へ半歩ずれた。寺田の体も曲がる。靴底が長く地面をすった。ぶつかる直前、速度は落ちた。それでも、止まり切らない。
肩が、俺の胸の中央へ入った。
歩道へ倒れた。胸骨が潰れ、声が出ない。寺田も、横へひざをつく。
寺田が押さえたのは、ぶつけた肩じゃない。俺が傷ついたのと同じ、胸の真ん中だった。触れかけた指が痛みで浮き、短い息を何度も吐いていた。
俺の骨は戻った。痛みは同じ所に残っている。白河さんの所へ行きたいのに、立つための息が吸えなかった。
「岡部さん、動かないで!」
後ろで、カズヤが叫んだ。
岡部さんは、銀色の車から最後に出た運転手を歩道へ通していた。自分は車とガードレールの間に残っている。真上で、金具が外れた。
トラックの荷台の後ろ扉だ。車体が揺れたときに留め具が壊れ、金具一つで重い扉が下がっていた。岡部さんは車とレールの間にいて、横へ逃げられない。
倉庫の入口から、カズヤが彼を見ていた。数メートルの距離。左手首の印まで、さえぎる物はない。
カズヤが、自分の右手の印を自分の左手で覆った。
白河さんの隣に、岡部さんが現れる。代わりに車の脇へ出たカズヤは、開いていた助手席へ頭から飛び込んだ。両手を座席へつき、脚まで引き上げる。
鉄の扉が、車の屋根の端を潰し、路面へ落ちた。カズヤが同じ戸口へ頭を下げる。両手をつき、歩道へ這い出してきた。
助かった。そう思ったところで、彼の後ろの倉庫入口から、車の戸が開く音がした。
白河さんの後ろへ、男が二人降りた。一人が彼女の腕をつかみ、もう一人が岡部さんを突き飛ばす。
「離して!」
白河さんは足を踏ん張った。腕を引き、車に背を向けようとする。男が彼女を引きずった。ワゴン車までは、ほんの二歩だ。
「足元、気をつけて」
車内から、灰色の袖が伸びた。戸倉。白河さんは戸の下の縁へ足を突っ張った。戸倉の手が肩へ当たり、男と二人で押し込まれる。
カズヤが体を起こした。歩道を横切り、彼女へ右手を伸ばす。岡部さんを倒した男が、横から飛びついた。両腕を抱え込み、体をひねる。
男の肩で、白河さんが見えなくなった。岡部さんと交換した印は、もうない。彼女へ触って印を付け直そうにも、手が届かなかった。
「セツナ!」
名前を呼ぶ前から、セツナは倉庫へ走っていた。俺たちが前で止められた、ほんの数秒。白い車の戸が閉まり、内側の錠から戸倉の指が離れた。鍵の音がする。
セツナが、カズヤを押さえる男の手首を右手で取った。ひざの外へ足を入れ、体ごと倒す。カズヤが腕を抜いたときには、白い車は倉庫の敷地を走り出していた。
渋滞の道路へは戻らない。敷地の奥を抜け、車列より先にある門を曲がっていく。
セツナが入口を越えた。白い車の後ろ姿は、もう門の向こうだった。
俺は両手をつき、白河さんのいた場所へひざを進めた。立とうとすると、胸の痛みで止まってしまう。
寺田も胸を押さえ、去る車を見ていた。俺に勝つ必要なんかなかった。白河さんの所へ戻るのを、数秒遅らせればよかったのだ。
カズヤがスマホを拾う。彼女へ手を伸ばすとき、落としたものだ。右の手のひらから、血がにじんでいた。工場ですった傷が、また開いている。
岡部さんが、カズヤの肩へ手を置いた。
「ありがとう。君が先に触ってくれたから、助かった」
カズヤは顔を上げなかった。あの使い方で、岡部さんは助かった。
割れた画面を、手の中でにぎり込む。
「俺が、この道にした。後ろまで見てもらって、これならって、俺が――」
セツナが彼の正面へしゃがんだ。
「カズヤ氏。息、吐くッス」
「でも」
「自分の声、聞こえてるッスね。じゃあ、吐いて。そのあと、車の番号を言ってほしいッス」
カズヤの肩が、一度大きく動いた。セツナは、大丈夫とは言わない。俺も、言えなかった。
作業車の男が寺田を迎えに来た。男の肩を借り、寺田が助手席へ乗り込む。黄色い車は前方へ走り去った。青い配送箱のバイクだけが、路肩に残る。
遠くで、サイレンが鳴り始めた。俺のポケットでスマホが震える。白河さんの名前だった。
「白河さん?」
電話へ出た。車の走る音が聞こえた。
『先輩』
一度だけ、声がした。何かを奪い合う音がして、通話は切れた。




