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見た目チー牛、略して「ミタチー」の俺が、役に立つのか分からないチートスキルで君の明日を守る。  作者: parupuntist
第四章 奇跡の値段

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第25話 二百トン

 拳の底に、ドアの取っ手が残っていた。赤い乗用車のドアを、何枚もの鉄板へ溶接したものだ。窓は潰れ、取っ手だけが斜(なな)めに飛び出している。その赤い板のすぐ上に、手首の軸を支える金具があった。


「三田翔。最後に確認する。白河ゆきを、連れてくるか」


 二階の踊り場から、大橋が言った。


「来させない」


 俺は答えた。声まで震えていたら、嫌だと思った。震えていた。


「ならば、動けなくする。お前の損失は、回復する」


 操作器が傾いた。空(そら)が、なくなった。


 頭へ鉄が当たった。首が押され、ひざが折れる。尻(しり)が地面へ落ちた瞬間、拳の底が俺を押し倒した。背中の下は、コンクリート。まだ、下りてくる。


 胸から音がした。息を吐こうとした。吐く場所がなかった。


 赤い板が、俺の肩と胸の幅だけへこんだ。返った傷に、裏の金具が曲がる。太い軸へ食い込んだ。巨人の手首が鳴り、拳が傾いた。


 右脇から、光が差す。


「今、引くッス!」


 セツナの右手が、俺の右脇の下へ入った。上着をつかみ、腰を後ろへ落とす。靴底が地面をこすった。俺の体が、門へ向かって引きずられる。背中の布が破れた。


 拳を抜けた。空気が、のどへ飛び込んできた。


 起き上がれない。俺は右ひじで地面を押した。少しでも、彼女と同じほうへ。セツナがもう一度引く。そのすぐ後ろで、巨人の右手首が折れた。


 拳が地面に残り、ひじが逆へ曲がった。奥へ乗り出した肩まで落ちる。大橋が操作器を引いても、巨人のひざは沈んだ。踏ん張った脚の棒も、重さに負けて曲がっていく。


「こっちまで下がれ!」


 カズヤは門脇の整備通路から出ていた。すりむけた右手を、俺たちへ振っている。小松(こまつ)さんも、その向こうの門柱の外にいた。


 セツナが俺を引く。俺の右ひじは、もう地面を押せない。


 巨人の影が、俺たちから遠ざかった。廃車の山が鉄の胴を受ける。車が一台ずつ潰れた。最後に、空(から)の運転席が横倒しになった。


 門をふさいでいた鉄の足が、倒れた胴に引かれて横へずれた。まだ、かすかに動く。セツナが俺を門脇まで引き、上着から手を放した。彼女のひざも崩れる。地面へついた右手が、砂の上を滑った。


 俺はまだ、息を一度に吸えなかった。


 胃から熱いものが上がり、顔を横へ向けた。朝のパンも水も、地面に吐いた。せきをするたび、胸が痛む。つぶれた胸も腹も、もう戻っているはずなのに。なんで、まだこんなに。


「ミタチー、そのまま横向いてろ」


 カズヤが背中を支えてくれた。整備通路ですった右手から、血がにじんでいた。


「……セツナ」


「いるッス。大橋氏を見てるッス」


 彼女は俺に背を向け、二階を見張っていた。大橋の両手は、まだ操作器から離れていない。


「右足の駆動は残っている。残っているはずだ」


 男が操作器を振る。鉄の足が床をひとこすりした。セツナが、カズヤを右手で制する。


「まだ、そこを通らないでほしいッス」


 足が止まった。もう、何の音もしない。


 小松さんが鉄板の脇を抜けて戻り、事務所脇の低い四輪台車を引いてきた。荷台に木の板を渡すと、俺が寝られる長さになった。


「乗せられるか」


 小松さんがカズヤへ聞く。


「セツナ。動いたら言ってくれ」


「見てるッス」


 カズヤは俺の右肩へ腕を回した。小松さんがひざの裏を持つ。持ち上げられただけで、声が漏れた。二人の手が、途中で止まる。


「……ごめん。続けて。ゆっくり」


 治るから乱暴にしていい、とは言えなかった。小松さんがうなずき、カズヤと目を合わせてから、俺を板の上へ寝かせる。


 二階で、操作器が手すりにぶつかった。


「これが動かなければ、月末に……」


 大橋の声が、急に小さくなった。セツナは大橋から目を離さない。


「大橋氏。もう、動かさないでほしいッス」


「ドクター・オーバーキルの設計に、問題はない。荷重のかかる位置が――」


 言い切る前に、男は踊り場の奥へ下がった。二階の戸が開き、その姿を隠す。追う人は、いなかった。


 カズヤが台車(だいしゃ)を引く。小松さんが反対側を支え、門へ向かった。セツナは最後に下がり、止まった鉄の足を見続けていた。


 俺は空を見た。動かない、青い空(そら)。それだけなのに、涙が出た。


   *


 外で岡部さんが救急の人へ手を振った。小松さんは警察官に名乗り、ファイルを見せる。誰が設備を手配したのか、自分から話し始めた。


 預ける前に、カズヤが残りのページを全部撮った。スマホを持つ右手には、すった傷がある。セツナが水のボトルを差し出した。


 俺は、その水が赤くなって流れるところまでしか見ていない。あとは、名前を呼ばれるたびに返事をした。ここが現代だと分かるものを、一つずつ。


   *


 診察を終え、白河さんの待つ部屋へ着いたころには、窓が黒くなっていた。セツナも病院で、医師に左前腕の傷を確かめてもらった。巻き直された包帯を濡らさないよう、廊下で左腕を胸の前に抱いている。


 俺は部屋の長椅子へ横になった。座るより、そのほうが楽だった。白河さんは、俺の足元に荷物を置かなかった。通れる場所を空けてから、椅子(いす)を一脚だけ近づけた。


「資料、全部届きました。送った先にも、同じものがあると確かめました」


「ありがとう」


「読めなかったページは、カズヤ先輩に撮り直してもらいました。だから、今は見なくていいです」


 俺は目を閉じかけた。白河さんの手が近づいて、途中で止まった。


「どこを支えれば、楽ですか」


 なんでもない。そう返せば、心配をかけずに済む。でも、それじゃ白河さんは、どこへ手を置けばいいか分からない。


「背中は、今は触らないでほしい」


 彼女がうなずいた。


「俺の右手だけ。にぎってて、もらえる?」


 白河さんの指が、俺の右手へ触れた。爪(つめ)を立てず、引っ張らず、手のひらを合わせる。


「このくらいで?」


「うん」


 俺は初めて、息を長く吐いた。にぎられた手が痛くないことを、体が少し遅れて理解した。


「怖かった」


「はい」


「二百トンって、先に言われても、どうすればいいか分からなかった」


 白河さんは笑わなかった。俺の指を、少しだけにぎり直した。


「次は、先に教えてください。そういう所へ入ろうと思ったとき」


「止める?」


「別の方法がないか、考えます。わたしが分からなくても、誰かには聞けます」


 そうだな、と答えた。傷が治るからって、危ないことを一人で決めていいわけじゃない。


 廊下から、カズヤの声がした。


「その手も洗えよ。砂ついてる」


 セツナの右手のことだった。俺を引きずり出したとき、地面ですったらしい。


「このくらいなら、平気ッス」


「痛いかどうかを聞いてんだわ」


 返事まで、少し間があった。


「……しみるッス」


「じゃあ、ゆっくりでいい」


 水の流れる音がした。白河さんが、俺の手を離そうかと目で聞いた。俺は首を横に振った。もう少しだけ、このままがよかった。


 カズヤが部屋へ戻ったのは、俺の呼吸が落ち着いてからだった。スマホを、長椅子の脇の机へ置く。


「これだけ、見せておく」


 病院への送金の控えだった。払った人の名前は、金原総司(かねはらそうじ)。機械の部品代でも電気代でもない。次に振り込むのは、月の最後の日だ。大橋の言いかけた声を思い出す。これが動かなければ、月末に。


 俺は画面へ手を伸ばさなかった。白河さんの手を、自分からにぎったままでいた。

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