第24話 無人の運転席
工場の門は、開いていた。入ってすぐの二階建てが事務所。その前に、コンクリートの作業場が広がっている。奥の廃車の山からは、トラックの運転席だけが高く突き出していた。写真で見たとおり、窓にはガラスも、人の顔もない。
「見るのは、あとだ。先に受け取る」
事務所へ目を戻した。白河さんは別の部屋で、送る資料を待っている。ここにはいない。岡部さんの車は、門の外の駐車場。通りを渡った所で待っていた。
事務所へ向かう途中、カズヤが壁際の細い通路をのぞいた。壁に沿って、門の脇までまっすぐ抜けている。入口の横棒は腰の高さ。頭を下げれば、くぐれそうだった。
「整備用か。……こっちも出られるな」
カズヤがスマホへ短く書き込む。俺も、横棒と、その先の明るい出口を覚えた。
*
小松さんは、事務所の一階で待っていた。細い眼鏡をかけた男の人だった。椅子の背へ上着を掛けているのに、座る気配がない。
「葛西さん、本当に……」
セツナの左腕を見て、彼は口を閉じた。セツナは包帯の端を右手で押さえた。
「自分はもう、貸元氏には報告しないッス。持ち出したい物、これッスか」
「配送の控えと、準備の資料。全部の原本じゃない。うちで受け取った分を、コピーした」
小松さんが灰色のファイルを差し出した。カズヤは受け取る前に、小松さんを見た。
「あんたも出るんですよね」
「……出る。昨日のあれを、点検だと聞いていたんだ。女の子が落ちたって、帰ってきた人間が話してた。あんな物を運ばせて、点検だって」
ファイルの角が、彼の指の中で曲がった。作業服の胸元で、名前の刺繍が一か所だけほどけていた。
「一緒に出ましょう。外に車がいます」
俺が言うと、小松さんは上着を取った。カズヤも立ち、彼へ右手を見せる。
「離されたら、俺と場所を替えられます。触って、印を付けていいですか」
「戻ってきた人の力か」
「そうです。俺がいた場所へ移すんで、言ったら、そこから逃げてください」
うなずいた小松さんの左手首へ、カズヤが自分の右手で触れた。袖の下の皮膚に、薄い紙片の形が浮く。
俺はファイルの表紙と最初の数枚を撮り、白河さんへ送った。
『読めます。届いた分から渡します』
返事を確かめて、スマホをしまう。小松さんに続いて外へ出たところで、上から声がした。
「白河ゆきは、どこにいる」
二階の外階段に、ジャージ姿の男がいた。踊り場の手すりへ腹を当て、箱形の操作器を両手で持っている。
「大橋氏」
セツナの声に、男の目が動いた。
「葛西。依頼は終了したはずだ」
「小松氏と、出るッス」
「記録は外へ出せない。お前たちもだ」
男の胸の無線機が鳴った。
『白河様は、いらっしゃいますか』
貸元の声だった。
「確認できたのは三人。入口の映像にも、ほかに少女は映っていない」
『では、三田様たちに残っていただいてください。白河様をお連れいただくまで』
カズヤが門へ半歩動いた。
「俺たちと交換ってことかよ」
「彼女を連れてくれば、三人とも帰れる。ドクター・オーバーキルは、無用な損失を好まない」
大橋は真顔だった。自分のことを、そう呼んでいるらしい。セツナを見たが、彼女も名前を訂正しなかった。
「小松さんまで、残す気ですか」
「業務上の確認がある」
操作器の棒が倒れた。頭の上で、鎖が鳴る。
「門へ!」
セツナが叫んだ。吊られていた鉄板が、俺たちと門のあいだへ下りてくる。カズヤが端を抜けた。小松さんも続こうとして、上から迫る板を見上げた。足が止まる。
鉄板が、床を打った。
俺とセツナと小松さんは、内側に残された。奥で、廃車が崩れる音がした。
トラックの運転席が、上がった。
その下に、鉄骨の肩があった。潰れた車体を何台も詰めた胴。肩から垂れる二本の腕には、伸び縮みする棒がついている。先端は指のない、四角い鉄の塊だった。
平たい鉄の箱が、廃車の山から出てきた。足だ。コンクリートへ着くたび、骨組みの脚が重さを受けて鳴る。空の運転席は、体の一番上にあった。顔がないのに、俺はそこを見上げていた。
「全高十二・四メートル。乾燥重量八十一トン」
大橋の声に重なり、巨人の右腕が上がった。俺は小松さんを事務所の柱の陰へ押す。
「あれも、力なのか!」
「【設計図】ッス。向こうで見た機械を、材料から組み直せるッス」
答えたセツナが、俺の上着を右手で引いた。拳の底が、空を隠す。
「右腕の打撃力、二百トン」
「聞きたくなかった!」
俺たちは横へ飛んだ。さっきいた床へ、拳が落ちる。地面が跳ねた。砕けたコンクリートが背中を打つ。息を吸い直す前に、拳はもう上がり始めていた。ひじが折れ、肩の軸が回る。継ぎ目ごとに、違う音がした。
「三田翔の損傷は回復する。動けなくなっても、運ぶ時間は取れる」
治るから、もう一度殴れる。大橋は、そのつもりだった。
鉄板の脇から、カズヤの声がした。
「小松さん、柱から顔を出して! 俺が見える所へ!」
小松さんが柱から半歩出た。鉄板と壁の隙間から、門側に立つカズヤが見える。二人の距離は七メートルほどだ。道は板でふさがっていても、互いの姿は見えていた。
巨人が胴をひねる。柱の脇へ、拳の影が落ちた。
「こっちに来たら、そのまま外へ!」
カズヤが、自分の右手の印を自分の左手で覆った。門の前に、小松さんが現れる。代わりに柱の脇へ立ったカズヤは、もう横へ跳んでいた。
事務所沿いの整備通路。横棒の下へ頭を下げ、両手を地面につく。低いまま、門へ向かって滑り込んだ。すぐ後ろで、拳が作業場の端を割った。
「カズヤ!」
「いる! 門の横まで抜ける!」
通路の奥から返事が来た。小松さんも門の外へ下がる。カズヤの白い靴が出口を抜けた。直後、巨人の足が門前へ滑り、鉄板の脇も整備通路の出口も隠した。足を止めた俺の右腕を、セツナが引いた。
「上ッス!」
セツナは、拳がこちらへ振れる前にひざを折っていた。俺も身をかがめる。鉄の角が頭の上を抜け、事務所の柱を削った。白い粉が降る。
セツナが左腕を胸へ押さえ、息を詰めた。見えても、何度でも動けるわけじゃない。
「奥へ。あれを、門から離す」
俺は廃車の山を指した。セツナは大橋の両手を確かめ、うなずく。
「足が動いたら、言うッス」
俺たちは作業場の端を、奥へ走った。巨人の足は門の近くに残り、胴だけが俺たちを追って回る。廃車の山へ乗り出すように、右腕が落ちてきた。
セツナが俺の背中を押す。前へ転がった俺の靴のすぐ後ろへ、拳が刺さった。
手首の軸が、がくりと曲がった。腕の重さを、そこで支えている。拳の底は分厚い。でも手首のつなぎ目には、曲がった金具が見えた。
「あそこが折れたら、腕、支えられないよな」
セツナが俺を見た。
「ミタチー氏、まさか――」
「入る場所だけ、見てて。引くなら、門のほうへ」
巨人の前には、俺と、誰もいない廃車の山。カズヤたちは反対の門へ出ている。俺は奥へ一歩進み、持ち上がる拳の、手首寄りの底を見上げた。
腕を広げた。手は、震えていた。




