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見た目チー牛、略して「ミタチー」の俺が、役に立つのか分からないチートスキルで誰かの明日を守る。  作者: parupuntist
第二章 待ち合わせ

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第11話 痛む場所

 歩けます、と答えたのは俺だった。立ったところまでは、間違っていなかった。一歩目で右のひざが重くなり、二歩目で、ベッドから洗面台までの距離を見誤ったことが分かった。


「ゆっくりでいいですよ」


 看護師に言われた。ゆっくりだった。俺としては、かなり。


   *


 午前中、何度か検査を受けた。昨日の画像と、今日の画像が並べられた。医師は画面を見てから俺の腕を調べ、もう一度画面へ戻った。説明の途中で、「ふつうは」という言葉が二度出た。その続きなら、少し知っていた。ふつうは、こんなふうには治らない。


 リタも、薬師(くすし)のばあさんも、同じものを見た。見えなくなった傷を前にして、俺の痛みだけが残る。


 俺は黙っていた。最初に異世界の話をしたら、そのあとの「痛い」まで一緒に疑われそうだった。ただ、医師は俺の腕を戻すとき、こう言った。


「傷が見えないからといって、痛くないとは限りません。動いたとき、どこがつらいか教えてください」


 俺は少し遅れて、うなずいた。全部説明できなくても、痛いことまでは隠さなくてよかった。


   *


 廊下の途中に、洗面台の並んだくぼみがあった。病室を出てそこまで行くだけで、肩に力が入っていた。看護師はすぐ横にいて、俺が蛇口を扱えることを確かめてから、後ろの台へタオルを取りに向かった。俺は鏡を見た。黒縁(くろぶち)のメガネ。下がった眉(まゆ)。昨日まで自分のものではなかった頬。


 テオは、もう少し日に焼けていた。前髪はダンに切られるたび、どちらかが短くなった。そんなことまで懐かしがるとは思わなかった。メガネを外して、洗面台の右端へ置く。水は手を近づけるだけで出た。知っている仕組みなのに、一瞬だけ手が止まった。井戸の水は、もっと重かった。


 左手で水を受け、顔へ運んだ。そこで右ひざから、力が抜けた。


「あ」


 支えようとした手が、濡れた陶器を滑る。白い縁(ふち)が近づいた。額(ひたい)に、硬い音がした。音というより、骨を通ってくる振動だった。目の前が赤くなった。息が止まる。額から垂れた血が、一滴、洗面台の内側へ落ちた。その赤い点のすぐそばに、線が走った。


 ぱき、と小さく鳴った。俺がぶつけた縁に、指二本ほどの細いひびが入っていた。


「三田さん、動かないで」


 戻ってきた看護師が、俺の肩を支えた。俺は縁から手を離した。足元を確かめながら、用意された椅子へ座る。額に触れたガーゼが赤くなった。けれど、二度目に当てられたときには、血がほとんどつかなかった。中から皮膚が押し上げられる感触があった。それで、分かった。


 ついてきた。あの村も、家も、十五年使った手もなくなったのに。これだけは、ついてきた。


 看護師がほかの人を呼ぶあいだ、足を揃(そろ)えてひびを見ていた。普通、額を陶器にぶつけたら、割れるのは額だけだ。でも、俺の額は普通じゃない。これ、弁償になるのか。……いや、今はそこじゃねえだろ。


 額は、赤くもなっていなかった。医師が触れた場所に、痛みだけが走る。


「ここですか」


「そこです」


 同じ場所を指した。それ以上、傷を探して強く押されることはなかった。歩くときは看護師を呼ぶことになり、洗面台には使用禁止の紙が貼られた。申し訳ない。返してもらったメガネをかけ直しても、ひびは消えなかった。見間違いじゃない。


 写真を撮らせてもらった。裂けていたはずの額は、もう撮れない。陶器のひびなら残っている。俺が見たことまで、何もなかったことにしたくなかった。


   *


 病室へ戻る途中、掲示板の前に男がいた。黒いジャケット。手に下げたヘルメット。朝、扉の向こうを通った人だった。俺が見たとき、男はちょうど顔を上げたところだった。掲示板ではなく、洗面台のほうへ向いていた。目が合う。今度は、先に目をそらしたのは男だった。


 靴音が遠ざかっていった。見舞いの人だろう。そう思いかけて、看護師の手を借りた自分の姿を見下ろした。傷のない高校生が額を押さえて、割れた洗面台の前から運ばれていく。俺でも見るかもしれない。それでも、病室へ戻ってから、扉のほうを一度見た。


   *


 昼のあと、左の腕を少しだけつねった。赤くなった。赤みが消えかけ、もう一度だけ、同じ場所に細く戻った。つねったのが自分だから、自分に返る。二度目も消えた。


「……やっぱり」


 声にすると、急に馬鹿みたいだった。洗面台を見れば分かることを、わざわざ二回痛がって確かめたのだ。そこで手を止めた。向こうでこれを調べていたとき、リタが俺の指を一本ずつ開かせたことを思い出した。もう、そこまでしなくていい。


 傷は治り、同じ傷が相手へ返る。痛みは残る。順番は、向こうと同じだ。壊れる物の値段だけは、こっちのほうが怖いけど。


 写真の画面を伏せた。最初のトラック事故のとき、俺にはまだこの力がなかった。あの事故と洗面台のひびは、同じ力では説明できない。


 俺がこの体へ何を持ち帰ったのか。分かったのは、そこまでだった。


 午後は長かった。眠ると、花が見えた。目を開けると、カーテンがあった。スマホを触っても、指が先に覚えている操作と、俺が思い出す順番が噛(か)み合わない。画面の明るさを下げるだけで、知らない設定を二つ開いた。外から、部活の帰りらしい声が聞こえた。


 誰かは普通に学校へ行って、普通に終わっていた。カズヤにも、放課後が来たはずだった。


 俺は枕を少し立て直し、扉のほうを向いた。待っている、と自分で気づくまでに、少し時間がかかった。話したいことがあった。話せるかどうかは、別として。


 看護師が、戸口から声をかけた。


「昨日(きのう)、三田さんが助けた方(かた)が来ています。少しお話しできますか」


 返事をしようとして、息が引っかかった。花を抱えていた腕が浮かんだ。違う、と分かってからも、口が動かなかった。看護師が、俺の顔を確かめるように身をかがめた。


「……はい。会いたいです」


 扉が、少し大きく開いた。制服の女の子が立っていた。一年の学年色のリボン。両手で、小さな紙袋を持っていた。俺が十五年、助かったのかと考えていた女の子だった。

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