九話 心的外傷
それは先生のもとで暮らすようになってしばらく経った、とある日のことだった。
俺と先生がいつも通り超能力の研究をしていた時、玄関がガンガンとノックされた。
「来客か?カイン君、ちょっと視てくれ」
「はい」
俺は家の外を狙い、『千里眼』を使った。
千里眼は、障害物に関係なく遠くを見ることが出来る能力だ。音は聞こえないし、限界は試してみたところ、先生いわく10kmくらいだということらしいが、使いやすい。少しエネルギー消費が大きいけど、この程度の距離なら気軽に使える。
そこには、一人の男性が立っていた。
彼の特徴を伝えると、先生は「あー」と呟いた。
「八百屋の倅か……そういえば来る予定だったな。忘れていた。エルク、すまないが来客の対応をしてくれないかい。野菜を届けてくれるだけだから」
「はーい」
エルクが扉を開ける。俺たちはなんとなく会話を聞きながら研究を続ける。
「お?見ねえ顔だなあ。レイ先生の患者かい?」
「あ……え、あ、はい。先生の代わりに」
少しエルクが人見知り気味だが、和やかな雰囲気だ。野菜をわざわざ持ってきてくれたらしいし、先生とも良い関係を築いている人なんだろう。
「小せえのに偉いなあ。まあ、なんだ。大変だろうが、頑張るんだぜ」
そう聞こえた瞬間。
「きゃああぁぁぁぁぁぁっ!!!」
どん、という音と、エルクの叫び声。
慌てて俺たちが様子を見に行くと、そこには荒い息でしゃがみ込むエルクと、目を丸くした先程の男性が居た。
「え、あ、な……ち、違、俺、何も……」
「カイン!」
エルクは俺に飛びついて、そのまま抱きついてくる。訳もわからずパニックな俺は、目の前の彼が何かをしたのだと思って睨みつける。男は少し驚いていた。
そんな俺たちの間に先生が割って入る。先生は、背後でエルクを抱きしめる俺の頭を撫でた。
「カイン君、エルクを頼むな」
「あ……は、はい……」
「カイン、カイン、カイン、カイン、カイン……うぇ、うぇぇぇぇ」
俺の腕の中で泣き出すエルク。扉の奥から聞こえる先生と男の声。先生の「すまない」という声がしきりに聞こえる。
訳もわからず、俺はエルクを抱きしめることしか出来なかった。
ほどなくして扉が開き、先生が帰ってきた。エルクは少し落ち着いたようだったが、俺の袖は握りしめたままだ。
先生はそんなエルクを見て、俺ごとエルクを抱きしめた。
「すまない、エルク……すまない。大丈夫だ」
エルクの呼吸は落ち着きを取り戻し、やがて眠ってしまった。
エルクをベッドに寝かせる。少しうなされているが、落ち着いているようだ。目の下の涙の跡が痛々しい。
先生がテーブルに2つのマグカップを置いた。ひとつは俺の、もうひとつは先生の。いつからか決まった席について、中のコーヒーを啜る。
「すまなかった。あたしのミスだ……最初に言っておくが、彼は気のいい奴だよ。もちろん、エルクに何かをするような奴じゃない」
「……俺が謝っていたと伝えておいてください。睨みつけてしまったから」
「彼も謝っていたよ。何かをしてしまったんだろうから、申し訳ないと」
先生は煙草に火をつける。先生は元々ヘビースモーカーだけれど、特に長い話をする時、煙草を吸うことが多い。
「彼は変な意味でなく、子ども好きでな。そもそも八百屋の倅だと言ったが、彼自身も子どもがいるんだ。彼にとっては癖みたいなものなんだろうな……」
「……エルクは、どうして?」
「頭を撫でたらしいんだ。その瞬間、エルクがすごい勢いで手を振り払って、突き飛ばしたんだと」
先生は煙草を吸った。気の所為か、いつもよりも深く吸っている気がする。
「……多分、男が怖いんだろうな。大人の男が怖いのか、もしくは……君以外の男か」
特に気にしていなかったけれど、本来エルクは人見知りをする方ではない。むしろ、大人相手でも割と喋れる方だ。まして、王宮の生活で大人と話すことには慣れているはずだ。
あれから、俺と先生とエルクだけの閉じた生活をしていたから、気付かなかった。あるいは、エルク自身気付いていなかったのかもしれない。
「カイン君。君はエルクの……その時の気持ちを、見たんだよな」
「……はい」
「何て言ってたか、覚えているかい?」
忘れるわけもない。
エルクの気持ち。侯爵への、俺への気持ち。
「……『怖い』『助けて』『気持ち悪い』……それに、俺に『見ないで』と」
「……そうか」
先生がエルクを見る。エルクの目から涙が零れた。それを見て、先生の顔は苦々しげに曇る。俺もきっと、同じ顔をしているだろう。
「カイン君。君はエルクと婚約者だったんだよね」
「はい」
「……まだ、エルクと結婚……は無理かもしれないけれど、ずっと一緒に居ようと思うかい?」
「はい」
「……そうか」
先生は煙を吐いた。
きっと、エルクは今我慢の連続だ。
英雄にもなれない。クライヴにも会えないし、家族に会うこともできない。それでも弱音を吐かないのは、きっと俺が居るからだ。
俺にはもうエルクしか居ないのと同じで、エルクにもまた、俺しか居ないのだ。
「……本当はね、君たちは離れた方がいいんじゃないかと思う」
「え……」
「君たちの関係は共依存に近い。エルクは君に、君はエルクに依存していて、互いが居ないと自分を保てない。違うかい?」
何も言い返せず、黙る。
エルクが居なくなったら、俺はどうなってしまうだろう。
夢もなくなった。守るべきものもない。きっと、生きていられない。
「共依存の抜け出し方は案外簡単だ……二人を物理的に引き離してしまえばいい。けれど、君たちの場合は置かれた状況からそれが難しい。それぞれで逃げ延びるなんて出来ないだろう」
「それは……そうです」
「だから、君がエルクを守るんだ」
先生は俺の手を握った。
「君はこの先、何があってもエルクと一緒に居るんだ。共依存は、するならとことんだ。離れちゃいけないし、間違っても死んじゃいけない。辛い道だよ。君はこの先エルクといる限り決して解放されない」
先生は煙草を消した。そして、俺の手を両手で握る。少し震えているのが伝わった。
「出来ることは何でもやって、頼れる人のことは頼って、君以外に生きる理由のないエルクの生きる意味になり続けるんだ。君が、エルクの英雄になるんだ」
英雄。
俺の失ったはずの夢。
消えたはずの、生きる意味。
「……ずっと、考えていたんです。エルクのために何ができるだろうって。エルクから全てを奪った俺が、何をしてやれるだろうって」
視界がぶれる。涙だ。
涙が溜まって、溢れる。
泣くのはいつぶりだろうか。
「俺の存在が、エルクの支えになってるんですね」
「そうだよ。今の彼女にとって、君は、君だけは替えがきかない存在なんだ」
「それは……何より、嬉しいです……!」
涙が止まらなかった。こんなに泣くのは、きっと赤ん坊の頃以来だろう。
涙が溢れて、鼻の奥がつんとして、それは久しぶりの感覚だった。
こんな顔、エルクには見せられない。見せたくない。
先生は、泣く俺を抱きしめた。
「どんな世界でも、良い奴も悪い奴も居る。良い奴の振りをして近づいて、君たちから奪っていく奴もいる。だから、悪い奴は君が遠ざけて、良い奴には頼るんだ」
先生は、俺の頭を撫でた。
俺がエルクにするように。エルクが俺にするように。
「しばらくは、あたしに頼ればいい。ずっとは無理かもしれないが、守ってあげるから。その間にエルクを守れるくらい力をつけるんだ。出来るだろう?」
俺は先生の胸の中で、頷いた。
「偉いな。流石男の子だ」
見えないし、見ていないけれど、先生がそう言って少し笑った気がした。
先生はお気に入りキャラです




