二十八話 パスファインド家当主レイン・パスファインド
『では、レイン・パスファインドよ。言い残すことはあるか』
「そんな……父様……?」
思わず呟く。けれど、それが音になっているのかどうかもわからない。
幻覚か、と思ったけれど、幻覚ではありえない臨場感がその甘い考えを否定する。
クリアな映像が。聞き慣れた父の声が。土煙の香りが。血のような味が。風の冷たさが。俺の甘い考えを否定する。
今、俺の五感は目の前の光景に支配されている。
いつかした、先生との会話を思い出す。
「虫の知らせっていうものがあってね」
あれは、超能力の研究をしている時のこと。
「自分や、近しい誰かの危機を、分かるはずのない状況で感じ取ることなんだ」
「あ、それ、ちょっとわかります」
「経験あるだろう?これを超能力に分類する人も居てね……未来予知だとか、誰かの思念が届いたとか、まあそんなのはどうでもいいんだが、君は超能力として、それが使える可能性がある」
「もし使えるなら……欲しいです」
「でも残念。これは検証のしようがないんだな。検証しようとするなら、君やエルクが本気で危機に瀕する必要がある。そんなのリスクが高すぎる。それに、知ったからって助けられる訳じゃない状況もあるしね」
そうだ、先生が言っていた。
片鱗はあった。先生が騎士に襲われた時、扉を開ける前から予感があった。エルクが攫われそうになった時、エルクに比べて圧倒的に早く目覚めた。
あれは、『虫の知らせ』だったんじゃないか?
『私には大切なものが三つある』
父様は語り出した。
自分が処刑されることが分かっている言葉。
最期の言葉。
『ひとつ。この国、ファルシオン王国だ。
私が生まれ育った国、ファルシオン王国だ。
我が子が、孫が、子孫が生まれ育つ国、ファルシオン王国だ。
我が親が、祖父母が、先祖代々が守り、勝ち取ってきた国、ファルシオン王国だ。
私は私の人生が始まり、今こうして終わるまで、真に王国に尽くしてきた。我が力の限りをもって王国の発展に寄与してきた。我が人生をかけて王国に忠誠を誓ってきた。
それは私の時代が終わり、次の世代に引き継いでも何も変わりはしない。いや、むしろより良い時代を作り上げて行くのだろう。
私は数多の命が溢れるこの国を愛している。私の愛は今、処刑台に登っても何も変わりはしなかった。私の王国への敬愛は本物であり、永遠に変わりはしないと証明されたのだ!』
父様の声だ。
もう一年以上も聞いていない声。
俺に語りかける時の優しい声とは違う、威厳に満ちた声。
俺の憧れた、声。
『ふたつ。この地、パスファインド領だ。
我が先祖代々が受け継いできて、発展させてきた土地、パスファインド領だ。
私の愛する民たちが生まれ、育ったこの誇るべきパスファインド領だ。
私は真にこの地に身を捧げてきたつもりだ。私は当主としてこの地を受け継いだ瞬間、この命は、この身体はその一片まで、この地、パスファインド領に埋めると決めた。それに恥じぬ行いを、振る舞いを徹底してきた。
皆の者よ、この美しいパスファインド領を見よ!
命芽吹き、自然に溢れ、人々の笑顔が咲くこのパスファインド領を見よ!
なんて美しい光景だ……。
私はこの世界一の絶景を守るため、より美しい光景を作るため、この身を焼いて、骨すら焦げ、灰になろうとも、歩みを止めなかった!それこそが私の誇りだ!
私を愛してくれる民よ!私のことを覚えていてくれ。そして、この先の人生において、その記憶の欠片にでも私を置いてくれ。我が存在を、君たちの人生の中に、そっと紛れ込ませてくれ。私が骨まで埋めるこのパスファインド領の地を踏みしめたことを、少しだけ誇りに思ってくれ。
私を憎む民よ!私を存分に憎め。その憎しみは君を成長させる。何か辛いことがあるなら、私を燃やし、それを動力に前へと進むが良い。君が私を憎もうとも、決して私は君を憎まない。安心して私の亡骸を踏みつけ、高みへと登ってゆけ!
私を知らぬ民よ!私に無関心な民よ!私に感情など向けずとも良い。その感情は、君の愛する者に向けよ。君のことを愛してくれる者に向けよ。君のことを慈しむ者に向けよ。弱き者に向けよ。小さき者に向けよ。そうして生まれた感情の果てに、きっと君の幸福があるのだ。
我が民よ聞け!私、レイン・パスファインドは、この時代、この場所、パスファインド領に生きた。
次の時代は、我が第一子レオン・パスファインドが作る。君たちと共に作る!
至らぬ点があれば存分に叱れ。迷惑をかけたなら存分に怒れ!そうして、褒めるべき時があるならば、ほんの少しだけ褒めてやってくれ!
レオンは我が息子だ。だが、私よりもずっと優秀な子だ!賢く、優しく、真に民を思う心を持つ者だ!レオン・パスファインドある限り、そして君たち民衆のある限り、君たちの発展は永遠に止まることはないだろう!』
そうだ。父様はいつだって民のために働いていた。
朝は誰より早く起きた。夜には誰よりも遅くまで働いた。風呂に入る時ですら、常にパスファインド領と、その民のことを考えていた。
誰しもが父様を愛していた。親しみ、尊敬していた。
そして、それ以上に父様は民を愛していた。
レイン・パスファインドはこの地、パスファインド領の民にとって、まさしく英雄だ。
『みっつ。我が家族だ。誇り高きパスファインド家の者だ。先祖代々、子々孫々に至るまで、全てのパスファインド家の者だ!
我が先祖よ!パスファインド男爵としてこの地を与え、それを守り抜き、発展させてきた先祖よ!私はこの目で見た初めての物が、この美しいパスファインド領であることを誇りに思う!
貴兄らのおかげで私はこの地に生まれ、この地に生き、この地にて死すという最大の栄誉を手にすることが出来た!これに感謝せずして、何に感謝しろと言うのだろうか!
我がまだ見ぬ子孫よ!今後ますますを持ってこの地を守り、受け継ぎ、発展させていくであろう我が子孫よ!私はまだ見ぬ貴殿らがこの地をますます発展させていくのだと心から信じている!
貴殿らが心から信じられる存在であるおかげで、私は今日眠っても、永遠にこのパスファインド領の夢を見ることができる!この大地の果てまでこのパスファインド領の名が轟くと信じて眠ることが出来る!私が今日、一切の不安もなく幸福に眠ることが出来るのは、全て貴殿らのおかげだ!』
そこで、父様の声が変わる。
俺がいつも聞いていた、優しい父様の声になる。
俺が眠るその瞬間まで聞いていた、俺を導き、育ててくれた、俺に背中を見せてくれていた、聞きなれた父様の声になった。
『我が妻、カミラ・パスファインドよ』
父様の顔が、優しくなった。
人生で最も長い時間を共に歩んだ、かけがえのない存在へ向ける顔。
もう二度と見れない顔。
『君が私と出会ってから、もう何年になるかもわからんな。
君と出会った時の私はまだまだハナタレのガキで、大切なものも、大切なことも、何一つ知らないクソガキだった。
そんなクソガキを、君は何年も、何十年も支えてくれた。君が諦めず、何度も教えてくれたおかげで、あの日のクソガキは立派な大人になった……と思う。
君から見ればまだまだガキかもしれんな。君はいつだって私よりも大人だったから』
父様の目に、初めて涙が溜まる。
父様の視線の先、俺の視界の端に、母様がいた。
母様の目にも涙が溜まっている。けれど、身ひとつ動かさない。
誇りあるパスファインド家当主の妻として、その務めを果たすために、必死で堪えて、動かないようにしているのだ。
本当は、今にも父様のもとへ駆け出して、あの枷を外して、それが出来ねば共に死んでしまいたいだろうに。
それが分かるほど父様を愛しているのに、父様の誇りを汚さぬよう、耐えているのだ。
『私は今日、居なくなる。君のことだ、きっと私が居ない世界に耐えられないだろう。それくらい、君は私を愛してくれた。
だが、周りを見ろ。君が産んだ、産んでくれた子らがたくさん居る。その子らはまだお前の助けを必要としている。だから、君はまだそこに居なきゃいけないんだ。
そうしてその子らが誰も君の手を欲さず、ただ一人で歩けるようになった時、急がずゆっくりと私のもとに来ればいい。安心してくれ。私はいつまでも君を待っているから。……いつも私の隣で私を導いてくれた君への、最初で最後のアドバイスだ。
出会った時から、今に至るまで。そしてこの先も永遠に、君を愛しているよ』
母様の目から涙が溢れた。溢れて、溢れて、止まらない。頬を伝う涙が落ちて、地面が吸いきれず水溜まりになる。
それでも、母様は決して動かなかった。
パスファインド家当主、レイン・パスファインドの誇りを、守りきった。
『我が第一子、レオン・パスファインドよ』
父様の目がレオン兄様に向いた。
父様が初めて育てた、自身の跡を継ぐ、自慢の息子へ向ける顔。
もう二度と見れない顔。
『お前が生まれた時は嬉しかったよ。なにしろ、初めての子だ……。私とカミラの初めての愛の結晶だ。
男でも女でもどっちでも良かったんだが、それでも、やはり貴族だからな。出来れば男が生まれて欲しかった。そう思えば、お前は生まれた瞬間から私の期待に応えてくれていたんだな』
兄様は、尊敬する父を真っ直ぐに見据えた。
後は任せてくださいと、不安がらないでくださいと言うようだった。
声には出さなくても、この先のパスファインド領を守っていく者としての誇りが伝わってきた。
『お前は真面目な子だったな。幼い頃からほとんど遊ばず、自分から進んで勉強勉強、大きくなったら公務公務……それはお前の凄いところだが、親としては少し心配なんだ。
糸っていうのは張りすぎるといつかどこかで切れてしまう。お前は悪い事だと思っているかもしれないが、少し緩めることも必要だ。大丈夫、お前は強い子だから、少し緩んだくらいじゃ紡いできたものは解けないさ。
……そうだ。お前が小さい頃、隙間を縫って一緒に釣りに行ったのを覚えているか?あれは楽しかったな……そういえば、あの時お前は転んで川に落ちて泣いていたな。あの時は心配したが、今思えばあの時、お前の弱さを初めて見た気がするよ。
釣りはいいぞ。長い時間をかけて、少しづつ作戦を練って、そして結果がついてくるんだ。あれは政治に似ている。責任のない政治だ。練習みたいなものだよ……そう言えば、真面目なお前も少しは息抜きをしてくれるかな?
この先お前にはたくさんの大変なことが起きる。仕事だけじゃない。結婚すれば、家族が増える。子どもを作ればさらに増える。そうしたら大変なことの連続だ。一瞬一瞬を見れば本当に大変で、苦しい。
でもな、それを後から振り返ってみれば、宝物になっているものだ。私にとってのお前のようにだ。大変なことがあるほど、大切なものが増えていく。あの日、あの時、お前が生まれた。それが私にとって初めての宝物だ。
これからのパスファインド領を頼むぞ。我が自慢の長男、レオン・パスファインドよ』
レオン兄様は泣かなかった。ただ、真っ直ぐに父を見ていた。
尊敬する父親に、最期の瞬間まで自分を誇りに思ってもらいたいのだろう。
そうして立派な自分を見て、安心して眠って欲しいのだ。
真面目な兄様だ。けれど、兄様の手は握りしめられている。
爪が食い込み、皮膚を突き刺し、血管が破れて血が流れている。それでも、そんな素振りを見せはしない。
レオン兄様は、誰より真面目で、立派な兄様だ。
『我が第二子、レイラ・パスファインドよ』
父様の目がレイラ姉様に向いた。
最も母様に似た、父様にとって唯一の娘を見る顔。
もう二度と見れない顔。
『お前はカミラによく似たな……。お前が生まれた時、私は安心したよ。娘だからな。やっぱり美しくあってほしい。その点お前はカミラによく似ていた。私が誰より美しいと思うカミラに似たんだ。世界で二番目に美しい女性だ……一番はもちろんカミラだ。それは譲らんよ』
レイラ姉様は厳しい目で父様を見ていた。小さい頃、母様を俺を叱った顔によく似ている。
けれど、レイラ姉様は怒っているわけではない。
目に力を入れ、気を張っていないと、泣き出して崩れ落ちてしまうから、それを懸命に堪えているのだ。それくらい、姉様は父様を愛していた。そして、強い人だった。
『お前は幼い頃から婚約者のヤン君と仲が良かったな。父親としては嫉妬に駆られたもんだが、ちょっと嬉しかったよ。
ヤン君と何か進展した時の顔が、私と出会ってからのカミラと同じだった。お前を見る度、カミラが私に惚れているんだと実感した。お前が実感させてくれたんだ。
お前は愛が深かった。昔、飼っていた犬のジョンが死んだ時、すごく塞ぎ込んでいたな。
愛犬が死んで悲しいのは誰だって同じだが、あんなに、飯も食わないほど悲しむのは、お前の愛が誰よりも深いからだ。
ヤン君は幸せ者だな。深い愛ってのは例外なく人を幸せにするものだ。そうしたらきっと相手だって応えてくれる。ヤン君はきっと、お前が世界一だと言ってくれるはずだ。
それに、お前は強い子だ。ヤン君と……って、ヤン君とのことばかりですまんな。それでも言うが、お前がヤン君との婚約を決めてすぐのことだ。
貴族で、結婚相手も私が決めたからな。不安になって、お前に聞いたよ。「ヤン君のことは好きか?やっていけそうか?」とな。
お前は顔を真っ赤に染めた。私は安心すると同時に、悪いことを聞いたかなと思ったんだ。
けれど、お前は私の目を真っ直ぐに見て、「私はヤン様のことを愛しています。心配は要りません」と言い切ったな。あれには痺れたよ。我が子ながら、こんなに強い子に育つものか。とね。言葉にすることは勇気が要る。お前はその勇気を持っている。
だから、自信を持ちなさい。お前は私にとって、ダイヤモンドよりも強く、美しい宝石だ。』
レイラ姉様は、涙を零さなかった。
けれど、父様の言葉が終わると頭を下げた。
本来は相応しくない行為だ。けれど、そうしたいと、そうすべきだと思ったんだろう。
その所作は、その場の誰よりも美しかった。
『我が第三子、ノイン・パスファインドよ』
父様の目が、ノイン兄様に向いた。
ノイン兄様は、父様と最も仲が良かった。よく話していたし、たまに釣りにも行く、友達のような子に向ける顔。
もう二度と見れない顔。
『お前はレオンと違ってやんちゃ坊主だったな……手を焼かされたよ。小さい頃からイタズライタズラ、どうして同じ素材からこんなクソガキが生まれたもんかと思ったもんだ』
ノイン兄様はおどけて笑っている。
きっと、死の間際にある父親に少しでも楽しんで欲しいのだろう。
生まれた時から一緒だった親友に、笑いながら眠って欲しいのだろう。
お調子者なようで、人のことを常に考えている。最も優しい兄様だ。
けれど、その表情はいつもより固い。無理をしているのは一目瞭然だった。
『お前には手を焼かされたことが多かったけれど、楽な部分も多かった。お前はいつだって人が笑っていることが好きな子だったな。
兄も姉も、弟も分け隔てなく、誰かが悲しそうなら絶対に笑わせてやった。クソガキだと思ってた子が、実は誰より優しい子だったんだ。
……だけどな。ちょっと不安になるんだ。お前は人の感情に敏感で、皆が辛い時、笑わせてやる。でも、それじゃお前は誰に笑わせてもらうんだ?私はお前が泣いているのを見たことがない。本当は辛いのに、それを隠して笑ってるんじゃないか?
周りを見てみろ。お前がいつも笑わせてきた者たちがいる。お前がいつも優しくしてきた者たちがいる。その人達は、お前にだって優しくしてくれる。お前を笑わせてくれる。だから、たまには誰かに頼ったっていいんだ。お前が笑わせてもらう側になったっていいんだよ。そうして笑わせて貰った分、また誰かをわらわせてやるんだ。
これからお前は次男として、レオンを支えていくことになるだろう。お前とレオンは相性がいい。レオンは笑うのが苦手だから、お前が笑わせてやれ。お前が泣きたくなった時はレオンを頼れ。レオンはお前と一緒に泣いてくれるよ。
泣いたっていいんだ。泣いた後には笑いが待っている。泣いている子を必死で笑わせてきたお前にはそれがわかるだろう?
お前はいつだってパスファインド家を楽しませてきた。私も何度お前に笑わされたかわからない。これからも楽しい家を作って、そしてお前も楽しんで、本当の意味で皆を笑わせるんだ。お前ならできるよ。ノイン・パスファインド。私はお前を信じている』
ノイン兄様は泣いた。
泣きながら、笑った。
父様の言葉を嘘にしないように、泣きながらでも、笑っていた。
最も親しい友人だった父様に、笑って欲しかったから。
『我が第四子、レイク・パスファインドよ!』
父様の目がレイク兄様に向いた。
父様にとって最も出来が悪く、そして最も放っておけなかった子に向ける顔。
もう二度と見れない顔。
『お前は昔から出来の悪い子だったなあ……何をやらせても平凡の域を出なかった。不思議なものだ。そういう子ほど親というものは放っておけないものだ』
レイク兄様は、いつもはしていない眼鏡をかけていた。
尊敬する父様の、最期の姿を目に焼き付けられるように。
これから先、少しでもはっきりと、自身の理想を見つめられるように。
『お前はなんだって平凡だった。勉強をさせても、運動をさせても、武術をさせても、芸術をさせてもなんだって平凡だ。
だけど、お前はその都度挑戦して、本気で頑張ってきたな。全てが平凡なお前だが、それを気にすることなんてない。お前のその意志だけは平凡ではないからだ。
誰だって、初めて何かをする時は下手くそだ。最初から美味い飯が作れたか?最初から上手に剣を振れたか?生まれた瞬間から言葉を喋れたか?そんなわけがない。
けれど、人間は次第に挑戦を辞め、そして頑張ることを辞めてしまう。それは人間が弱いからだ。自分の心を守るために、どんどん弱くなっていくからだ。
けれどお前は違う。平凡だって何にでも挑戦し、全力で頑張る。それが出来る奴は世界にだってそう居ない。お前は強いんだ。平凡なんじゃない。下手くそだったところから、平凡にまで押し上げたんだ。
お前はまだまだ子どもだ。三男だ、家に縛られることだってない。貴族として生きていたければ貴族として頑張ればいい。自分の道を開きたいなら自分の道を開けばいい。お前のその強さは、お前の自由な立場にぴったり合っているんだ。それを、才能というんだ。
お前が今まで何かをやって、平凡にすらなれなかったことがあったか?無いだろう。それはお前が平凡になるまで頑張れるからだ。その強さを持っているんだ。
お前は可能性の塊だ。何にだってなれる。どこへだって行ける。お前の強さを活かして、何にだって挑戦してみろ。その中でいつか平凡以上になれることがあるだろう。その道が気にいればそこに行けばいい。
最終的にはお前が幸せになれるかどうかだ。平凡な幸せを望むにしろ、それ以上を求めるにしろ、それを決めるのはお前自身だ。けれど忘れるな。お前に失敗はない。お前は成功するまで頑張れる子だからだ。レイク・パスファインド。私はお前の強さを尊敬しているよ』
レイク兄様は泣いた。涙が零れ、崩れ落ちて、眼鏡のレンズは涙に塗れた。
けれど、兄様は涙を拭いて、立ち上がって、父様を見上げた。
兄様がもう泣くことは、なかった。
『……以上であるな。それでは処刑を―――』
『待ていっ!!』
刑を執行しようと締めくくる男に父様の一喝が響く。
今まで見せていた、優しい父様の顔。民に、国に語りかけていた威厳のある父様の顔。その二つのどちらとも違う、これは怒りの顔だ。
俺だってほとんど見たことの無い、本気で怒っている顔だ。
『私の子は四人ではない、五人だ!!貴様、そんなことも忘れるほど無能なのか!!貴様の心は死にゆく男の矜持すらも守れぬほど腐っているのか!!それでも人を導く立場の者か!!』
『……失礼した。続けよ』
きっと、男はわざと飛ばそうとしたのだろう。
だって、順当に行けば、次に父様が話すのは。
『……そして、我が第五子、カイン・パスファインドよ』
そして、父様は俺の名前を呼んで。
真っ直ぐに、俺を見た。
そんなはずはないのに。俺が見ていることなんて、分かるはずがないのに。
けれど、父様が俺を見る顔は、いつも俺を見ている時の顔だった。
もう、二度と……
『カイン。お前は昔から何をやらせても優秀な子だったな。友人に恵まれたこともあってか、常に上を目指し続けている子だった。でも覚えているか?本当に小さい頃、お前は体が弱くてすぐに泣く子だったんだぞ。
いつだったか、お前が私に目を輝かせて私に宣言したことがあったな。「父様。俺は英雄になるよ」って。私は正直な……あの時、「じゃあ頑張らないとな」なんて言いつつ、子どもの戯言だと思ったんだ。
だけど、お前はそれから凄い勢いで成長していった。起きている間、一瞬すらも自分の成長のために使った。そして真っ直ぐな目で何度だって、「英雄になりたい」と宣言した。ブレることがなかった。
だから、お前が十歳になって、魔力適性に恵まれなかった時は本当に辛かった……。帰ってきてその報告をするお前になんて声をかけていいのかわからなかった。だってそうだろう?人生の半分も使って必死に目指してきた道が、突然消えたんだ。辛いに決まっている。
でも、お前はあっけらかんとして言ったな。「俺は内政で英雄になる」って。私は震えた。どうすればそこまで一途で居られる?他人事の私ですら絶望していたのに、お前はほんの一瞬たりとも絶望なんかせず、自分の道を探していたんだ。その時に思った。この子に不可能は無いんだって。この子ならどんなことだっていつかはやり遂げるんだろうって』
父様の目は真っ直ぐに俺を見据えている。
父様の目が全力で俺に語りかけてくる。
「お前は間違ってない」「自分の信じた道を行け」って。
『なんでだろうなあ。私は今、そんなはずもないのに、この視線の先にお前が居る気がするよ。だから、お前に向けて話しているんだ。
父親っていうのは馬鹿なもんだよな。最後の最後、死の間際ですら、大事な息子に尊敬されようとしてしまう。だから、聞いてくれ』
『貴様……何を言う気だ!』
『お前の信じる道は、英雄だろう。あんなに一途なお前が、悪の道に染まるわけない』
『何してる!早く死刑を執行しろ!!』
俺は、サイコキネシスを使った。
何故か出来るという確信があった。
縄を切れば、刃が落ちる単純な仕組みの断頭台。
だから、俺は切られたロープをサイコキネシスで支えた。
『な……!?そんな、刃が……落ちない!?』
『動作不良だろう!早く、なんとかしろ!』
『で、ですが、原因が……』
とんでもない遠距離だ。上手く力が伝わらない。エネルギー消費も激しすぎて、頭痛がする。
それでも、俺は父様に生きていてほしかった。
父様の言葉が、もっと聞きたかった。
『お前、あの子を庇ったんだろ』
父様は、言った。
エルクと二人きりだと思っていたこの世界で、初めて。
真っ向から俺を信じてくれる人がいた。
それは、生まれて一番最初に出会った人だった。
『大事な人を守るために必死になる。それで目的は達成したんだろ?それを英雄の行いというんだ。誰がなんと言おうと、私だけは言ってやるぞ。お前は、その瞬間、確かに英雄だったんだ。
俺はお前を誇りに思う。俺が信じた俺の息子は、何ら間違ったことをしちゃいなかった。
お前はきっと今も必死こいてあの子を守り続けてるんだろう。嬉しいよ。俺の自慢の息子は世界一かっこいいんだ!』
力が、限界だ。
それでも、絶対にこの手は離さない。
『俺はお前のせいで死ぬなんて思っちゃいない。俺はお前に賭けたんだ。そして、お前は無実だった!賭けは俺の勝ちだ!』
そして、力が途切れた。
刃が落ちる。
『愛する家族たちよ!ありがとう!』
死の間際、父様は笑った。
『お前らと出会えて良かった!お前らを愛してよかった!カイン、お前を信じてよかった!!』
「嫌だ、父様、行かないで!!」
『カイン!!お前が俺を最後に勝たせてくれたんだ!!』
そして、刃が落ちた。
父様の首が両断され、断頭台から落ちていく。
処刑の場だというのに、周囲からは拍手が起きた。
パスファインド領の民衆は、レイン・パスファインドの生き様を、そして死に様を称え、拍手をせずには居られなかった。
処刑を進行していた男は舌打ちし、部下を怒鳴りつけていた。その顔は怒りに満ちていた。
父様の頭が回転しながら落ちる。
正面を向いたその瞬間。
父様は、頭だけになってなお、心から嬉しそうに笑っていた。
英雄、レイン・パスファインドは、この日、処刑された。
―――――――――
視界が戻った。エルクとリヴィアが心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
「父様―――」
俺は床に崩れ落ちた。涙が零れる。流れて、床に落ちる。
「父様、父様、父様」
床を拳で叩く。
がん、がんという音が響いた。
誰も、心配の言葉すら発せずに、ただ固まっていた。
「父様、父様、父様、父様、父様、父様、とお、さま」
なおも悲しみが治まらず、床を殴る。
木でできた床はより先に、俺の拳が裂けた。
血がどろりと流れる。骨が砕ける。そこで、やっと俺の拳は止まった。
「ミル……ガイ……ア……!!」
エルクを傷つけ、俺を傷つけ、先生を殺し、リヴィアを堕とし、スーベニアの主人を殺し。
父様を殺した。
絶え間ない悲しみの果て。
そこにあったのは、果てしない怒りだった。




