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十六話 六年ぶり

「せ、背中流そっか?」


 エルクの言葉に、俺は悩んだ。

 きっと、それはとても幸せなことだろう。可愛いエルクが俺の背中を流してくれる。なんて嬉しい状況だ。普通なら、断る理由なんてない。

 しかし、俺にはそれを断りたい理由もあった。


 現在俺の年齢は十一歳。第二次性徴が始まり、子どもから男性になる最中だと言っていいだろう。放っておけば髭も伸びてくるし、それ以外の場所にも毛が生えてくるようになった。脛とか。

 とはいえ、それ以外にも自分の男性性を実感する瞬間というものがある。


 例えば今。

 エルクと互いの身体をマッサージするという初めての体験に、俺は己の男性たる自覚を強く持たざるを得ない状況になってしまっていた。


「え……えーと、その」

「……イヤかな」


 あ、エルクが悲しそうだ。

 いや、そうだ。エルクからすれば勇気を出して言ったんだろう。地獄の行軍と連日の超能力使用で疲れている俺のことを考えて言ってくれたはずだ。断られたら悲しいに決まっている。

 けれど、断りたい。断りたくないけど断りたい。


 どうすればいいんだこの状況。先生!先生!助けてください!!

 神にも祈りたい俺の頭に、先生の声が響く。


『君たちにはそんな恥知らずにならないで欲しい』


 天啓っ!!


「……エルク」

「はい」

「わかった。でも俺が流してもらうだけじゃ悪いからエルクの背中も流すよ」

「へっ!?」


 エルクが赤面する。

 よし、流石にこれは呑めないだろう。背中を流せるということは、服を着ていないということ。これならエルクも俺の恥ずかしさを分かってくれるはずだ!


 ありがとう、先生。先生はいつも俺を導いてくれる。


「……わ……わ、わかった。うん、流してくれる?」

「いいの!?」


―――この時、エルクの脳内では、先生の言葉が思い返されていた。

―――『自分の恥ずかしい感情をたった一人、心から信じられる人にだけさらけ出すんだ』

―――『その欲求は宝になるから大事にして、いつか、二人のために使いなさい』


「わ、わかった!じゃあ俺先に入っとくから、十分したら入ってきて!」

「え?う、うん、わかった」


 予想外の返答に戸惑いつつ、俺は逃げるように風呂場へ駆け込んだ。部屋からは「いーち、にーい」と聞こえてきた。時間制限がわかるのはありがたい。

 大丈夫。この十分の間に鎮まれば……いや、出来る!俺は英雄にだってなれる男だ!これくらいの試練……!


 ―――三分経過。


 駄目だ……!

 俺に不可能なことは魔法を使うだけじゃなかったのか……!


「ごじゅきゅーう、三分!」


 やばい、タイムリミットが近付いてきた……!

 でも、さっきまでのエルクの感触が忘れられない……!どうしたら……!


 最早エルクのカウントの声すらも興奮を高める。これが思春期というやつか。


 ……最後の手段を使うしかないのか。

 いや、もはや迷っている暇はない。エルクのカウントも三分三十秒まで来た。あと六分三十秒しか……!


 ―――そして、十分が経過した。


「じゃ、じゃあ、入るね……?」

「う、うん。どうぞ……」


 俺は腰にタオルを巻き、中にあった独特な形の椅子に座ってエルクを迎えた。これ、この真ん中の溝は何のためにあるんだろう。怖くてサイコメトリーできない。


 風呂場に入ってきたエルクは、身体にバスタオルを巻いていた。

 肩と脚が見えるだけ。先生の家では、これよりずっと肌が出ている服だって着ていたはずだ。だけど、妙に扇情的に感じる。


「お、お邪魔します……」


 エルクは風呂場に足を踏み入れた。二度目の風呂になるわけだが、そこに不思議は無いのだろうか。

 まあマッサージは思ったより汗をかくものだった。エルクも同じだろうし、普通に汗を流したかったりするのかもしれない。


 エルクは座っている俺を興味深げに眺める。これ、逆だったら文句言われるんだろうな。


「……なんか、やっぱりカイン、男の子なんだね」

「ん……まあ確かに、見てわかるくらい筋肉ついたよな」

「それもだけど……なんか、お風呂の匂い?汗の匂い?が違うっていうか、あんまり嗅いだことないような……あはは、何言ってんだろ、私」


 身を震わせる。

 やばい。自分では分からないが……も、もしかして、臭いが残ってるんだろうか。

 いや、そうだとしても、今なら誤魔化せるはずだ。


「確かにしばらく水浴びもしてなかったから、臭いかも」

「それは私もだよ。じゃ、じゃあ、背中流すね」


 セーフ……!セーフだ……!


 と安堵したのも束の間。エルクの指が背中に触れた瞬間、ぞくりとした、くすぐったさにも似た快感が俺を襲う。


「え、エルク……?大体こういうのってタオルなんじゃない……?」

「え、だってタオルは使ってるし……」

「いや、まあそうなんだけど……」


 それでも、なんというか。素肌を手で触られるというのはどうも落ち着かない。

 エルクのすべらかな指が、俺の背中を撫で回す。その度に妙な感覚が俺を襲う。

 変な反応をする俺の背中を擦りながら、突然エルクは笑った。


「ふふふ」

「……なんだよ」

「いや、思い出すなーって。小さい頃はよく一緒にお風呂に入ったよね」

「ああ……そうだな。ほんと、五歳くらいまでな」


 俺たちの実家は他の貴族に比べて教育がかなり緩い。もちろん貴族としての教育は受けるものの、それが終われば遊んで、一緒に風呂に入って、一緒に食事を取って、一緒に寝る。そんな風に過ごした。

 ……今と違って、その時はクライヴも一緒だった。


「エルクは泣き虫だったよな」

「うるさいな。逆にカインは泣かなかったよね」

「俺もクライヴも、男だからな。男は泣くなって口酸っぱく言われたよ」


「何それ。そういえばお兄様たちも泣いてるとこ見たことないな……泣いたら怒られるの?」

「クライヴのとこはそうなんじゃないか?うちは泣いたら死ぬほどバカにされて笑われるんだ。もう恥ずかしくて恥ずかしくて……」

「あはは、『恥の文化』だね」

「確かに」


 ふと思った。エルクとこんな取り留めのない話をするのはいつぶりだろうか。

 やっぱり張り詰めていたんだと自覚した。湯気のせいか、久しぶりに深く呼吸が出来ている気がする。少しだけ安心できたことで気が緩んだのかもしれない。

 何にせよ、風呂は良い、ってことか。


「はい、終わり。……あれ、もしかして頭洗ってない?せっかくだし洗ったげるよ」

「え?いや」

「『ウォーターボール』」


 どば、と頭から水……いや、適温だ。ぬるめのお湯がかけられた。そのまま俺の頭はエルクになすがままにされる。

 頭を洗われる感覚というのは、なかなか気持ちいい。さっきまでのような妙な快感ではなく、なんというか……頭を撫でられ続けるような感覚。

 うちはお手伝いさんをあまり雇っていなかったので、それなりに大きくなってからは、入浴は基本的に一人だった。最後に洗ってもらったのは……ああ、父様と入った時か。


 ……父様、元気かな。こんなことになって、心配してるかな。

 母様も、兄様たちも。きっと心配してる。


「はい終わり。流すよー。『ウォーターボール』」


 どば、と一気に流され、終わった。……何を考えてるんだか。もうパパママに頼るような歳じゃない。そんな状況でもない。数日は匿ってくれるかもしれないが、それで状況は好転しないだろう。

 ……けれど、そういう選択肢もあるのかもしれない。


 振り返り、エルクの顔をじっと見る。

 俺は指名手配もされてるから、実家には帰れないかもしれない。

 でも、エルクだけなら、もしかしたら……


「どしたの?……で、できればあんまり見ないでほしいんだけど」

「いや……ありがとう。あとは自分でやるよ。ちょっと待っててな」

「う……うん」


 エルクは湯船に入って待っていた。……洗う前に湯船に入るのはいかがなものか。

 あ、いや洗ったのか。


 顔を洗って、体の前側を洗って。

 ……


「……エルクさん?」

「はい」

「タオルの下を洗うのであっち見ててください」

「あ、ごめん」


 エルクは手持ち無沙汰そうに俺が洗うのをぼんやり見ていた。俺が気付かずタオルを外してたらどうするつもりなんだよ。

 というか、それがさっき見るなと言った人間の行動か。


 手早くタオルの下を洗って、脚を洗う。あまりエルクを待たせるのも悪い。

 湯船からお湯をとって、体を流す。タオルを再度腰につけて、エルクに「いいぞ」と合図をした。


「さ、今度はエルクの番だな」

「うん……な、なんか恥ずかしくなってきた」

「俺は最初からずっと恥ずかしい」


 エルクは湯船から上がると、妙な形の椅子に戸惑いつつ、座った。なんだか用途が想像ついてきたが、これ以上考えないでおく。


「さ、背中を……背中?」

「あ……」


 背中は、タオルで隠れている。

 ……どうしよう。

 しかし、エルクの行動に迷いはなかった。


「あ、ごめん。……外すね」


 エルクはタオルを開き、前側だけをタオルで隠す格好になった。

 背中があらわになり、エルクの白い肌が一気に面積を広げる。


「……」


 ごくり。

 風呂場に生唾を飲み込む音が響いた。

 エルクの背中は、普段見ている顔や首、手なんかよりもなお一段階白い。日焼けをしていないからだろうか。首筋の境界が妙に生々しい。

 キメの細かさはまるで上質なシルクのようで、目が離せない。


「……カインくん、あんまり見ないでくれますか」

「ご、ごめん。洗うよ」


 エルクの声は震えている。迷いはなくても恥ずかしいらしい。

 俺はどうすればいいのかわからないまま、しかし迷っているのも悪いので、行動を開始した。

 とはいえ、勝手に触れるほど俺の心臓は強くない。


「さ、……触るぞ」

「……どうぞ」


 エルクに許可を取り、おそるおそる背中に触れる。

 柔らかい。俺の背中とはやっぱり違う。なんというか、すぐに筋肉や骨という感じではなく、常にワンクッション挟まる感じ。その奥に、引き締まった筋肉が感じられる。けれど、その筋肉も俺のものよりもずっと柔らかい気がした。


 そして、すべすべだ。きっとよく手入れしているのだろう。水分が足りなくて引っかかるとか、油分によってニキビができる、とかそういうのがない。

 おかしい。ここ二週間ほど地獄みたいな生活をしていたはずなのに、何故ここまで綺麗なんだ?水適性だからか?


「お、おお……」

「……なんかそれ恥ずかしい。やめて」

「ご、ごめん……」


 気付けば俺の口からは声が漏れていた。なんだか変態っぽくて恥ずかしい。

 なんというか……ずっと触っていたい。

 恥ずかしさよりも、触れていたいという気持ちが強くなってきて、俺はわざと同じところを何度も洗った。


「なんか、手入れとかしてるのか?」

「そりゃもちろん。肌が汚い貴族の女なんて居ないよ」

「確かに、見たことないな……」

「女の子は見えないところで努力しているものだからね」


 なんというか、尊敬する。

 俺は見た目というものにあまり頓着がないので、せいぜい眉毛を整えるとか、寝癖を直すとか、そんなものだ。それで十分やっていると思っていた。

 そういえばエルクは髪を洗ったあと風魔法で乾かしているし、こうして旅をする前は毎晩肌になにかを塗っていた。

 世の女性というのは凄いんだな、と思った。

 けれど、きっとどんな女性もエルクの美しさには敵わないんだろう。


 名残惜しいが手を離し、お湯で背中を流す。エルクはタオルを巻き、そのまま固まっている。


「……」

「……」


 ここからどうすればいいんだろう。

 湯船に入るべきだろうか。

 二人で?


 いや、ハードルが高すぎる。無理だ。ここは一度撤退するしかない。


「……えっと、湯船、浸かる?」

「いや、もうお腹いっぱいだ。先に上がるから、終わったら上がってくれ」

「わ、わかった」


 そう言って、俺は逃げるように風呂場を出た。……なんだか今日はいつも逃げるように行動している気がする。

 着替えが無いな、と思ったがバスローブが用意されていたのでそれを着ておく。そういえばエルクも着ていたな。至れり尽くせりだ。

 服を着たらエルクに声をかけて、畳まれたエルクの服にできるだけ目がいかないよう気をつけながら脱衣所を出た。


 しばらくすると、エルクも出てきた。変わらずバスローブ姿だ。

 ベッドに仰向けになっている俺を見て、エルクは隣に寝転ぶ。石鹸の香りがした。この香りを俺がつけたんだ、と思うと少し恥ずかしい。


「はあ……なんか疲れたね」

「そうだな……」


 休みに来たはずなのに疲労困憊だ。本末転倒かもしれない。けれど、何故だか気持ちは軽くなっていた。


「でも、久々に一緒にお風呂に入ったら、楽しかったよ」

「……そうだな」

「また入ろうね」

「……いつか、な」


 エルクは俺にくっついて来た。俺が腕を横に広げると、エルクはそれに頭を乗せてくる。

 幸せだな。

 エルクもそう感じていてくれたら嬉しい、と思う。


 だけど。


 エルクは安心したように寝息を立てた。俺はエルクの頭を撫でる。そういえば随分髪が伸びた。

 適性検査を受けた頃は男の子かと思うくらい短かったはずだけれど、いつの間にか耳が隠れるようになっている。

 先生と同じくらいまで伸ばしたいと言っていたな。それはいつになるのだろう。……きっとよく似合う。楽しみだ。


 だけど、もしかしたら俺はそれを見ることができないのかもしれない。

 眠るエルクの隣で、俺はひとつの考えが頭から離れなくなっていた。

全話を書いている時、エルクが突然「背中を流す」と言い出して悩みました

作者としては「お前らにはまだ早い」と言って止めたい気持ちでした

なんか気付いたらこうなってました

笑ってやってください

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