十二話 先生
その日、俺たちはいつも通りだった。
午前中に超能力の訓練をして、俺が作った昼食を食べる。そんな、平和な日だった。
「それにしても、カイン君の料理は上達したねえ」
先生は俺の作った唐揚げを食べながら言う。
先生は揚げ物を好んだ。油は割と高級品のはずだが、この家には大量に備蓄されているし、先生が食事を作っていた時も当たり前のように揚げ物が出ていた。
ちなみに主食は常に米。この世界に米は存在するが、多くの人はパンを主食にしている。俺たちにとって米は新鮮だったが、日本では米食が普通らしい。今では俺たちも米派になっていた。
「褒めても何も出ませんよ」
「いやいや、美味しい食事が出てきたじゃないか」
「……うーん、何が違うんだろう……」
エルクは唸りながら唐揚げを食べる。料理下手なので悔しいのだろう。いつか料理も出来るようになりたい、と言っていたし。
ちなみに、前にエルクが揚げ物を作った時は肉が生焼けだった。さすがに危ないので切ってから火を通し、何とか食べた。
そうして食事をとっていると、玄関の扉がガンガンとノックされた。
「お?早いな」
「誰です?」
「騎士だよ。仕事で今日来るって聞いてたんだ。だから君たちは少し隠れていなさい」
先生の本業は医者だが、主な収入源はどちらかというともうひとつの仕事の方だったりする。
それは、研究者としての仕事。
異世界人であり、研究者だった先生は、この土地の領主にその知識を提供することで多額の金銭を得ている。そうして領主は知識を得て、この地域の発展に活かしているのだ。
そのため、この地域は比較的豊かだ。先生の知識による農業改革で生産率が上がり、田舎にしては重めの税も楽にクリアできている。
先生が妙に金持ちなのもそういう事情によるものである。
定期的な知識提供が必要なので、この家には月に一度くらいの頻度で騎士がやってきて、先生の研究書を取りに来る。だから、これもいつも通りだった。
「はいはい、出ますよー」
先生が扉を開ける。その瞬間。
ぞわりと、嫌な感触がした。
「先生!開けるな!」
「……え」
「ミカガミ・レイだな」
俺の叫びも虚しく、先生は既に扉を開けていた。
扉の奥から聞こえる、低い声。
俺はサイコキネシスを発動し、先生の身体を引き寄せる。
だが、もう遅い。
「反逆者には、死を」
ドッ。
あっけない音を立てて、先生の身体に剣が刺さる。
先生の右胸から、鮮血が流れる。
騎士が先生から、剣を引き抜く。栓になっていたものが抜け、先生の身体から、さらに多くの血が噴き出した。
「「先生っ!」」
俺は先生を抱き抱え、エルクに向かって投げる。エルクはそれを『ウォーターボール』のベッドで受け止めた。
「エルク!治療を!」
「わかってる!」
先生の傷は深い。けれど、最上級回復魔法が使えるエルクなら、なんとか出来るかもしれない。
俺は目の前に立つ騎士をにらみつけた。
「やはり居たか。……髪色が情報と違うな」
「お前……!先生は関係ないだろ!」
「罪人を匿うことは重罪だ。安心しろ。すぐに同じ所へ行かせてやる」
騎士が剣を振りかぶった。その時、胸の甲冑に刻まれた紋章が目に入る。
それは、忘れもしない、ミルガイア家の紋章だ。
俺があの時、千里眼できちんと確認していたら……!
怒りが湧き出す。ミルガイア家への怒り。先生を傷つけたこの騎士への怒り。そして、何も出来なかった自分自身への怒り。
怒りと同時に、力が湧き出してきた。ミルガイア侯爵からエルクを取り戻した時と同じ感覚だ。
きっと何だってできる。少なくとも、目の前の騎士を殺すことなんて、容易い。
俺はサイコキネシスを発動し、目の前の騎士を―――
「カイ……ン、く……」
先生の声。振り向くと、先生は頭をとん、と突いた。合図だ。俺はテレパシーで先生の考えを覗いた。
『超能力は見せるな。君の能力が漏れる可能性がある。なに、騎士一人、君なら力を隠したままでも相手できるさ』
……先生。
自分が死の淵に居ても、俺のことばかり……
「死ね」
騎士が剣を振り下ろす。
サイコキネシスは、自分に使った。両脚を強制的に動かし、剣による一撃を懐に潜って回避。その勢いのまま、騎士の顔に思い切り拳を叩き込んだ。
「ぶ……」
騎士の顔が一瞬凹んで、鼻血が噴き出す。サイコキネシスで強化した拳。常人ならノックアウトだろうが、そこは騎士。倒れ込みそうになる身体を地面に刺さった剣で支え、そして体を起こし、剣を引き抜いた。
俺はその間に、近くにあった箒の先を叩き折り、木剣の代わりとして構える。相手は立派な剣を持っているのだ。素手じゃ厳しい。
「馬鹿な……今のは、身体強化魔法……!?貴様はE級のはずでは……」
「……魔力を持たないガキを殺すためだけにそんな甲冑を着込んできたのか。ミルガイアの騎士は勇猛果敢だというのは本当のようだな」
「貴様……!」
言葉で挑発すると、騎士が激高して斬りかかってきた。大ぶりで上段から剣を振り下ろす。読みやすいものだ。
俺はそれを刃筋が立たないように斜めに受け流し、騎士の剣が地面にぶつかるのを見てから、頭に箒を叩きつける。
兜が思い切り凹んだ。
「ぐ……ば、馬鹿な、箒にそんな強度があるわけが……」
「腕が違うんだよ、ヘタクソ」
もちろん嘘だ。剣を受けた時はインパクトの瞬間にサイコキネシスで斬撃を微妙に操作したし、兜を打った時はインパクトの瞬間にサイコキネシスで木を握り、瞬間的に強度を高めている。
一年間の訓練によって、サイコキネシスを絡めた戦闘は実用レベルになった。
クライヴのような天才ならまだしも、有象無象の騎士は、俺にとっては最早相手にならない。
「く……!一時撤退だ!」
騎士が踵を返し、走り去る。……箒を持ったガキ相手に逃げ出すとは、本当にビビリなことだ。
が、頭の中を覗いてみると、わざとらしく逃げた騎士には本当の狙いがあった。
外に出ると、騎士は少し離れた場所で剣を構え、止まっている。そして俺を補足した瞬間、その剣が光り出した。
「馬鹿め、出てきたな!……喰らえ!『フレア・キャノン』!」
大きな火球が俺目掛けて飛んできた。なるほど、逃げたのはこのためだったわけか。魔法は精神統一した上で詠唱(詠唱破棄もできるが)を行い、脳が演算を行って初めて発現する。そのため、接近戦で使うのは基本的に難しい。
魔力のない俺が相手なら、魔法に対抗する術はないと思い、魔法戦に切り替えたようだ。
中級魔法『フレア・キャノン』。初級魔法の『ファイアボール 』の順当進化版で、僅かにスピードが劣る代わりに威力と規模感が段違いだ。当たればひとたまりもないだろう。
『千里眼』で後ろを確認する。予想される被害範囲内に人や建造物は無い。田舎の強みだ。
避けていいと判断して、俺は一瞬も迷うことなく、走った。
フレア・キャノンに向かって。
「自棄になったか!」
騎士の嬉しそうな声が聞こえる。が、俺は箒を地面に突き立て、跳んだ。
身体強化とレビテーションの合わせ技。速度を付けて跳べば、慣性を利用してレビテーションだけで飛ぶよりも速く飛べる。実践したことは無かったが、計算通りだ。フレア・キャノンは俺の下をくぐり抜け、遥か後ろで爆発する。
「な、な……そんな、魔法すら……」
「ミルガイアに従ったこと、先生を襲ったこと……後悔しろ!」
俺はサイコキネシスで着地地点を調整し、騎士の喉元に箒を突き立てた。
数メートル分の位置エネルギーと運動エネルギー、そして俺の全体重が乗った一撃。それを喉元に喰らっては、いくら鎧を着ていてもひとたまりもないだろう。
騎士は一瞬びくんと体を震わせ、そして事切れた。
こんな奴に構っている暇はない。俺は死体もそのままに駆け出す。
先生のもとへ。
「先生っ!」
「カ……イ、ン……くん……か」
先生が仰向けに寝転がり、エルクの必死の治療を受けている。けれど、その顔はとうに色を失っていた。
エルクは泣きながら、顔を横に振った。
「……主要な、臓器が……いくつか、やられた、みた……ごぼっ」
「先生、喋っちゃダメ……!」
肺が潰れているのだろう。先生は言葉と共に、大量の血を吐いた。
回復魔法は万能ではない。即死していれば治せないし、失ったものは生えてこない。
そして、あまりに致命的すぎるダメージも、治らない。
先生の死は、最早覆らない。
最上級回復魔法、『サステイン』。
効果は、延命だ。
「カ、イ……た、ば……こ……」
「はい、先生……」
机から煙草を取って、先生に咥えさせ、火をつける。
きっと、最期の一本になるんだろう。
「カ、イン……くん」
先生は、頭をつつこうとする仕草をした。
「テレパシーを使え」という意味の、いつの間にかこの家で浸透したジェスチャー。
色んな思い出が過ぎる。俺は涙をこらえ、テレパシーを使った。
『いやあ、ありがとう。やっぱり死に際には煙草がないとね。……お腹から煙は出ていないかな』
この人は……
どういう反応をすればいいんだよ。
『カイン君。今から言うことを口に出して、エルクにもわかるように伝えてくれ』
「……はい」
先生は語り出した。
「……まずは、君たちのせいだと思わないでほしい。君たちを治療するのも、匿うのも、君たちがこの家を出ようとするのを止めたのも、あたし自身だ。こんな日が来ることも予想していたよ」
こんな時まで、俺たちの心を最優先に考えてくれている。
これから、保護者を失うことになる俺たちの心を。
先生の口もとは、激痛の中だろうに、たまに咳き込みながら、それでも笑っていた。
「それでも、君たちと過ごしたかったんだ……君たちとの日々は、幸せで、それに私を救ってくれた」
それは、どういう……?
それを尋ねる前に、先生は続けた。
「君たち、煙草は体に悪いって知っているかい?」
「いえ……」
「……知らない」
「ふふ、そうだろう。この世界では広まっていないが、事実だ。私はあえてそれを広めなかった。日本では煙草が排斥されてきていてね……。
私は吸いたかったから、この世界では秘密にしていたんだ。好物だし、何より煙草を吸えば、早く死ねると思ってね。……緩やかな自殺だよ」
なんでそんなことを言うのか。俺から見て、先生は死にたいというような顔はしていなかった。
「私は日本でも医者をやっていてね。って言っても、新米だったが」
先生は語り出す。
己の人生を。
「大学の時、友達が居たんだ。仲が良い、優しくて、可愛らしい子だった。あまり女らしくないあたしにとっては憧れでもあったし、尊敬もしていた。
けれど、彼女はある時から教授に、卒業を盾に性暴力を受けるようになった。権力によって自分の欲望を満たそうとする……どこかの侯爵みたいだね」
エルクは身を震わせた。自分と重ねてしまったのだろう。
先生は自重げに笑い、続ける。
罪を告白するように。
「あたしは、それを知って……そして、知らないふりをしたんだ。
教授に楯突いたなら、あたしのキャリアも、医者になる夢も終わる。もちろん、その友達のキャリアもね……だから、知らないふりをした。彼女だってそんなこと望んじゃいない。彼女が耐えきって卒業してしまえば、それで全部終わるんだ。そう思って。……そう自分に言い聞かせて。
でも、それが間違いだった……彼女は自ら命を絶ったよ。念願叶って医者になってからも、あの子のことが頭から離れなかった。ちゃんと考えたはずなのに、後悔が消えなかった。
……そして、そんな中、あたしは突然この世界に飛ばされた」
煙草から、灰が落ちる。先生の胸に、落ちる。
灰を落とすことすらも、今の先生には満足にできない。
「最初は夢かと思った。けれど状況を理解して、これが現実だと分かって……私は絶望したよ。
どうせこうなるのなら、キャリアなんて全部なくなるのなら、あの子を助けておけばよかった、ってね。
そのまま、あたしはこっちでも医者をやった。一人でも多く助けたかった。でも、気は晴れなかった。早く死にたいと思って、煙草の量が増えた。自殺するような……あの子みたいな強さは、あたしには無かったんだよ。
そうして一年くらい経った時、突然君たちが現れた。……最初は私のような日本人かと思ったものだよ」
先生は、ゆるゆると両手を動かし、両隣に座る俺たちの手を取った。
先生の手は、冷たかった。けれど、俺はその手の温もりを、確かに感じた。
「これでも医者だからね。助けられる命は助けたかった。……そして、先にエルクが目を覚ました。君たちの境遇を聞いた時、驚いたよ。
あの時助けられなかった友達と同じことをされた女の子。
そして、あの時助けられなかったあたしと違って、全部捨てて友達を助けた男の子。
運命だって思った。あたしにとって君たちは、有り得たかもしれない未来だったんだ。そして、大人として君たちを守ることこそがあたしの使命なんだって思ったよ。そのためにあたしはこの世界に呼ばれたんだ、って」
先生は笑う。
もう表情を動かすことも満足に出来ないみたいだ。けれど、確かに笑っている。
先生の笑顔をいつも見てきた俺達には、わかる。
「それから今日まで、本当に幸せだった……。
超能力の研究なんて馬鹿げたものが役に立ったのは偶然だけど、それも運命的で、嬉しかった。守り、教え、導いて、君たちが成長していく。それが嬉しかったんだ。
……カイン君。さっきの騎士、ここに来る前だったとしたら、超能力を隠したまま勝てたと思うかい?」
「……いえ」
「エルク。ここに来て、少しでも気持ちは軽くなったかい?」
「うん……カインと、先生のおかげだよ」
「そうかい……それなら、私が来た意味はあったね……。嬉しいな」
先生の手から力が抜けていって、手がどんどん重くなっていく。
自分で支えることができないと、人の身体は重い。それは、先生のような細腕であっても、例外ではない。
「そろそろかな……」
先生はそう言って、目を閉じた。
俺とエルクの目から涙が溢れる。
先生の言葉を代弁しなきゃいけないのに、口が震えて上手く言葉が紡げない。
「最後だ。あたしの部屋に金庫がある……それなりにお金が入っているから、持って行って、使いなさい。
それに、あたしのベッドの下を探してみるといい。君たちがこの家を出る時に渡そうと思って、プレゼントを買っておいたんだ……使ってくれると嬉しいな。
それ以外にも、この家のものはなんでも持って行って、好きに使ってくれ」
先生が咥えていた煙草が、落ちた。もうとっくに火は消えていて、煙は出ていない。
酸素がないと火は起きない、と先生が教えてくれたのを思い出した。先生は、もう呼吸すら出来ていなかったのだろう。
「君たちはこれから、辛くて苦しい目に遭うだろう。苦しくて苦しくて、挫けそうになってしまうこともあるだろう。
それでも、生きていれば案外楽しいことは起きるものだよ。それを、君たちがあたしに教えてくれた。
エルク。魔法をかけてくれてありがとう。最期に君たちとこんなに話せるとは思っていなかったよ。
ふたりとも、ありがとう。楽しかったよ。いつか、ふたりで幸せになっておくれ」
「愛して……いる、よ……」
先生の言葉は、それで最後だった。
「……先、生」
先生の身体を揺すっても、なんの反応もない。
エルクの手から、光は消えていた。それは、魔法がもう発動していないことを、回復する相手がもう、この世から居なくなったことを意味していた。
俺とエルクは、先生の亡骸に覆いかぶさって、泣いた。
泣いて、泣いて、わけも分からないまま泣いて。
気付かないうちに眠ってしまって。
気付けば朝になっていて。
そうして、俺たちは、立ち上がった。
先生はこの日、命を落とした。
先生の顔は、少しだけ満足気に、笑っていた。
補足
先生は農業に精通しているわけではなく、単に高校レベルまでの知識を与えているだけです。
ファルシオン王国における農業は極めて前時代的なものであり、広大な領地に任せて力技で生産しています。
また、先生による農業改革はこの領地の外に出ていません。利権を独占しています。領主ができるだけ隠しているようです。




