8章 脅迫染みた忠告
しばらくの飛行の後、四人は古ぼけた寺院に辿り着いた。
そこはもう、誰一人参拝者がいなさそうなほど朽ち果てた寺。
かつては村民に祀られていたのだが、限界集落の廃村によって人の立ち入りがなくなり、何年間も放置され続けている場所だ。
尤も、立ち入らなかったのは人だけで、天使は足繫く通っていたのだが。
「必見必見ご覧あれ、ここが私たちの棲家だ。老朽化は激しいが手入れはしているからね、いきなり瓦解するとかそういうのはないはずだよ」
そう言いながら響は原型を失いつつある賽銭箱に近づき、中から寝袋をいくつか取り出した。
「予備のこれあげるから使いな。私と源治は大仏殿や法華堂で寝るから、二人は戒壇堂で寝るといい。何かあったら呼ぶんだぞ」
「何から何までありがとうございます。……ほら、詞音もお礼言って」
「ありがとうございです」
「それはわざとだね?」
そう言いながら、宗一が詞音を連れて戒壇堂へと歩いていく。
今日はもう疲れ切った、今にでも泥のように眠ってしまいたい――。
――そんな二人の背に声をかけたのは、源治だった。
「お待ちくだサイ、お二人」
「窓塚さん……?」
「最後ニ、真意を話しておきマス」
真意……?
と、兄妹は顔を見合わせる。
「空蝉響サンが貴方たちを助けた理由についてデス」
「……それは、少し気になってたです」
反応したのは詞音だった。
怪訝な表情で源治を、そして響を見据えている。
「天使に悪人はいないだろうという話は理解したですが、それにしても寿命を得る手伝いをした上に寝場所まで与えるなんて、どう考えてもやりすぎです。……たくらみがあるように思えて仕方ない、ます」
「そう思うのも道理だと思いマス」
源治は静かに頷き、己の翼を一本毟り取った。
仄かに黒い光を放つ羽が、風に吹かれて芒のように靡いている。
「理由はこれデス。ワタシの羽にありマス」
「……黒々とした、悪魔みたいな羽ですね」
「ハイ。コレ、元は貴方がたと同じ綺麗な羽でしタ。でも、迫りくる寿命に耐えきれず、ワタシ、昔ヒトを殺したのデス」
宗一と詞音の動きが止まる。
それどころか表情まで固まり、源治に視線を注がざるを得なくなっていた。
人を殺した。
……一番身近なはずなのに、どこか現実感からかけ離れているその言葉は、二人の心を強く揺らしていたのだ。
「ヒトを殺すと天使の羽は黒くなりマス。見ての通り悪魔のような羽デス。……そう、我々天使は殺人の有無が一目でわかってしまうのデス」
「曰く、殺人の処女性。天使と悪魔を隔てる紙一重のボーダーラインだ」
言葉を引き継いだのは響だった。
今までずっと好意的な表情を取っていた彼女は今、いたく真面目な表情で兄妹を見つめている。
「分かるだろう? 私や君たち兄妹のように綺麗な羽を持つ者は、人間が多ければ多いほど生き延びる確率が上がる。だが殺人の道を選んだ天使は、人間を減らしながら生き延びていく。その目的は背反状態だ」
人を資源と考えるならば、これほどまでに明確な争いの火種はないだろう。
資源をリサイクルして生きていきたい者。
資源を消費して生きていきたい者。
双方が互いの利益を第一に考えれば、導き出される結論はたった一つ。
相手を殺せ。
殺して資源を奪い取れ。
「君たちが殺人に手を染めるというならば、私は君たちを殺さなければならない。人類のために、そして我々天使のためにね」
「ワタシのように、一度殺人に手を染めてから天使側に付くのは稀デス。大体は相手の派閥と遭遇次第殺されますカラ。……空蝉響サンが助けてくれたおかげで生き延びていますガ、ワタシは例外中の例外だと思ってくださイ」
それは、真意を話すというよりは警告と呼ぶべきだった。
殺されたくなければ、大人しくしているのだと。
大人しくしている内は手を出さないと。
……でも、それはある意味当然の警告。
人間社会においても、殺人者は罰を与えられ、場合によっては禊として命を差し出す必要がある。
天使の世界でも同様というだけのことだ。
殺人をしてはいけない、ただその当たり前のようなルールを守るだけでいい。
それは当然の警告。
そう、当然なのだが……。
「……………………」
詞音は、殺人に躊躇がない。
生き残るためならどんな大量殺人でも厭わないだろう。
宗一が彼女を制御できている内は大丈夫だろうが、もし、彼が将来的に詞音と離れ離れになるときが来たならば……。
「……事情は分かりました。俺たちも殺人せずに生き延びられるならその方がいいですからね、協力致します」
「僥倖極まれし、汲んでもらえて嬉しいよ。……気を悪くしないでおくれ。どんな親しき間にも超えてはならない一線はあるだろう? これはその一種だと思ってくれたまえ」
「ええ。重々理解しています」
最後に、響はいつもの柔和な表情に戻り、兄妹におやすみを告げた。
宗一はそれに挨拶を返したが、詞音は何も言わず、ただ響と源治の姿を見つめていた――。




