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6章 天使の力

「詞音ちゃん、ここはこの人たちに頼ろうよ。訝しんで拒否してもジリ貧だよ」


「……あたしは警戒つづけるからね」


 少しむくれる詞音の頭を一撫でしてから、今度こそ、宗一は女の差し出した握手に応じた。


「やあれ、邂逅を祝した自己紹介だ! 私の名前は空蝉響(うつせみひびき)、享年は二六歳。連れの男は窓塚源治(まどづかげんじ)だ。彼も君たちと同じく生存に窮していたから仲間になったクチでね、無骨な男ではあるが仲良くしてやってくれ」


「……窓塚デス。よろしク」


 執事のように綺麗なお辞儀をする源治の言葉は、どこかイントネーションが不自然なものだった。

 外国人が憶えたての日本語を使おうとしているようなたどたどしさだが、彼の顔は少し不自然さはあるものの日本人顔。

 しかし無理矢理発音を捻じ曲げているような不自然さはないので、恐らく、元々話すのが苦手な者なのだろうと思う。


「琴浦宗一です。背後にいるのは妹の詞音。……ほら、挨拶しよ?」


 そう宗一に促されるが、一方の詞音は唸りながら響を睨むばかり。

 どうやら彼女の警戒心は全然解けていないようで、響たちを悪人だと捉えて続けているようだった。


「ま、親交はこれから滔々と深めようじゃないか! よろしくね少年。それと、お兄ちゃんのことが大好きな幼子ちゃんも」


「……赤ん坊扱いすんな」


 あからさまに不機嫌そうな声で、詞音がそう返答する。

 だが響は全く気にすることなく、身振り手振りしながら芝居のように大仰な口調で言った。


「ああ、平身低頭極まれり! どこか昔の自分に似ている気がしたから子供扱いしてしまったよ、気を悪くしたならばすまないと謝らせていただこう!」


「その芝居臭い喋り方、ムカつくんだけど」


「なに、君たちも長く生きれば分かるさ。人間の脆弱な自我など数百年程度しか維持できない。本来の自我を経年劣化で失ってしまえば、もはや人格を演じることでしか生きていけなくなるものだよ」


 そう言って、響は兄妹に手の甲を見せつける。


 そこに刻まれた数字は――あまりにも膨大過ぎて、年単位に変換することは困難を極めたが――少なくとも五百年分は超えていた。


「先輩として最初の忠告だ。楽しく生きたいならほどほどにな、幼子ちゃん」


「……ふん」


 詞音の返事は興味のなさそうな冷笑だった。

 これには思わず宗一も焦り、詞音の手を掴んで少し離れた場所へ連れていく。


「あのさ、詞音ちゃんさ……ごめんだけど、も少し愛想よくできないかな……ほら、敬語使うなりなんなりでさ」


「ケーゴってなに」


「え、多分昔習ったと思うんだけど」


「クソババアに躾けられた気もするけど、使う機会ないからわすれた」


 そんなことってあるのか……と宗一は思ったが、よく考えてみれば確かに詞音が敬語を使っている場面なんか見たことがなかった。

 というより、敬語を使うような相手と会話する機会が母親によって奪われていたというべきか。


「じゃあ……とりあえず語尾に『です』とか『ます』とか付けといてね。あと相手煽らないでね? お兄ちゃん相手ならいくら煽り散らかしてもいいから」


「分かったます」


 多分何一つ分かっていないのだろうが、とりあえず最低限の処置というか最低の状態は脱することができたので妥協することにした。


 もっと強く言い聞かせて躾けたほうがいいのかな、と思いつつも、言うことを聞かない子供に言い聞かせるのとは訳が違うのだから慎重にならざるを得ない。

 一度手痛い虐待を受けて心が捻じ曲がったのだから、今こうして素直に言うことを聞いてくれるだけで奇跡に近いのだ。


「はっは、言葉遣いを気にするほど繊細な女じゃないよ私は! むしろ豪胆と呼ばれることがしばしばさ! なんならお好きに呼び捨てていただいても結構!」


 二人の会話は聞こえていなかったのだろうが、大体会話の内容は理解したのだろう。

 響はミュージカルのように大仰なアクセントを付けて笑う。


「長く生きていればね、出逢い頭にブン殴ってくる輩や、初対面なのに全裸で恭しい礼をしてくる輩に出会うこともあるからね。多少の軽口を言われるくらいならかわいいものさ」


 さて、と響は仕切りなおすようにして咳払いをし、宗一たちの目を見据えた。


「閑話休題。我々天使が手を汚さず生き延びるには、闇雲に飛び回ってはいけない。天使には力があるのだから行使しなければダメなのだよ。……天使規則四条、憶えているかい?」


「え? えっと、確か……」


「『天使は各々、翼に応じた力を賜る』ます」


 一瞬思い出せなかった宗一に代わり、詞音が回答する。

 その答えを聞いた響が満足そうに頷いた。


「そう! 我々天使は各々が違った力を持つ。人を救う力でもあり、人を殺すための力をね。例えば、ほら」


 響が源治に合図を送ると、彼は己の翼から羽を一枚毟り、地面に転がっていた丸太に勢いよく羽軸を突き刺した。


 その途端、丸太が空に舞い上がる。

 先ほど七輪が空中分解したときと同じように、化学現象では到底説明がつかないような挙動をしていた。


「ワタシの力、羽を刺したモノを自由に動かせマス。災害被災地や事故現場で重宝される能力デス。ですがこの力で人は楽に殺せマス。使い様によっては救う力になり得ますが、凶器ともなり得るのデス」


 彼の周囲を丸太が回る。

 そして土を撒き散らしながら、再び地面に横たわった。


 一連の動作が終わると、隣にいる響が手を打ち鳴らす。


「実演で天使の力がありありと分かっただろう! とどのつまり天使は力を使って寿命を稼ぐのさ。じゃ、少し君たちの力を見せてもらうよ」


 響が兄妹に近づき、それぞれの羽を一本ずつ毟る。

 そして右手に宗一の持つ純白の羽を、左手に詞音の持つ桜の羽を掴んで、源治のほうに向けて差し出した。


「源治、この二人の力を操ってみてくれるかい」


「畏まりまシタ」


 源治が両の翼から、弾丸のように羽を撃ち出す。

 彼の狙いは正確無比で、響の持つ両方の羽をそれぞれ貫いていた。


「おっと」


 羽の貫通から一秒後、宗一の羽は鈍い光沢を得て、詞音の羽は七色の光を放ちながら爆発して消えていく。

 爆発の煙と共に桜の花びらが舞い散っていた。


「成程。少年の羽はほら、こんな力を秘めているみたいだよ」


 響が宗一に向かって羽を放り投げる。

 慌ててそれを受け止めた瞬間、宗一の表情が変化した。


「硬い……?」


「硬化だね。その翼自体を硬化させることもできるだろうから、恐らく盾としての役割を持つのだろう。……力はその者の深層心理を反映するからねえ。心の底から守りたい誰かでもいるのかな?」


 宗一を――いや、その後ろに隠れている詞音を見ながら、響がそう言った。


「どちらかと言えば日常よりも戦地で輝く力だね。その盾を用いて兵を守り、寿命を稼ぐ。それが本来の使い道みたいだ。……でも反対に、撃ち出した羽は銃弾程の殺傷力を秘めているだろう。取り扱いには注意だね、どうか私には向けないでくれたまえよ! はっは!」


 人を救う力と、人を殺す力。

 宗一の力は、まさにその両方を体現するようだった。


 銃でもあり盾でもある、背反する役割の翼。

 人を殺すことへの甘言は、目を反らそうともその翼へ秘められていた。


「そして、幼子ちゃんの羽は見ての通り爆散だ。羽を爆発させる力、やばいね。復興支援の瓦礫撤去には使えるかな……? いやいや、飛び散る破片で人を傷つけるリスクがあるか。うーん……力の使い道のなんと難しきことか」


 ふーむ……と響が少し考え込む。


「人を殺すならばこの上ない力だけど、救うとなると使い道が思い浮かばないね。……こんな力初めて見るよ。幼子ちゃんの深層心理はどれだけ攻撃的なのかな……?」


「……人を救う方法なんて、教えてもらったことあるわけないだろ、です。殺す方法なら自分でいっぱい調べたんですがね」


 彼女の心の中に、兄以外の人間を救うなんて概念は存在しない。

 故に、彼女の力は殺すことに特化していた。


「……ま、闇が深そうだから詳しく聞くのは止めるさ! じゃあ最後に私の力を君たちに見せてあげようかな、実例付きでね」


 そう言いながら響は翼をはためかせ、数メートル分浮き上がる。


「さ、行こうか若人。君たちに少々の寿命をプレゼントしてあげよう」


 瞬間、響の体が空を舞う。


 月を背景に羽を散らせる彼女は、本物の――人々が想像に思い描く天使のように見えた。

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