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38章 禊

「……………………あーあ、迎撃されちゃった……」


 地面に横たわり、空を眺めていた響が力なくそう言った。

 二つの光がぶつかり合い、ミサイルが粉々に散って言った光景を見た彼女は、自分の描いたシナリオが終わったことを知る。


 もう、彼女には何もできないし、何も企てられない。

 そんな必要は無いとも言えるだろう。


 彼女の目的は達成されたのだ。

 もはや何一つ足掻くことはない、既に彼女は満足のいく結末を迎えたのだから。


「これで満足か?」


 彼女の傍で、同じく空を眺めていた交がそう問いかける。


「満足だよ……全部、すべてが、これでいい……」


 響は小さく笑い、瞳を閉じた。


 熾天使と会えた。

 それだけでもう、十分に満足なのだ。


 だから、自分が勝って世界の人間を洗脳し尽くして終わるのも満足。

 自分が負けて望むべき世界を紡げなくとも満足。

 ミサイルが飛来して、多くの人々と共に死ぬのも満足。

 それを阻止されて、何も変えられないまま終えるのも満足。


 どの結末であっても、彼女のシナリオ通り。


 だから、彼女は清々しい表情で笑うのだ。


「…………ねえ、熾天使さん……さっき、私は幸せになれるはずがないって言ったよね……」


「………………」


「でもね、今、幸せなんだ……」


「例え今、幸せであったとしても……お前の末路は地獄だよ」


 意を決したように交が立ち上がり、横たわる響に馬乗りになる。


 月を背負って妹の顔を見下ろして、交は寂しそうに笑った。


「……でもな、お前が地獄に落ちるなら、僕も一緒に堕ちよう。お前一人を不幸になんかさせるもんか、二人で罪を背負ってやる」


「…………変なの。まるで、私のことが大好きみたいだね」


「大好きなんだよ、どうしようもなく。……だって……憶えてないだろうけど、俺はお前のお兄ちゃんだからな」


 交の両手が、響の首元に伸びていく。

 その手に迷いなど無い、臆することもない。


 誰かが元凶を殺さねばならないなら、それは自分の役目なのだと彼は知っていた。


「………………ん」


 交の手が、響の首に触れた瞬間――彼女は、小さく瞼を揺らした。


 そして小さく息を吐いて、瞳を揺らして、自分の意思とは関係なく目尻に涙を浮かべる。


 彼女の記憶は、兄との記憶を全て忘れていた。

 憶えているのは誰か大切な存在がいて、その人物に依存していたということだけ。

 だから彼女が交の姿を見ても、その声を聞いても、懐かしさなど思い出すことはない。


 だけど、彼女の体は憶えていた。


 交の手から伝わる温もりを、知っている。

 ずっと昔から、自分はこの温もりを愛していた。


 だから彼女自身は思い出せないが、体が千年ぶりの再会に打ち震え、その瞳から涙をこぼすのだ。


 最初は小さな雫だった涙は、やがて大粒となり、頬を流れる一筋の涙道となり――もう誰にも止められない。


 自身の意思とは関係なく流れる涙に、最初こそ驚いていた響だが、やがて全てを理解して微笑んだ。


 狂気の意思など微塵もない、千年前のような笑顔だった。


「……貴方の言うとおり、ほんとに、お兄ちゃんなんだね……」


「そうだ。……交だよ。……空蝉、交」


「ごめんね。……私、何も思い出せない」


「仕方ないよ。……千年間も一人にさせてしまったもの。心が壊れるのも理解できる」


「でも、忘れたくなかった……気がするの」


「……そうだな」


「ごめんね」


「僕こそ、ずっと一人にさせてごめん」


「……私を殺すの?」


「ああ、殺すよ」


「……分かった。殺して」


「僕もすぐに行くから」


「うん、待ってるね」


「……………………」


「……………………」


「じゃあ、いくよ」


「うん」


「さよなら、響」


「おやすみなさい、お兄ちゃん」


 抱き締めるように、交は両手に力を込めた。


 そして体重をかけて、押し潰すように喉を圧迫して――涙を零しながら、喉笛を潰し続けて――。


 彼の持つ黄金色の翼が、徐々に黒く染まっていく。

 殺人の処女性を失ってしまえば、彼はもう熾天使としての役割を果たせない。


 けれども、大丈夫。


 これからどうなるのか、もう彼には分かっていた。


 熾天使として、地上の全てを見通して――その上で、彼は熾天使の座を降りていく。


 大丈夫だ。

 闇倉詞音は、強くなったのだから。


 そう思いながら、彼は大好きな妹を殺していく。


 さよなら、響。


 おやすみなさい、またいつか。

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