37章 塵と消えゆく親心
清正は宗一に近付いて、硬化の羽を一本毟る。
そしてそれを己に生えている模倣の羽に編み込んでいった。
「俺は駄目人間だ、クズだ、ゴミだ、弁解のしようもない。……例えお前たちに謝って許してもらえたとしても……俺が俺を許せないのだ」
硬化の羽を編み込み終えた瞬間、彼の翼は、鋼鉄の如き光沢を得る。
硬化した翼をはためかせて飛び、彼は宗一の後ろへと舞う。
「だから、これが俺の思う贖罪だ」
……そして、背後から、二人の子供たちを抱きしめた。
「いいか、作戦はこうだ。俺がお前たちの盾となり、ミサイルの真正面から激突する。恐らく我々は先端部にめり込んでミサイル内部へ至るだろう、そこで詞音は全ての羽を爆破させるんだ。……これなら、なんとかなるかもしれない」
「でも、そうしたら父さんは……!」
「死ぬだろうな。ただ無為には死なん。ミサイルとの激突からも、爆発からも、全力で守ってやる。……だが途中で俺が燃え尽きるかもしれない。そのときは宗一、お前が詞音を守るんだ」
「………………」
頷くことなどできなかった。
頷くことは即ち、父親の死を受け入れるのと等しいのだから。
「……臆するな宗一、お前はお兄ちゃんだろう。俺の死を乗り越えて妹を守れ」
「でも……」
「妹を守り切れるのは、お前しかいないんだぞ」
「………………」
どれだけ受け入れたくなくとも、頷かざるを得なくて――宗一は、黒翼を詞音に巻き付けるしかない。
少しでも位置がブレてしまわないように、しっかりと固定して、両の腕で抱き締める。
その二人を両腕で抱き締めて、清正が大きく翼をはためかせる。
もう、ミサイルは視認できそうなほどまでに迫っていた。
「……ま、まって、まってよ……」
詞音が慌てた口調でそう言う。
まだ、彼女は現実を受け入れられていなかった。
「だって、しぬって、そんな……まだなにも話してないのに、まだなにも……」
「……そんな時間はないのだ。分かってくれ、詞音」
「でも……!」
――その先の言葉を、詞音は継げなかった。
自分が地獄に落ちる原因となった父親のことは、大嫌いだった。
でも、窓塚源治として接していたときは、命を救われたこともあって――悩みを吐露したこともあり、慰めの言葉を受けたこともあって――生きていることを肯定されたのは、あのときが初めてな気がして――幾色にも塗り潰された感情が、臓腑の中で混ざり合う。
大嫌いな人だけど、話をしてみたいのだ。
だって、僅かな時だけど、心を許したこともあったのだから。
死ぬなんて言わないで。
ねえ、もっと話をしてよ。
本当に嫌いな相手なのか分からないから、あなたという存在を教えてよ。
ねえ、お父さん……。
「……ごめんな、二人とも。こんなダメな父親で、本当にすまなかった」
二人を強く抱きしめて、清正は懺悔する。
後悔しても後悔し終えない、償い続けても償い切れない罪を吐露して、心の底から悔悟していた。
「償う方法など、俺には分からない。……でもな、俺は、お前たちに生きていてほしいんだ。だから、自分の命をかけてお前たちを生かしたい」
「おとう、さん……」
「最後に、父親らしいことをさせてくれ。自己満足でもいいから、お前たちを助けたいんだ」
もう、二人は何も言えなかった。
どんな言葉をかけたとしても、もう清正の心を変えることはできない。
それに、ここで異論を唱えることは、清正の覚悟を軽視するのにも等しいだろう。
だから、彼らにできるのは、……受け入れることだけ。
「……そろそろか」
ミサイルの影は、もうすぐそこだ。
ジェットを噴射する音と空を切り裂く音が混じり合い、金切り声のような異音が鳴り響いている。
紅赤色の軌跡を残しながら空を往くその姿は、まるで流星。
その正体を知らない人々は、胸に抱いた願いを心中で唱えるだろう。
その正体を知る者は、せめて命だけでも助かるように祈りを捧げるだろう。
清正は翼を大きく広げ、一度大きくはためかせた。
いつでも逝く準備はできているのだ。
彼は二人の子を強く、今までにないほど強く抱きしめる。
この先何があろうとも離さないと決意するかのように、ただただ両の腕でその身を抱き寄せて――。
彼らは、往く。
空に瞬く二つの光。
一つは人々の命を奪い去る機械仕掛けの兵器で、もう一つは命を守るために立ち向かう燐光の天使たち。
それは地球から舞い上がる流星と、空から飛来する流星が近づいてくように見えた。
暗闇に染まっていた空は二つの光で翠色と緋色に染まり、この世のものとは思えないほどの異様な色へと変貌している。
……本当にごめんな、二人とも……。
そんな声が、聞こえた気がした。
紅き燈火と、翠の篝火がぶつかり合う直前。
清正は翼を畳み、胸に抱いた二人に纏わせる。
それはかつて宗一が、備蓄倉庫内の扉を打ち壊すために使った、砲弾の形状のよう。
三人の天使は球体となり、翼の加速で付けた勢いそのままに突っ込んでいく。
その球体の隙間――羽と羽の極々小さな間からは、詞音の翼が飛び出していた。
それは傍から見れば、羽が生えた球体。
異形の様相だった。
そして、二つの光が衝突する。
凄まじい轟音を立てながら、地震と勘違いする程の衝撃を地上に届けて――球体は、ミサイルの内部にまでめり込んでいく。
索敵装置と誘導制御部を破壊し、弾頭と信管部に至る直前――詞音の翼が、勢いよく爆発した。
それはミサイル内部に仕掛けられた兵器に誘爆し、次々と連鎖的な爆発を起こしていく。
爆発はミサイル自体を破壊し、装甲までもを焼き尽くし、父の体を焼き潰していった。
消えていく、何もかもが消えていく。
意識も、記憶も、痛みさえも。
琴浦清正が、消えていく。
それでも彼は、心臓の鼓動が止まっても尚、子供たちを守り続けていた。
その身が炎で喰いちぎられて、脳さえもが潰れても、それでも離すことはない。
体が焼き消えるまで、彼は子供たちを抱きしめ続けた。
宗一は目を瞑って、熱と衝撃が止め処なく続く地獄に耐え忍んでいる。
胸の中に抱いた詞音に、少しでも被害が行き渡らないよう、強く強く抱きしめて……。
どれだけ苦しくても、その手を離すことはない。
だってこれは二度目の地獄、あの日飛行機内でも味わった灼熱地獄なのだから。
一度は耐えきった地獄に屈するわけもない――。
……そして、最後に大爆発を起こして――空が静寂に包まれる。
ミサイルの機体の一部と、燃え尽きた羽が燃えカスとなって落ちていく。
それは灰のように風に乗って、どこか遠くへ消えていった。
翠色と緋色の光が消えた後、……空に浮かぶのは、たった一つの黒い影。
詞音を強く抱きしめた、宗一の姿だった。
その体は大半が焼き焦げていて、人間であれば死んでいるほどの傷だが――生きている。
そして彼が命を賭けて守った詞音も、傷一つなく生きている。
ミサイルは消えて、……琴浦清正の姿も、消えていた。
最初からそんな存在などいなかったかのように、清正の形見一つ残っていない。
「……詞音ちゃん、大丈夫……?」
火傷の痛みを堪えるために表情を歪ませながら、宗一がそう問いかけた。
彼の胸に中にいる詞音は、小さく一度頷く。
「あたしは大丈夫……宗一は……?」
「……なんとか無事だよ。俺はね」
「………………そっか」
今の詞音は宗一の翼に包まれていて、視界が塞がれた状態だ。
しかしそれでも、今の宗一の一言で、父親が死んだことを理解する。
涙は出なかった。
それほどに深い思い入れなど、ないのだから。
けれど詞音は、少しだけ寂しそうな顔をして、もう一度「……そっか」と呟いた。
名残惜しそうにしながらも、宗一が詞音の体を離す。
詞音は羽のほとんどを爆発のために費やしていたが、まだ空を飛ぶことができるくらいの翼は残っていた。
全てが終わり、世界に静寂が戻ってくる。
これでもう、二人を脅かすものは存在しない。
二人が永遠を過ごせる世界を手に入れたのだ。
たった一つ、逃れられない末路を除いて。
「……ねえ、宗一」
宗一から解放された詞音が、兄の顔を見て言う。
「どうして、そんなにおどろいた顔してるの……?」
そう問いかける詞音の手の甲には、三十六万人を超える数字が光っている。
彼女には見えていないのだ。
その背で頼りなく羽ばたいている自分の羽が、徐々に黄金色を帯びていることが。




