33章 父が語る悔恨
「………………」
宗一はある程度の距離を保ちながら、源治の姿を見据える。
……脳の羽を打ち砕かれた源治は、死人のように首をおかしな方向へ曲げて、ただ立ち尽くしていた。
その目は虚ろで、何を見ているのかも分からない虚無の深淵のよう。
しかし、やがて、その口から言葉が発せられる。
「宗一……」
「……父さん!」
その声を聞いて、思わず宗一が源治の元へと駆け寄る。
源治は、……いや、清正は、宗一の姿を霞んだ目で見据えた。
「立派に……なったじゃないか、お前……」
二人が再会するのは、十六年ぶりだ。
当時の宗一は二歳だったのだから、父親の記憶などあるはずがない。
それでも、宗一には分かっていた。
今目の前にいるのは響によって作られた窓塚源治という存在ではない。
自分の父である、琴浦清正なのだ。
「父さん! ……正気に戻ったの……?」
「あぁ……。お前の……おかげだよ」
口から血反吐を吐きながら、清正がそう告げる。
その顔に浮かぶのは笑顔。
永く、永く会うことが叶わなかった息子に向ける最愛の表情だ。
しかしそこに差し込む影は、実の子を育てることもできなかった自分の不徳を思い知っているからか。
それとも、実の家族をその手にかけた罪悪感があるからか。
「父さん、あの、あのね……」
宗一が何かを言おうとして、口ごもり、唇を戦慄かせ、ただ言葉にならない音を発す。
言いたいことはたくさんあった、話したいことはたくさんあった。
もしも父親が生きていてくれたなら、どんな話をしようか。
……そんな妄想は、何度だって繰り返してきたのだ。
だけど、いざ目の前に相対すると、言葉など出てこない。
言うべき言葉を探して、沈黙ばかりが喉から絞り出されて、慌てて、ふためいて、その果てに――。
「……すまない、宗一」
先に言葉を発したのは、清正の方だった。
脳が零れないように頭を抑えながら、深く深く息子に対して頭を下げている。
「お前も、詞音も……いや、琴浦家と闇倉家を不幸にしたのは、俺が原因だ。弁明の余地もない。……殴るなら殴れ、詰ってもいい。お前の気が済むようにやってくれ」
「で、でも……それは、空蝉響が父さんを操って……」
「だとしても、罪は変わらない。それに俺は、生前も罪を作り続けた男だろう」
家族よりも他人を優先する気質のせいで、妻との愛情を育めず、詞音が虐待される原因を作り、残された宗一を置いて急死した。
……それを考えれば、確かに罪を抱えて死んだと言えなくもないだろう。
罪は禊によってしか償えない。
それを、彼は息子に求めているのだ。
禊、禊とは、即ち……。
「もしお前にその気があるのなら……このまま死なせてくれると、嬉しい」
「ばッ……か、言わないでよッ!」
叫んだ本人ですら驚愕するような大声が、宗一の喉から絞り出される。
握り締めた拳も、唇も、どうしようもなく震えて止まらなかった。
「あんたは! 家族を優先できなかった男だろッ!? そんな男が家族に、残酷なことを頼むなよ……! まだ、家族を傷つけようっていうの……!?」
「宗一……」
「後悔するのなら、憂いでいるのなら! 今度こそちゃんと父親らしく生きてよ! もう俺たちから逃げないで、ちゃんと家族に向き合ってよ……!」
先ほどまで何を言えばいいか分からなかった。
しかし今は、堰を切ったように言葉が溢れ出る。
宗一の本心が、脳を介さず、感情をぶつけるように言葉となって口から発せられていた。
「ちゃんと、詞音ちゃんの父親でいてやってくれよ、父さん……!」
「……………………」
生きる希望が失われていた清正の眼は、深淵の如く純黒に染まっている。
しかしそんな瞳の奥には、仄かな光が瞬いている。
それは記憶、清正が死して尚憶え続けているかつての情景だった。
自分の存在価値を理解できない彼は、他人を助けることでしか自己を確立できなかった。
もし自分が他人の助けとなれないのならば、この世にいてもいなくても変わらない透明人間に近しい者なのだと思っていた。
別段格好がいいわけでもなく、頭がいいわけでもない。
性格がいいわけでもなく、運動神経や特技を持つわけでもない。
友達が多いわけでもなく、誇れるほどの恋愛経験値があるわけでもない。
他人を助けること以外、自分にできることなど何もないと思っていた。
他人の機嫌を窺うことでしか、自分を認識されないと悟っていたから。
結婚し、家族ができても、その幻影からは逃れられなかった。
……でも、人生で一番幸せだった瞬間はいつだったのかと問われたら、彼は迷わずこう答えるだろう。
初めて自分の子を抱いたときが、一番幸せだったと。
あのとき感じた幸せは、その手に触れた暖かさは、嘘なんかではない。
「……今更……父親になれるのかな……?」
「なれるかどうかじゃない、頑張って父親になるんだよ! ……誰だってそうやって頑張ってるもんだろ!」
誰しもが不安の中で親となり、不慣れにも努力して、最後まで迷いながら育てていくのだ。
努力もせずに放棄するなど、愚かしい親でしかない。
初めから逃げ腰な状態で向き不向きを語るなど、怠惰と呼ぶしか表せない。
「……子供に、そんな説教を喰らうなんて思わなかったよ」
「俺も、こんな説教したくないよ」
「そうだな。……ごめんな、いつも迷惑かけっぱなしで」
清正は空を見て、小さく息を吐く。
この後何が起こるのか、響の計画を全て知る彼には分かっていた。
詞音が勝とうが負けようが結局は響のシナリオ通り、清正が勝機を取り戻しても、予定外の事態など起こるはずもない。
だが、もしそうだとしても、その末路を見届ける義務があるのかもしれない。
「……宗一、詞音のところに行こう。あの子が勝っても負けても、響の企てた作戦は続く」
「負けてもまだ続くというの?」
「ああ。あの響が素直に負けを認めると思うか? 負けた時の保険――いや、八つ当たりは用意してあるだろう」
「それは……そうだね。ただで死ぬとは思えない」
二人は黒翼を広げ、空に向かって飛び立った。
「……父さん。ちゃんと約束は守ってくれるよね」
「ああ、守るよ」
不安そうな視線を向ける宗一に、清正は笑顔を見せる。
それは宗一が詞音に向けてきたのと同じ、相手を思いやるための笑顔だった。
「父親として、最後まで見届けるよ」




