32章 アポカリプス・デイ【心を写す黒刃】
「あぁああぁああぁアァアアァアァアあああぁアァァアアアアアアアッ!!!!」
獣のような声を上げながら、宗一が手に持った黒翼を薙ぐ。
刃毀れも無く、骨で止まることも無し。
その剣は人々の体を一薙ぎに裂き、上半身と下半身を分断した。
「…………」
源治が目を見開いて、宗一の姿を見据える。
翼を剣とするならば、羽の残り枚数など気にする必要はない。
それに一人一人に狙いをつける必要もなく、ただ思いっきり振り回し続ければいい。
デメリットは飛行能力が落ちることくらいだが、得たメリットは計り知れないくらい大きい。
恐らく、現状況の最適解と言えよう。
「素晴らしイ……素晴らしイ!!!」
彼の口を通して、響の意思が吼えていた。
「君ハ! 幼子ちゃんなんかよりよっぽど人殺しの才能があル! いいよ、優しさの皮なんか脱ぎ捨てて獣になれ少年!! やっぱり君はおもしろい男じゃないカ!!!!!」
羽の銃弾を撃ち出す能力を、障害を打ち破る砲弾とし、その身を守る盾とし、周囲一帯を刈り尽くす剣とする。
能力の応用度は詞音よりもよっぽど上、彼はありとあらゆる方法で能力を発展させていく。
誰よりも優しくありたい兄は、誰よりも人殺しの才に愛されていた。
誰よりも世界を憎むはずの妹は、誰よりも人殺しの才が無かった。
そんなの、皮肉でしかない。
「でも、どうかなァ……そのまま押し切れるかナ?」
しかし既に源治は気づいていた。
宗一が命を賭して手にした剣に眠る、巨大な時限爆弾を。
今はまだ安泰だろう。
だが時間が立てば、それは勝手に爆発する。
予想もしていなかったデメリットが、宗一の身を死へと追いやるのだ。
源治がやることは何も変わらない。
安全圏ギリギリから宗一を監視し続け、隙があれば羽を飛ばし、隙が無ければ時が満ちるのを待つだけだ。
「アぁアあぁあァアアああああァアアァッ!!!」
背中を蟲に喰いちぎられ続けるような痛みを吹き飛ばすように、宗一はあらん限りの叫び声を上げながら剣を振るう。
彼へと襲い掛かる人々は、次々に薙ぎ倒されて体を真っ二つにされていた。
次々と、死体が積み上がる。
次々と、人々が伏していく。
羽が尽きる心配も無くなった今、全ては宗一の独壇場――と、なるはずだったのだが。
もう、宗一は気づいている。
この反撃が長くは続かないことを。
「あぁあぁあああアアァアあぁア……ッッ、はぁ……ッ!!」
彼の息が、一度上がる。
肩を揺らして、口をだらしなく開けながら、彼は呼吸を繰り返していた。
……そう、それこそが時限爆弾。
やがて必ず訪れる末路だ。
一人の人間を持ち上げられる羽は、相当巨大だ。
鳥を見てもそうだろう、彼らの翼は体躯の半分ほどを占めている。
ある程度翼が大きくなくては、空など飛べないのだ。
巨大な羽、しかも鋼のように硬化していて、尚且つ背中には片方の翼が生えていてバランスが取りにくい状態。
そんなものを振り回していれば、やがて訪れる結末がある。
体力切れだ。
「はぁ、はぁッ……あぁああアァアッッ!! ……ぜぇッ、ぐ、えぇえ……ッッ!」
もはや吐き気すら覚えるほどの疲労が、宗一の体を襲う。
剣を振り回す重労働をする前から、彼は空を飛び、羽を撃つという精密作業をしていた。
しかも気を抜けば洗脳されてしまうという極限状態だったのだ。
……体力が続くほうがおかしいのだ。
もはや彼は足取りも覚束なく、フラフラと体を揺らしながら、勢いに身を任せて剣を振るう他ない。
体力は限界。
翼を一本失ってしまったから機動力も失われた。
羽も残り少ない。
宗一に残された時間も、残り僅かだろう。
果敢に立ち向かえるのも、残り一分が精々だ。
誰もが、宗一の死を予見していた。
(……そろそろ、か……ッ)
歯を食いしばって剣を振るいながら、宗一が心中で呟く。
もう、誰も宗一を脅威だとは思わない。
体力の尽きた窮鼠は猫を噛むには至らずだ。
誰もが彼の敗北を疑わない――。
――疑わないのは、当然。
しかし、当然という思い込みが、油断となる。
(体力が尽き、反撃の手段も無いと……思ったよな、父さん……)
源治は、安全圏ギリギリから、終わりのときが来るのを待っている。
そこが、本当に安全圏なのかも知らずに。
(油断がお前の専売特許だよな、空蝉響ッ!!)
体力が尽きる瞬間、宗一は、黒翼の剣を空に投げ捨てる。
月灯りを浴びながら、空へと消えていく最後の凶器。
……その突拍子もない行動に、誰もが一瞬目を奪われた。
宗一を除く全ての視線が、月と重なる剣へと注がれる。
だから、誰も見ていなかった。
宗一が一瞬で加速をつけて、源治へと突撃する瞬間を。
「…………!!!!」
不意を突かれた源治の脳が、高速で回転していた。
この距離なら大丈夫だ。
元々捨て身の突撃は予想できていた、ここはそれを含めての安全圏。
例え不意を突いて突撃したところで、宗一の攻撃を全て躱すことのできる距離だ。
そうでなければ誰が安全圏などという言葉を使うものか。
……そう思い描き、源治の脳を通して響が安堵する。
負けは無いのだから。
「え……、あ……ッ!!」
だが、その表情が一瞬にして変わる。
突撃してくる宗一の速度が、源治の、響の想定を遥かに超えていたのだ。
その現象が切っ掛けとなり、源治に解答をもたらす。
宗一は片翼を失い、機動力を削がれたはずだった。
……だが、備蓄倉庫の一件で片翼が使い物にならなくなった彼は、修復されるまでしばらくの間、片翼だけで空を飛んでいたのだ。
彼は慣れているのだ、一枚の翼で空を飛ぶことに。
だとしたら、それを計算に入れた上でのこの距離は、既に安全圏などではない。
(驕ったな、空蝉響ッ!!)
もし、普通に相対していたならば、きっと宗一の作戦は見抜かれていた。
片翼で飛ぶことに慣れていることくらい、響なら気づけただろう。
だが源治を操る響は、詞音と戦闘中だ。
しかも傀儡である源治は一万人の人間を操作していた。
どれだけマルチタスクに長けている存在でも、数多くの物体を動かしながら敵の作戦に思いを巡らせることなどできはしない。
洗脳で全てを操れるなど、傲慢な思い上がりでしかないのだ。
彼女は、自分の能力に足を救われたに等しい……!
「届けッッッ!!!」
あらん限りの距離を詰めて、宗一が翼を発射する。
羽の切っ先は、源治の頭部へと向かって一直線に飛んでいく。
避けきることはできない、既にここは回避が確約された安全圏ではないのだから。
「く……ッ」
しかし、例え安全圏でなくとも、それは紙一重だった。
源治は全力で身を捻り、羽を避けようとして――。
硬化の羽は、彼の左側頭部を砕き、肉を裂きながら頭蓋骨を破壊した。
「……!」
左側頭部。……人間なら致命傷だが、生命力の高い天使にとっては単なる重症だ。
宗一は一撃必殺が回避され、勝率が著しく下がったことをその身に感じていた。
二発目の羽を発射しようと翼を逆立てるが、それが敵の命を奪える確率は低いだろう。
元より敗色濃厚だった戦いが必敗に代わっただけのこと。
……そう自嘲しようとして、宗一は気づく。
砕かれた左側頭部からは脳が露出していた。
その脳に突き刺さる、一本の輝く羽。
その色はエメラルドグリーン。
この一週間、何度だって見てきた響の羽だ。
「……ッ、ぐ……ッ!」
その羽を、源治が呻き声を上げながら引っ掴む。
これ以上脳の深くへ入っていかないよう、その手でしっかりと固定して――。
源治の目と、宗一の目が合った。
「……宗一ッ、砕けッッ!」
最後に聞いたのは二歳の頃なのだから、憶えているはずがないのだ。
でも、記憶は憶えていないはずなのに、感情が知っているその声色。
紛れもない、父の言葉だ。
「……ッッッ!」
その言葉に呼応するように、宗一が羽を発射する。
その羽は正確無比に、源治の手諸共、頭に突き刺さっていた羽を破壊した――。
黒翼とルミネセンスの羽が混ざり合い、吹っ飛び、残滓が一つとなって消えていく。
……それと同時に、誰もが動きを止めていた。
地上にいる洗脳人間も、遠方にいる狙撃部隊も、源治も、宗一も。
洗脳人間たちが、次々と倒れていく。
狙撃部隊たちが、次々と銃を取り落とす。
静寂の中に、そんな鈍い音が木霊していた。




