31章 アポカリプス・デイ【交差する黒翼】
二種類の漆黒の羽が、世界に降り注ぐ。
それは西洋の宗教画のように盛大で美しき光景だが、地獄絵図。
一万人もの洗脳人間が、挙って宗一を狙って蠢く亡者の地獄だ。
彼らは各々自由な方向から迫り、宗一に羽を刺そうと肉薄していく。
いや、一万人というのはもはや過去の人数だろう。
彼らの攻撃を掻い潜りながら、宗一が翼を放って彼らを殺し続けているのだから。
「………………」
宗一の放つ羽は、的確に人間の頭部を吹き飛ばしていた。
紅い鮮血と桃色の肉が飛び散り、寺院をけばけばしく彩っていく。
あれほどまでに自然に溢れていたこの場所は、いつしか人間の体液が滴る死地と化していた。
血の海、臓器の具材、失われゆく命。
それは、どこか渋谷の光景にも似ている。
響の作り上げた地獄と同じ光景が、ここにも存在していた。
「く……!」
森の中を飛び逃げながら殺戮を繰り返していた宗一だが、先回りした人々に行く手を塞がれる。
先も前も敵陣、既に彼は囲まれていた。
だが四方八方が敵に囲まれていたとしても、彼ら天使には空がある。
人間たちには及び届かない聖域だ。
宗一は空へと一時退却する――。
しかし、無論、宗一が逃げ辛い森の中でわざわざ戦っていた理由がある。
空が天使の独壇場だとしても、決して空へは逃げられない理由があるのだ。
「……ッ」
空へと飛び立った宗一へ向かって、何かが飛来する。
目で追える速度ではない。
宗一は反射神経だけで体を捻り、翼を盾にして飛来物を防いだ。
小型注射器と銃弾の形を足して二で割ったようなそれは、麻酔弾だった。
遥か遠くの建物には、狙撃銃のスコープで宗一を捉え続けている別働部隊がいる。
彼らは飛び立った宗一に対して麻酔銃を撃ち込むように洗脳されていた。
超高速で迫り来る麻酔弾から身を守るには、かつて備蓄倉庫内でやったように、硬化した羽で己の体を包み込むしかない。
しかし、それもまた命取り。
「……隙ありデス」
宗一がその体勢を取った途端、暗がりから源治が現れる。
彼は宗一の射程外ギリギリを位置取り続け、チャンスを窺っていたのだ。
彼が狙うのは硬化した羽ではない、そこを狙っても弾かれてしまうのは、昨晩不意打ちしたときに学習済みだ。
狙うは、翼の付け根。
唯一硬化できないウィークポイント……!
「くッ……そ!」
源治に気づいた宗一が、翼で身を守ったまま、四方八方に羽を乱射する。
迫り来る羽から身を守るため、源治が樹の裏に姿を隠す。
羽は木々に突き刺さり、地上の人々に突き刺さり、天に向かって儚く舞い散った。
「……ッ!」
その隙をついて、宗一が再び地上へと舞い戻る。
本来自由であるはずの空は、彼にとっての袋小路。
遮蔽物がなく、狙撃手と源治にとっては格好の狩場でしかなかった。
これこそが、空へと逃げられない理由だ。
しかしさりとて、地上が安息地であるわけもない。
宗一が地上に戻るなり、今度は地上の人々が呻き声を上げながら突進していく。
後の光景は先ほどと全く同じ、人々は森へ逃げる標的を追い、宗一は逃げながら人々の数を減らしていくのだ。
……もしも、これが永遠に繰り返されたならどうなるだろう。
宗一は難を逃れ続け、人々は時間と共に数を減らしていく。
やがて訪れる結末は、地上にいる人々の全滅。
源治と狙撃手だけでは宗一を追い詰めるには不十分なのだから、それは源治の敗北と言えるだろう。
もし、それが永遠に続けばの話だが。
「はぁ……はぁ……ッ!」
……戦闘開始直後に比べて、宗一の羽は貧相なものになっていた。
コットンの如き手触りと美麗な見た目はかつての栄光、今の彼が背負うのは痩せて細々とした細い羽だ。
羽は無限にあるわけではない。
どんな動物であろうが、天使だろうが同じだ。
いや、本来、羽は有限ではないはずだ。
寿命の力によって怪我が徐々に治りゆくように、羽の数も徐々に回復していく。
しかし、その回復速度は戦闘中に効果を発揮する程ではなかった。
それもそのはず。
もし羽が無限に打ち出せるなら、響が源治を洗脳した瞬間、この計画を実行に移していただろう。
十年間以上も計画を眠らせ続けたのは、人類全てを洗脳するために必要な羽が確保できなかったからだ。
源治が適度な距離を保ちながら、宗一の羽を窺い見る。
「焦る必要はナイ……やがてあの男は窮スル……」
彼は安全圏から、そのときが訪れるのを虎視眈々と待てばいい。
これは戦いではなく、ただの狩りだ。
得物を追い詰め続け、やがて反撃する力を失うまで甚振り続けるだけのハンティングゲームでしかない。
宗一に残された羽の枚数では、三十分抵抗し続けられれば上等というところだろう。
(それくらい分かってる! ……分かってるよ……!)
自分に破滅の未来が待ち受けていることは、宗一にだって分かっていた。
しかし抗う方法はある。
別解は既に浮かんでいるのだ。
後はその決断をするだけ。
……死痛を乗り越えて、死を回避する決断を。
「あぁあぁッ!」
宗一が地上で翼を丸め、周囲に向かって羽を発射する。
彼の近くにいた人々が全員薙ぎ倒され、半径十メートルほどのエアポケットが生まれた。
しかしそれも無意味、むしろ無駄。
一発一発狙って頭部を破壊していけば羽のロスが少なくて済むが、こうしてばらまけば無駄羽を撃ってしまう。
自分の寿命を削るだけの徒花だ。
……そう、源治が思った刹那の事だった。
「お、……あ、ああぁッ、あぁあああぁあアァああぁッ!!!!」
宗一が、己の翼を引っ掴む。
そして、鞘から剣を抜くように、翼を引っ張り――背肉と血液をぶちまけながら、引き抜いていく。
翼の根元には、想像を絶するほど太い神経が繋がっていた。
当然だ、何千もの羽を一発一発自由に打ち出すのだから、根元の縒り合された神経が太いのは当然。
それを引き抜こうとすれば、激痛が走るのも至極当然のこと……!
歯を引き抜いたとき、細い神経が通っているだけなのに悍ましいほどの激痛が走る。
……翼の根本に通っているのは、その何倍、何十倍もの太さを持つ神経だ。
それを引き抜き、あらん限りの力を込めて、引きちぎる。
かつて飛行機から落ちたときよりも、遥かに強大で明確な痛み。
それは、死痛と呼ぶに相応しい苦痛だった。
宗一の口から漏れるのは、悲鳴ではなく慟哭。
吹き出す涙、明転する視界。
血が溢れ出る背中はまるで燃えているかのよう。
痛みが彼の意識を奪おうとし――持ち堪える。
それは死痛と引き換えに、彼の手に収まる武具。
硬化した黒翼は巨大な剣を模し、月灯りを吸収して黒光る――。




