27章 アポカリプス・デイ【始動】
午後九時四十五分、世界の行く末を決める分水嶺はすぐそこだった。
響の宣告した集結時刻まできっかり十五分。
他の策を立てる時間もなければ逃げる余裕もない。
この土壇場でできることは、これから待ち受ける決戦に覚悟を決めることだけだ。
「……そろそろだね」
中野区の虚空を飛びながら、詞音がそう呟く。
隣並んで飛んでいた宗一が頷き、遥か先に霞んで見える地平線に目をやった。
その地平線の先には、今はまだ目視できないが、かつて響たちと暮らしていた寺院が聳えている。
詞音の行くべき杉並区第七災害備蓄倉庫は別方向、地理的な目線で考えれば、この辺りで分かれるのが丁度よさそうだった。
「詞音ちゃんさ……もし、」
「しなないでよ」
宗一が何を言おうとしていたのか分かっていたのか、詞音は掻き消すように言葉を重ねる。
「しんだら、ゆるさないから。地獄の果てでも天国の末でも、どこまでもおっかけて殴ってやる。感情に身を任せたあたしの怖さを一番知ってるのは宗一でしょ、わかったら生きてかえってきて」
――もし俺が死んだら、詞音ちゃんは俺の代わりに強く生きてくれ。
宗一の言おうとした言葉が喉を下り、腑の中で消えていく。
賽の投げられた今、もしもの話に意味など無い。
どうせ仮定を語るなら、もし二人共生き残ったらどんな楽しい宴を催そうか、みたいな話をしたほうが百倍マシだろう。
戦う前に敗北を描く愚か者は、いつだって死の淵に立たされるのだから。
「……分かったよ、約束する。詞音ちゃんも生きて帰ってくるんだよ」
「わぁーかってるって。あたしを誰だと思ってんの、しぬわけないじゃん」
「既に一回死んだような気がするんだけど」
「宗一もでしょうが。次はゆるさんからね」
「それと……できれば、誰も殺さないでね」
詞音の表情が強張る。
それは大変無理のあるお願いだからだ。
「……命を賭けた戦いで、そんな無茶いわないで。油断してたらしぬよ」
「やっぱり厳しいかなぁ……」
「きびしいというより、あほ。敵をなめすぎ」
「……だよねぇ」
宗一が残念そうに、そして誤魔化すように笑う。
そんな兄の表情を眺めてから――詞音はわざとらしくため息をついて、肩を竦めながら応える。
「……やるだけやってみるわ、ばか宗一。でも約束はできないからね、保証もね。あとうまくやりきったらほめろ、超ほめろ。褒美も用意せい」
「ご褒美、何がいい?」
「もっかい夏祭りつれてけ。今度は花火つきで」
「分かった。……じゃあ、そろそろ」
「ん」
二人は一秒間だけ掌を合わせた。
最後になるかもしれない家族の温もりを感じてから、後ろ髪を引かれることなく、各々が行くべき方向へと飛び始める。
宗一は北へ、詞音は西へ。
残された時間は後十分。
飛び続ければ余裕で間に合う時間だが、最終決戦が始まるまでの刻限と捉えるとなんと短きことか。
思えば、天使に成ってからこれほどまでに離れることは初めてのことだった。
ずっと共に在り続けた二人の天使は、世界の終端に至り、ようやく各々の道を歩き出す。
再びその道が交わるときが来るのか、それは、本人たちにも分からない。
ただ一つ言えることは、もう二度と、二人は夏祭りへは行けない。
約束は、果たされないのだ。
果たされぬ約束を夢見ることのなんと甘美で、なんと残酷なことか。
それは戦場で兵士の舌を甘く蕩けさせるサッカリン、生への活力を与える原動力。
叶わない約束を夢見て、二人は行く。
そして、アポカリプスが始まる。




