19章 天を裂く黄金
「お前は! なにがしたいんだッ! ミレニアムウイングになりたいとか、熾天使になりたいとかッ! それが目的なだけでここまでするのかッ!?」
「いや、それが第一目標なんだけどね。ほら、私優しいからさ、熾天使を継ぐ前にみんなを幸せにしなくちゃなーって思ったんだよ」
こんな状況であっても笑顔を絶やさず、響は優雅に両手を広げて羽を舞い散らせた。
その羽一本一本が、人を操作する邪の羽。
彼女の翼には、それが何百も、何千も、何万も生えている。
それを見せつけながら、彼女は告げた。
「ほら、少年が今日言っていただろう。『誰も傷つけなくても天使が生き続けられたら最高』って。それね、私も思ってたんだよ。……だからね、全ての人間を洗脳して世界で大戦争を起こすことにしたんだ。そうしたらほら、命を救う対象がたくさん増えるから、天使の食い扶持が増えるでしょう?」
「……天使を生き永らえさせるために、人間を苦しめるっていうのか……!?」
「あぁあぁ、私優しいからそんな酷いことしないさ。洗脳した人間の脳には常に脳内麻薬を流し込んで、多幸状態を続けさせてあげるんだ。ほら、人間みんな幸せ。天使もみんな幸せ! そんな世界を作ったら熾天使を継いで、この地球の礎となるんだ」
今までで一番眩い、とびっきりの微笑を浮かべて、彼女は翼をはためかせる。
「ほら、私って優しいでしょう?」
常識の捻じ曲がった空間では、笑顔こそが一番の狂気だった。
「……!」
そのとき、宗一の体が地面に墜落する。
両手両足どころか、翼すら動かせなくなり、彼は地面で芋虫のような状態になっていた。
受け身も取れずに地面に落ちた痛みなど気にしている余裕はなく、ただ彼は今の状況を理解できずに混乱するばかりだった。
「なんだ……!?」
唯一動かすことのできた首を捻り、彼は自分の背中を確認する。
……彼の両腕、両足、そして翼の付け根には緑色に光る響の羽が突き刺さっていた。
しかも普通に刺さっているだけではない、その羽の中心部には、更にもう一つ響の羽が刺さっている。
響の羽に響の羽が刺さっているということは、つまり――。
「驚いた? 不測の事態に備えて、自分の羽を自由に操作できるよう仕掛けを設置しておいたんだよ。いや、翼の付け根まで硬化できなくて助かったよ。おかげで君の全てを掌握できた」
兄妹対決見たかったけど、少年がどうしてもやりたくなさそうだったから止めてあげたよ。
私優しいからね。
……そんな言葉すら聞こえないほど、宗一は焦っていた。
四肢も、翼も使えない。
使えるのはせいぜい首から上だけ。
逆転の方法はあるか。
思いつかない。
詞音だけでも逃がせないか。
思いつかない。
……思いつかなくても思いつけ、このままだと傀儡になるんだぞ。
しかし、そんな考えを巡らせる宗一の前に、羽の切っ先が迫る。
「では、話にも飽きたし、これにてお別れだ」
響が己の羽を握り、宗一の額に近づけていく。
距離が近づくにつれ、緑色の燐光が宗一の視界を塗り潰していき――響の顔が見えなくなって――なにもかもが、緑色に染まり――。
「宗一ッ!!」
詞音の叫びも、今や、遠くに感じて……。
――黄金の羽が、世界に降り注ぐ。
天使の降臨と共に、羽が舞い散ることはよくあることだ。
燐光を発しながら降り注ぐ天使の羽は、美術館の絵画を思わせるほど芸術的で美しい。
だが、その羽は普通の天使が落とすものより多く舞っていた。
具体的な数は分からないが、きっと三倍くらいだっただろう。
何故三倍だと分かったか。
それは、翼の数が三倍だからという単純な計算に基づいていた。
天から一人の天使が舞い降りていく。
それは隕石のように真っ直ぐに、戒壇堂へと向かって落下していた。
黄金の軌跡が真一文字に描かれたその様は、薄明光線と呼ばれる現象。
薄明光線は、天使の梯子と評される。
それは、空から天使が舞い降りることを指す。
薄明光線は、ゴッドレイとも評される。
それは、神の齎した光であることを指す。
天使であり、神でもある唯一の存在――。
「……あ、あんたは……」
熾天使が、宗一の前に舞い降りた。
戒壇堂の天井に空いた大穴からは黄金色の光が差し込んでいる。
朧月夜だというのに朝日のような玉光が煌めいて、空蝉響という罪人を灼たかに照らしていた。
熾天使と対面する響の瞳が、少しずつ見開かれていく。
六枚の翼を持つ異形の天使を前にして、彼女は今まで浮かべていた笑顔を失っていき……。
「あぁ……本当に、本当に……」
響は、……熾天使の姿を見て、涙を零す。
その涙の意味を、宗一も詞音も、源治でさえ理解することはできない。
しかし彼女はそれでも構わなかった。
「存在していたんだね……」
目の前に存在する熾天使。
彼にその意図が伝われば、それで満足なのだから。
熾天使は宗一と詞音の体を抱え、翼を大きくはためかせる。
彼の一挙手一投足に呼応して黄金の羽が舞い、世界の光度を上げていった。
今や、戒壇堂内は日中よりも明るく――目が眩むほどの光を放ち――視界の全てが黄金を超えた純白に染まり上がる。
誰も、何も、見ることの叶わない世界。
そして、響たちが視界を取り戻した時。
……熾天使の姿は消えていた。
彼の抱えていた宗一と詞音もだ。
戒壇堂に残されたのは、響と源治だけ。
もう熾天使の羽すら朝を迎えた霜柱のように消え去って、全てが夢であったかのように現実感が舞い戻ってくる。
「……………………」
取り残された響は、戒壇堂の天井に空いた大穴を見上げて、今の出来事が現実であったことを再確認する。
そして、口を歪めて笑った。
「……見たかい源治。熾天使は本当にいたんだ、私たちの努力は徒花ではなかったんだ」
宗一たちが熾天使に会ったと証言したことで、彼女の中の不安は確信に変わりつつあった。
そして今熾天使を目撃して、彼女は全てを確信する。
代替わりのときが、来ている。
響が何百年も待ち続けた祝祭が始まるのだ。
世界を変えよう、天使と人間が幸せになれるよう争いを煽動しよう。
誰もが幸せになれる世界で熾天使を迎えよう、そして今度は己が熾天使となってこの世界を守っていこう。
求めし者が再び舞い戻った世界を、素晴らしい世界にしようじゃないか。
そんな響の願いが、成就するときが来た。
「始めるよ、源治。平和な世界が終わるんだ」
空蝉響による世界の支配が、始まろうとしていた。




