18章 悪魔の褒美
琴浦清正。
この兄妹の実の父にして、離婚後まもなく誰かの命を守って死んだ男。
宗一は……源治の顔を、見据える。
実家に残された遺影とは全く違う顔だ。
……しかしその顔面はどこか不自然さを残している。
まるで、そう。
顔面を一度潰されて、整形で適当な顔を見繕ったかのように。
その喉にも大きな裂傷があった。
まるで、そう。
声帯を一度切り裂かれて、整形で適当に声帯を作り直したかのように。
響の翼が持つのは、操作の力。
例えばそれを、顔面に埋め込んだらどうなるだろう?
例えばそれを、喉に埋め込んだらどうなるだろう?
彼女の望んだように、組み替えることができるのではないか。
顔も、声も、思いのままに。
「私は優しいなあ。他の親族はみんな利己的なことばかり考えるような死んだほうがいい糞以下の連中だったけど、君たちというかけがえのない存在を天使にさせてあげられたんだから! きっと清正君も泣いて喜んでいるだろうね、ほら、家族ってずっと一緒が一番だし」
「お、……お前、待てよ……」
理解したくない最悪の想像を、宗一はしてしまう。
琴浦家と闇倉家に属すものが次々と殺された。
そして最後に残った兄妹も飛行機事故で殺された。
それが響の計略だというならば、不自然な連続死も納得できる。
だが響の翼は、殺人の処女性を持った綺麗な翼。
それは、彼女の操る人間が殺人を犯していないという証左。
じゃあ誰が、琴浦清正の家族を皆殺しにしたのか。
「お前……父さんに、家族を、殺させ……」
「だってほら、私、ミレニアムウイングになりたいからさ。仕方ないよね」
幼き頃から琴浦清正を育ててきた両親を。
一度は家族になることを誓った義父母を。
拒絶されて離婚こそしたものの、それでも愛を忘れることができなかった妻を。
そして、彼女との間に生まれたかけがえのない子供二人を。
その手で、殺させた。
洗脳され、殺人に手を染めさせられて、その褒美という名目で――。
「…………………………………………」
そう、あのとき兄妹は見ていた。
飛行機に乗って外を眺めていたとき、そして死の間際に、天使の羽を。
天使に関する記憶は補正されるので彼らはその光景を覚えていないが、確かにそのとき目撃していたのだ。
実の父親が飛行機を墜落させたときに舞った、黒い羽を。
宗一の瞳が見開かれていく。
揺れる視界は酩酊のように赤く染まり、世界がひっくり返ったような感覚を得ていた。
脳が事態を拒否しているのを感じているが、この吐瀉物のような現実は続いていく。
体が熱くなり、平衡感覚が失われて、自我の中には今まで感じたことのない不気味な感情が湧き上がる。
それは、心の底から誰かを憎んだときにしか得られない感情。
紛れもない敵愾心だった。
「空蝉響」
……その声の主が誰なのか、一瞬、誰も分からなかった。
何故ならそれは、地獄の底から響いてきたような低い声。
何故ならそれは、あらん限りの殺意を孕んだ声。
何故ならそれは、男の声なれども源治の声ではなかったから。
その声が琴浦宗一のものであると、瞬時に聞き分けることなど妹にもできやしない。
「無事でいられると思うな」
宗一の翼が蠢いて、破裂しかねないほどに膨らんでいく。
そして彼の翼は、二発の羽を発射した。
その羽は自身の両足のふくらはぎを打ち抜き、肉片と共に響の羽を弾き飛ばしていく。
もう、彼を縛るものなど何もない。
「清正君、少年の羽を抑えろ」
「……承知デス」
源治が翼を翻し、幾本もの羽を発射する。
その狙いは正確無比、一発も外すことなく宗一の翼へと一直線に進んでいき――。
しかし、その羽が宗一の翼に刺さることはなかった。
衝突と同時に弾き飛ばされ、烏が飛び去った後のように黒羽が地面に舞い散っていく。
「硬化の力で防いだか! ……上々、上々! 長年生きていればこういう窮地に逢えるものなんだなあ。長生きはするもんだ、はっは!」
どれだけ殺意を向けられても、響の余裕は揺るがなかった。
むしろ彼女はこの窮地を楽しみ、謳歌し、高揚しているようにも見える。
長年の退屈に苛まれてきた彼女にとっては、イレギュラーな出来事自体が娯楽そのもの。
彼女は久々に生を実感し、何百年ぶりに心の底から笑顔を浮かべる。
「よし、私も新しいおもちゃ手に入れたからバトルしようよ。闇倉詞音っていうんだけどさ」
指揮者がタクトを振るうように、響が両手を振りかざした。
「あ……っ」
その瞬間、詞音の体が宙を舞い、空中を一回転してから宗一と対峙する。
翼、両手、両足を掌握された彼女はもはやマリオネット。
響たちの操作に抗うこともできず、全ての羽を実の兄に向けて臨戦態勢を取らされている。
「兄妹対決なんてこりゃ見ものだ! ねえ、どっちが死ぬか賭けない? 私ね、琴浦清正の子供が死ぬのに全財産かけるよ!」
「……こ、の、外道があぁああ……」
もはや宗一は白目を剥きながら、獣の如き形相を浮かべている。
怒りのあまり噛み締めたのか口からは歯が一本零れ落ち、口の端からは一滴の血が滴り落ちていた。
「ねえ見せてよ、兄妹が殺し合うの見せてよ! 実は見たことないんだよ、家族の殺し合う様って! 新しい刺激ほしいよ! ねえねえお願いだよ少年! それとも実の父親とのほうが燃えるかなぁ? 男の子は父親を超えてこそってトコあるもんね!」
もう、響はただこの状況を楽しむだけだった。
彼女の言葉は挑発ではない、心からこの状況を満喫している。
ただ一人の観客として、これから始まる家族同士の殺し合いを心待ちにするばかり……。
だが、……どれだけの義憤に駆られようとも、宗一は手出しできない。
響に攻撃しようとするならば、その前に立ち塞がる妹を傷つけなくてはならないのだ。
どれだけ怒りで我を忘れていようが、そんなことできるはずもなかった。
もし妹を退けられても、彼の前に父親が立ちはだかるだろう。
残された家族をその手にかけなければ、憎き響を縊り殺すことなどできないのだ。
だから、彼は空しくも、言葉を届けることしかできない……。




