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15章 咲かない祭囃子【その顔に泛ぶ恋】

「……………………」


 懐かしき記憶を思い出して――詞音は、熱の籠った息を吐く。


 しばらく何かの感情を堪えてから、なるべく声が震えないようにして言う。


「宗一は、ずっと……あたしのことを心配してくれたよね」


「お兄ちゃんだからね。そりゃー妹のことを何より大事に思うに決まってるよ」


「…………うん」


 いつもよりも長い間を開けて、彼女はそう返答した。


 お兄ちゃんって言わないで、そう叫びだしたくなるのを堪えるように。


 どうしてあたしが宗一って呼び続けているのか、分かってよ。


 お兄ちゃんって思いたくないの。

 兄妹だって、口にしたくないの。


 そんな想いを言えるわけもなく、詞音はただ俯くばかりだった。


「……花火、みれたらよかったね」


「小さな祭りだからね。もう少し規模が大きければ打ち上げもあっただろうに」


「いっしょに花火、見たかった」


「そうだね。昔一緒に見た花火綺麗だったし、また見たいよねぇ」


 その言葉に返答ができなくて、一瞬の沈黙が流れて。


 それでも会話を続けようと、歯切れの悪い、途切れ途切れの言葉を詞音は発す。

 何かに臆して、言いあぐねて、回り道をしているようなぎこちなさ。


 会話と呼ぶにも相応しくないような言葉のキャッチボールが何回か行われて――。


 ようやく、詞音は意を決す。


「…………ねえ」


「どうしたの?」


「手、繋ぎたい」


「ん? いいよ」


 そして、宗一は躊躇することなく詞音の手を握った。


 子供の頃みたいに、初めて二人で祭に行ったときのように。


 二人、人混みの中を歩いて行く。

 提灯が兄妹に鉛丹の色彩を加えていた。


 暗闇に光る数多の光。

 どんな宝石でも成り変われない程、夜闇に映る清澄な閃耀は煌びやか。


 遠くから流れる祭囃子、雅楽の音色、子供の声。

 いつもはくすんでいるこの神社は、今だけはどんな繁華街よりも赫灼たる光に溢れていて……。


「…………………………」


 雪洞の明かりが差し込んだのか、詞音はミルク色の顔を少しだけ朱に染めていた。


 遠くから聞こえる大太鼓の音は、彼女の心臓の音と全く同じリズムで。


 その強さも、きっと、全く同じ。


「なんか昔夏祭りに行ったときのこと思い出すなぁ。あのときの詞音の顔ったらもう、はしゃぎたいのを我慢してるけど堪えきれてないような――」


 宗一の言葉が遠く聞こえる。

 鼓動の音に邪魔されて、詞音の耳に言葉が入らない。


 詞音は、宗一より少しだけ遅れて歩いていた。

 真横に並び歩いているわけではなく、手を引かれているような状態だ。


 隣を歩いたら、今どんな顔をしているか、見られてしまうから。


(ねえ、振り向かないで)


 宗一を後ろから追いながら、詞音は切に願う。


 どうかそのまま、前だけを向いていて。


 顔を見られたら、きっと、好きだってばれてしまうから。


 血の繋がった兄に恋をした、バカな妹だって軽蔑されてしまうから。


(だって、だって、どうしたって好きだから)


 誰も頼れる人なんていなくて、人生に絶望以外なくて。


 でもそんな中、唯一優しくしてくれた存在。

 あたしを心配して、あたしを守ってくれて、あたしの隣にいてくれる存在。


 初めて一緒に花火を見たときから、ずっと好きだった。


 自殺しようとしたあたしを助けてくれて、もっと好きになったよ。


 気持ち悪いって思われるかもしれないけど、宗一のことが、大好きなの。


 ……きっと、宗一はあたしのことをただの妹だと思ってる。

 そんなの、分かってる。


(でも、一つだけ、わがまま言わせて。叶わなくてもいいから好きでいさせて)


 それだけが、唯一の願いだから。


「あれだけ喜んでくれたんだし、毎年お祭に行けたらよかったなぁ。……夏祭りに連れてって以降、元々厳しかった母親が更に厳しくなったから難しかったけど……」


「……うん。来たかった」


 楽しそうに笑う宗一の横顔を見て、詞音は声を上げて泣きたくなった。

 必死に堪えて、小さくしゃくりあげて、涙だけは零さないように口を結ぶ。


(なんでこんなあたしに笑いかけてくれるの)


 ほんとは、分かってる。


 あたしに恋する資格なんかないって、気づいてる。


 常識が分からなくて、いろんな人に無礼な態度を取って、憎まれ口を叩いて。

 誰彼構わず迷惑をかけ続けたあたしの尻拭いをしてくれている宗一に、恋なんかしていいわけがない。


 あたしはただ、生きているだけで宗一に迷惑をかけ続ける存在。

 誰かを愛すること以前に、人間として満ちてもいない、人未満の生ける肉塊。


 あたしだって、普通の人間になりたかった。


 でも、分からない。

 普通が分からない。

 どう装えば他人と友好的に接することができるのか、誰かと仲良くなれるのか分からない。


 知っているのは誰かを憎む心と、兄を慕う不相応な想いだけ。


 あたしは、天使でもなければ、人でもない。


 母親にかけられた呪いに縛られ続ける、ただの人間紛いだ。


(宗一の傍にいる資格なんかないのに……ずっと傍にいたいって思う自分が……きらい……)


 ダメな妹でごめんなさい。


 宗一は兄として接してくれているのに、心の底から妹になれなくてごめんなさい。


 お兄ちゃんと呼ぶことができなくて、ごめんなさい。


 いつも迷惑をかけて、ごめんなさい。


 常識が分からなくて、ごめんなさい。


(…………)


 あたしがいるから、宗一に苦労ばかりかけているんだよね。


 あたしがいなければ、宗一はもっと自由に生きられたよね。


 ねえ、宗一。


 生まれてきて、ごめんなさい。


「……どうしたの?」


 不意に宗一が立ち止まり、詞音にそう問いかけた。


 ふと振り向いた拍子に彼女の顔を見て、祭の雰囲気とは裏腹に深刻そうな表情を浮かべているのを目撃したのだ。

 もしも久方ぶりの祭を楽しんでいるならば決して見せることのないであろう表情を見て、宗一は心配そうな顔をする。


 もしかしたら変なことを言ってしまったのかもしれない。

 もしかしたら先ほどの爆破事件でどこかに怪我でもしたのかもしれない。


 ……そんな憂虞が宗一の脳に渦巻いていることは、彼の瞳を見るだけで詞音にも推し量れた。


 違うよ、そんな言葉が彼女の口から漏れ出る。

 でも二の句が継げなかった。


 恋の悩みなど本人に言えるはずがないし、産まれたことに対する後悔などもっと言えるはずもない。

 だから、彼女はしばらく言葉を発せずに、心配そうに覗き込んでくる兄の瞳を見つめ返すことしかできなかった。


「……」


 好きな人に至近距離で見つめられて、冷静でいられるはずもなく。


 何か言わなければと焦る心は、その想いを勝手に出力しようとして――。


「……宗一は……あたしの前から、いなくならないよね……?」


 表面張力で保っていた水が零れるように、抑えきれない本心を勝手に告げていた。


 慌てて口を抑えるも、そんなの発砲を終えた拳銃を押さえつけるようなもの。


 既に彼女の心に渦巻く恐れは、宗一に届いてしまった。


 もしも自分の本心を知ったら、いなくなってしまうかもしれない。

 やがて自分の常識の無さに愛想を尽かして、姿を消してしまうかもしれない。


 彼女は常にその恐怖に怯えていて、それでも今までおくびにも出さないよう努力してきた。


 しかし、努力は、今水泡に帰したのだ。


「どこにも行く気はないけど、どうしたの……?」


 突然そんなことを言われても、困惑するのは当然のことだろう。

 宗一はより一層心配そうな表情を浮かべて、詞音の言葉を待っている。


 だけど、詞音にはそれ以上言えることなどありはしない。


 これ以上本心を開示するのは告白にも等しいし、ある意味、自殺にも等しいのだから。


 二人の間に清閑が流れる。


 言葉の存在しない世界の中で、宗一は言葉の意味合いを考え続けて、やがて一つの可能性に至る。


「……そうだね、あんなことがあったら怖がるのも無理はないよ」


「え……?」


「確かに誰が死んでもおかしくない状況だったし、詞音ちゃんが爆弾持って外に向かったときは俺も焦ったしなぁ……そりゃそう思っても不思議じゃないか」


 詞音が目をまん丸くする。

 どうやら宗一は、死によって離れ離れになるのを危惧していると勘違いしているようだった。


 確かにそうやって離れ離れになる未来もあるのかと、詞音は今更ながら実感する。


 先の爆破事件以前は、死によって離別するなんて想像し難い未来だった。


 実際人間のときに迎えた死も兄と一緒だったから、天使として死を迎えるときもきっとそれが普通なんだと勝手に思い込んでいたのだ。


(そんな未来も、あるんだ……)


 兄との離別がより現実的なものになり、詞音の顔に昏い影が差す。


 しかしそんな彼女の肩に手を添えて、宗一は元気付けるように告げた。


「いなくならないよ、絶対。詞音ちゃんを置いて死ねるもんか」


「……ほんと?」


「ほんと。お兄ちゃんが今まで約束を破ったことなんてあった?」


 そんなこと一度もなかった。

 詞音は小さく首を横に振る。


「……だから詞音ちゃんも、俺の前からいなくならないでね。詞音ちゃんがいなくなったら、その、なんだ、俺が悲しい」


「……うん」


 詞音が首肯する。

 口をぎゅっと結んで、泣き出す前の子供みたいな表情だった。


 そんな彼女を見て小さく笑ってから、宗一が己の翼から羽を一本千切り、詞音に差し出す。


「これを、詞音ちゃんに預けておくね」


「羽……」


「自分が打ち出した羽の位置ってさ、なんとなく分かるんだよ。詞音ちゃんもそうでしょう? これを持っていれば、詞音ちゃんがどこにいてもすぐに駆け付けられる」


 そのときの宗一の顔を、きっと詞音は忘れられないだろう。


「辛くなったらいつでも俺を呼んでね。助けを求めてくれれば、絶対俺が詞音ちゃんを助けるから」


 表情も、言葉も、雰囲気も。

 宗一のことを好きになったあの夏祭りのときと同じだったから。


 大好きな兄はあの頃から何も変わっていない。

 詞音の中で成熟していく愛も、あの日から変わらず疼き続けている。


「……ん」


 そして詞音も、己の羽を一本差し出した。


「さっき、あたしが守ってあげるって言ったでしょ。……だから、これ、あげる」


「……うん、ありがとう」


 桜を模った羽を受け取って、宗一が再び笑う。


 今度は、詞音も笑い返した。


「あのさ、一応聞くけど、これ急に爆発とかしないよね……?」


「さーあ? どうなるか分からないけど一回爆発させてみる?」


「ほんと勘弁してね……」


 いつものように悪戯っぽい表情をして、詞音が小走りで宗一を追い抜かす。


 手を繋いだままの宗一は引っ張られて、蹈鞴を踏みながら詞音の後を追った。


「大切にするね、宗一」


 そう言って、詞音は祭の会場に視線を移す。


 夏祭りは、まだ始まったばかりだった。

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