13章 地上の花火【刻限】
備蓄倉庫の中には、郭放水路のように広々とした空間が広がっている。
うず高く積み上げられた災害の備蓄品と、災害復興のための重機、そして住民が避難するためのスペース。
広さとしては、大体学校の体育館一つ分くらいだろう。
普通の備蓄倉庫よりも圧倒的に広く、今の彼らにとっては憎々しささえ覚えてしまう。
そして倉庫の隅々にガスの発生装置が横たわっていた。
太いボンベを何本も携えて、空気中のガス濃度を高め続けている。
「散って探すよ! 解体してる時間はない! 爆弾を見つけ次第、外に持ち出して! それでガスの届かない上空で爆発させて!」
三人はそれぞれ散り散りになり、爆弾を探して飛んでいく。
ここから地上へのルートは把握したので、先ほどの宗一と同じく全速力で飛行すれば二十秒とかからず脱出できるだろう。
即ち、捜索に割り当てられる時間は残り一分半程度。
それが命を繋ぐために与えられた時間。
(この広い倉庫内で、一分半以内に探せだって……!? 無茶ばっかり……!)
詞音のその思考は、きっと宗一も響も思っていることだろう。
しかしもう文句を言う時間すら惜しいのだ。
ガスが充満して吐き気さえ覚えるこの備蓄倉庫を飛び回り、彼らは必死の思いで捜索を続ける……。
焦れば焦るほど、動悸が早くなる。
体全体が心臓になったかのような感覚。
頬を伝う汗が鉛のように重くなり、全身の毛が逆立ち、落下時のような浮遊感が全身を襲う。
死の感覚だった。
もう、死は目前に迫っていた。
詞音はその感覚を知っている、かつてマンションから身を投げたときに感じている。
(このままだと、宗一も……死ぬ……ッ!)
その瞬間……時を刻む音が聞こえた。
きっとそれは鼓膜でも捉えきれないほど小さな音だろう。
しかし感覚が鋭利になっている今だからこそ、その小さな音を詞音は感じ取る。
時限爆弾に取り付けられた時計が、針を刻む音。
それを頼りに詞音は宙へ飛びあがる。
そして、倉庫内に積み上げられた毛布の一番上に至る。
……その毛布の中からは、断続的な音が鳴り響き続けていて……。
詞音は毛布の中に手を突っ込み、中から金属製の塊を取り出した。
本体からまろび出た銅線、『二十六』という赤い文字が表示された電光パネル。
見間違いようもない、誰がどう見たってそれは時限爆弾そのもの。
「あった!! 見つけたッ!!!」
そう叫び、詞音は勢いよく出口へと向かって飛ぶ。
残り時間は三十秒もない、爆発物を処理するにはギリギリの時間だ。
「行けッ! 詞音!」
宗一の怒号を背中に受けながら、昏い通路を詞音は飛ぶ。
決して壁にぶつからないように、弾丸のような速度で通路を逆走していく。
胸に抱いた爆弾が刻む音が妙に大きく聞こえる、そしてそれが聞こえるたびに焦りが募る。
一秒がいつもより早い、時の流れが狂っている。
出口はまだか、往路よりも長く感じる。
電光パネルに表示された数字が、五を切りかけた瞬間――。
「……!」
勢いよく、詞音の体が外に飛び出した。
入口の扉を抜けた勢いのまま山の中へ。
すぐに詞音は体勢を変えて、空に向かって飛び上がっていく。
爆発が引火しない上空まで、打ち上げ花火のように詞音が飛んでいき――。
「…………!」
そこで、気づく。
高度が足りない。
空気よりも軽いガスが山の上に立ち上り、無風が故に滞空し続けている。
空へ飛翔した今でもガスの香りは消え切らず、未だ詞音は死地にいるのだ。
残り三秒。
今から上空に爆弾を投げても、安全な高度まで至ることはないだろう。
恐らく引火は免れない。
唯一の方法は、このまま詞音が爆弾を抱えて飛び続けることだけ。
この速度で空に向かって突き進み続ければ、きっと引火圏内からは外れるだろう。
でも、そうしたら、きっと……。
(……どうする……!?)
どうしようもない、そんなことは分かっていた。
嫌味なくらい静かな夜空に、走馬灯のような光景が映し出される。
いい思い出なんかほとんどなかった、地獄の思い出ばかりが巡っていた。
これが、こんなものが、人生か。
(こんな終わり方なんて……絶対……)
残り二秒。
詞音の抱えていた爆弾に、何かが突き刺さる。
それは真下から発射された、一枚の黒い羽。
それは、まるで悪魔の羽のようで――。
「闇倉サン! ……降りてッ!」
「……!」
その声が聞こえるよりも早く、詞音は爆弾から手を離して急降下していく。
空に放られた爆弾は、重力に逆らって空へ上る。
その隅には源治の放った羽が刺さっていた。
爆弾は源治によって操作され、天空へ。
そして詞音は全身全霊の速度で地上へ。
時が二つ刻まれて、電光パネルに表示された文字がゼロを示して――。
「……ッ」
空に、巨大な花火が一つ上がったように見えた。
引火圏から外れた爆弾は、刻限通りに爆発する。
しかしそれは一発限りの徒花、何に引火することもなくただ爆発物の残滓を四方八方に飛ばすだけ。
祭の会場に来ていた人々は、それが自分たちの命を脅かす爆弾であると気づくはずもないだろう。
きっと、彼らに向けられたささやかな花火の一発だと思うはずだ。
彼らの与り知らぬところで、天使が命を賭して戦っていたと気取れるものは一人としていなかった。
そんな爆発の暴風に煽られて、バランスも取れずに詞音の体が吹っ飛んでいく。
地上に墜落していく彼女を空中で受け止めたのは、源治だった。
「お怪我はありませんカ、闇倉サン」
「……ええ、まあ」
パラパラと降りしきる燃えカスを浴びながら、詞音が大きく息を吐いた。
緊張状態の最中では気づけなかった疲労が彼女を襲う。
緊張の反動か、しばらく彼女の体は動きそうになかった。
死の感覚が遠のいていく。
全身に感じるのは、ただ暴力的なまでの『生』。
もう既に一度死んでいるというのに、全くおかしな話ではあるけれども。
今、詞音は今までで一番、生を実感していた。
「……ねえ」
「ハイ、なんでショウ」
「………………」
随分と言いにくそうにしながら、詞音はしばらく口ごもり――。
「ありがと」
そう、短く告げた。
兄以外には一度も告げたのことのない、感謝の言葉だった。
それを聞いた源治は、静かに笑いながら――。
「こちらこそ、デス」
そう、優しい口調で言った。
……二人が地上に舞い戻ったとき、丁度宗一と響も備蓄倉庫から出てきたところだった。
「詞音ッ、詞音ちゃ―――――ん! 平気!? 怪我無い!?」
「うっ」
宗一が詞音に抱き着き、その体に異常がないかを改める。
突然のボディタッチに若干慌てる詞音は何もできず、ただ宗一になされるがままだった。
そんな宗一に近づき、彼の腕を掴んだのは響だ。
「いや君のほうが怪我してるでしょう。……擦過傷だけだから問題ないと思うけど」
先ほどから流血している宗一の腕を触診し、響は安堵したようにそう言った。
次いで彼女は宗一のひしゃげた翼に触れ、その様子を確かめる。
「翼は酷いことになってるけど、これはすぐ治るよ。天使ってある程度の怪我なら勝手に治るからね、翼も例外じゃない」
「……ほんとに治る、ですか?」
詞音が心配そうにそう問いかける。
そんな彼女を安心させるように微笑み、響は嘘偽りを感じさせないほどしっかりと断言した。
「心配することはないよ幼子ちゃん。これくらいのダメージなら四日くらいで治癒するさ」
「……そう、ですか」
そして響は宗一の翼から手を放し――。
兄妹の体を思いっきり抱き締めた。
「いやあ上々上々! 大任をよくやり果せたよ二人とも! 正直此度は遁走一択だと思ってたけど、二人のおかげで最悪の事態は免れた! 住民に代わり心からお礼を言わせてもらうよ!」
そして力の限り二人を抱きしめ続けて、満足したのか体を離しながら響は言う。
「さあ心して手の甲を見てごらん。それが、君たちの救った命の重みだよ!」
「……」
宗一と詞音の手に刻まれた寿命はもう一桁ではない。
今や千を超える数値が表示されていた。
それは、数百人の命を救ったという証明。
彼らが多くの人間を助けたことを讃えるかのような数字――。
多くの人々が、という曖昧な表現ではなく、何人の命を救ったのか。
それを知ったとき、ようやく宗一の心に今起きた出来事の実感が沸き起こり始めた。
「さ! 今回の後始末をさっさと済ませて、祝いの席でも設けようか! 奢侈驕奢の限りを尽くした盛大なる遊宴をお楽しみあれ! それはもう鯛や平目が舞い踊り――」
「あ……あの」
翼を広げて飛び立とうとした響に声をかけたのは、詞音だった。
「すこし……すこしだけ、宗一と行きたいところがあるます……けど……」
それはいつもの詞音からは想像もつかないほど、どこかおずおずとした調子だった。
響はそんな彼女を見て、数秒何かを考え――悪戯っぽく笑う。
「あー、なるほどなるほど。いいよ、行っておいで。ガスの換気は我々でやっておくから、お好きに過ごしたらいいさ」
「……」
あの詞音が、響に頭を下げた。
そんな光景を見た宗一は思わずぶったまげる。
驚く兄の手を取って、詞音が歩きだした。
宗一も蹈鞴を踏みながら彼女の後を追う。
まるで追究されるのを拒否するみたいにずんずん進んでいく詞音の背に、宗一が声をかけた。
「なあ! どこへ行くんだ? ガスの換気なら俺たちも――」
「……」
詞音が足を止めて、兄の顔を見る。
そして短く一言だけ告げた。
「わがまま、言わせて」
そして再び歩き出す。
彼らの行く先にあるのは、祭の会場。
彼らが守ったその場所だった。




