12章 地上の花火【悪意の施錠】
扉の先は、照明すら点いていない闇だった。
時折何かの計器がエメラルドグリーンの光を脈動させるだけで、視界を明確にする灯りなどは一つも付いていない。
響は先を行く兄妹に追いつき、二人を追い越して先頭を行く。
そして三人が歩くにはあまりにも大きすぎる通路を、どこまでも進んでいく……。
「……既にここにも相当ガスが漏れている。我々は天使だから脆弱な人間では意識を失うような濃度でも行動できるけど、いつ爆発するか分からないって危険性だけは覚えておいてね」
「大爆発に巻き込まれれば、さすがの天使でも死ぬんですかね……」
「死ぬよ。ある程度の傷は勝手に回復するけど、木っ端微塵になれば終わりさ」
先導する響は、その手に持った懐中電灯を振りながら言葉を続ける。
「止むを得ず使ってるけど、本当はこれもアウト。静電気程度の火花でも引火する可能性があるからね。二人とも携帯とか絶対に弄らないでよ、本気で死ぬから」
「……引火して、大爆発が起きたら……やっぱり、とんでもないことになりますよね」
「山崩れでみんな死ぬだろうね」
三人は階段に差し掛かり、手すりを頼りにしながらどこまでも降りていく。
「地震で山が崩れるのと同じさ。この山中で大爆発が起きれば、地滑りや土石流が山のふもとに向けて発生するだろう。そうなれば、被害を受けるのはあそこしかない」
「祭の会場……」
「今、あの神社で祭を楽しんでいる住民。及びその近隣で生活を営んでいる人々が、土石流によってみんな死ぬ。……これが人為的に行われているのだとすれば、極めて悪質な大量殺人ということになるね」
あの祭の会場にいる人間が全員死亡したとするならば、被害はどれくらいに上るのだろうか。
想像するだけでもおぞましい惨状に、宗一の脳が考えるのを拒否していた。
密やかに仕掛けられた殺戮の種、彼らは今その渦中にいる。
ここでしくじれば取り返しのつかない被害を生むだろう。
「一体誰がこんなことを……!」
「………………目星はついているけどね」
響がそう小さく呟いた。
そして数秒の沈黙を挟み、小さな声で彼女は言う。
「天使さ。……殺人の味を知った天使が、多くの寿命を一度に手にするために企んだ殺戮」
「……寿命のために、こんなことを……!?」
そう驚きはしたが、理解できない話ではなかった。
一人一人ちまちまと殺していくのは、寿命を求める天使にとって苦痛な作業でしかないだろう。
もし効率よく寿命を得たいのであれば、選ぶ手段はたった一つしかない。
大量殺人、それが『生き扶持』を得るために最も適した手段なのだ。
人道さえ失ってしまえば、これ以上に手軽な方法はないだろう。
「……ああ、周到だ! 小憎たらしいくらいに……!」
突然、響が足を止める。
そして恨めしそうにそう呟いた。
「計器の電波に紛れて、電波時計も電波を発し始めたよ。……二十一時に至ると発火の命令が出るようにセットされているね」
「それって……」
「察し易し、時限爆弾だ」
今や備蓄倉庫はガスが充満し、それ自体が巨大な爆弾と化した状態。
僅かな火種でも引火し、爆発を引き起こしかねない危険なエリアだ。
そんな中で、爆弾が作動したならば。
……言い表すまでもない。
「二十一時って、あれどれくらいですか……!?」
「五分」
そう短く告げたのは、詞音だった。
言葉を言い終わるより早く、彼女は闇の中を勢いよく駆け出していく。
間髪入れず響もそれに続き、一瞬遅れて宗一も走り出した。
「あと五分でみんな死ぬのかよ……!」
もはや一刻の余裕もない。
あと僅か五分の間に爆弾を止められなければ、誰もが死ぬ。
三人はもはや言葉も交わす余裕なく、ただ暗闇の通路を進んでいくだけ。
備蓄倉庫に加えて震災対策用緊急貯水槽の設備があるせいで通路は長く、更に景色の変わらない闇の中を往くせいもあり、永遠にこの道が続いているかのように思えた。
しかしやがて、三人は扉と対峙する。
入口に存在していた扉よりも頑丈そうなそれには、『備蓄倉庫入口』と書かれたネームプレートが掲げられていた。
「空蝉さん! ここですか!」
「この中で間違いないね。ここから電波が出てるよ……!」
宗一と詞音が扉に飛びつき、力任せに開門させようと試みる。
しかし、その感覚は山を押すが如く。
いくら全体重を乗せようとも、扉は僅かほども動きはしない。
「鍵……!」
そう、その扉にはしっかりと鍵がかかっていた。
厳めしい南京錠で閉ざされたその扉は、正規の侵入方法以外を拒む堅牢な城門。
防犯対策として相応しいその設備は、今の状況においては致命的な一手……。
「くそッ、時間が……!」
もう残り四分程度しかない。
この時間の中で鍵を見つけ出して、扉を開けることができるのか。
……答えはノーだろう。
鍵が扉の近くにあるわけがない、そんなの施錠の意味がないのだから。
鍵は恐らく犯人が持ち帰り、厳重な保管をしているに違いない。
飛び立って鍵を探して、ここに戻ってくる?
そんな悠長なことをしている時間はない。
「……この南京錠さえブッ壊せばいいんでしょ……!」
詞音が翼を大きく広げ、その羽一本一本を逆立てる。
そして羽を錠に向かって――。
「待って! 君の能力を使うのはマズい!」
そんな詞音に響が組み付いて、無理矢理に翼を引っ込めさせる。
「爆発なんかさせてみなよ、ガスに引火するよ! 君の羽は爆弾と変わらないでしょう!? 絶対に使わないで!」
「……っ!」
憎々しげに詞音が表情を歪める。
その隣で宗一が南京錠に触れ、その強度を確かめていた。
「……もし俺の力で羽を撃ち出したとしても、この錠は壊せなさそうだ! 打つ手がない!」
「窮したか……!」
響は己の爪を噛み、今来た道に視線を向けていた。
迷っている時間はない。
退くなら今しかないのだ。
全速力でここを脱出すれば、なんとか命だけは助かるだろう。
無論爆発によって多くの人々の命は失われるだろうが、ここにいてもその結末は変わりない。
四人の天使が無駄死にするか、生き延びるか。
悩むことすらバカらしい二択しか、彼らには選ぶことができないのだ。
「………………」
そのとき、南京錠に触れていた宗一の動きが止まる。
この南京錠は堅牢、銃弾と同程度の威力しかない彼の力では破壊できないだろう。
(でも……砲弾並の威力なら……?)
拳銃では壊せない錠でも、砲撃をブチ当てられれば話は別だろう。
ここに砲台があれば、突入は叶うかもしれない。
しかし軍用施設でもなければそんなものあるはずがない、普通であれば。
(あるぞ……一つだけ!)
両の翼を大きく広げ、宗一の体が浮き上がる。
巻き起こる風が詞音たちの髪を揺らした。
「二人とも! 通路の端に寄って! 巻き込まれるよ!」
「少年、一体何を……!」
響の言葉すら聞かず、宗一は今来た通路を引き返していく。
両翼で加速をつけて、扉から遠く離れた場所まで移動する。
二人には、それが撤退のように見えた。
扉に背を向けて飛び去って行く様は、逃走のそれにしか見えなかったから。
しかし、宗一はある程度の距離を取ったところで一時制止する。
そして何度か翼をはためかせた後、大きく息を吸った。
「……火花で引火したらあの世で謝るね!」
そして、そんなことを叫んでから――彼は水平方向に飛んだ。
扉に向かって、全速力で。
それは衝撃波を巻き起こしながら通路を飛び抜けていく。
土煙と土埃を巻き上げながら突貫するその光景は、戦闘機が突撃をかける様子にも似ていた。
車よりも、電車よりも、新幹線よりも。
日常生活で目視できる何よりも素早く、彼の体が扉に向かって進んでいく。
そして衝突の直前、彼は翼を折りたたみ、己の体を覆った。
球体と化したその形状は、彼の想像した通り砲台に近い。
燐光を纏う羽を撒き散らしながら、純白の砲弾が扉に肉薄して――。
物凄い轟音を掻き鳴らしながら、二つの物体は正面衝突した。
「宗一……!」
衝撃波によって土煙が巻き上がり、詞音の視界が半分覆われる。
彼女の体が吹っ飛び、岩肌に叩きつけられた。
吹っ飛んだのは彼女だけではない。
響もまた同様で、そして、扉の横に設置されていた入室管理の帳簿やデスクも同様に吹っ飛んでいた。
……そのデスクから、何か光るものが飛び出ていくのを、詞音は目撃していた。
(え……?)
それを見た詞音は目を見開いて――しかし、すぐに視線を宗一のほうに向ける。
扉は既に開かれていた。
南京錠だけではなく、扉も吹っ飛んでいたのだ。
そして吹き飛んだ扉の上には、宗一が蹲っている。
腕から血を流し、片翼がひしゃげているが、命に別状はなさそうだった。
「宗一! 大丈……」
「あと何分!?」
血の痰を吐き捨てながら宗一がそう叫ぶ。
「あと二分と少し!」
扉を乗り越えながら響が返答をし、備蓄倉庫へと踏み入っていく。
詞音もそれに続いた。




