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11章 地上の花火【山中の伏魔殿】

 彼らの眼下では、黒ずんだ地上に街灯りが点々と連なっている。

 そんなぽつぽつと灯る人工の星灯りの中に、ひときわ輝く灯りの集合体が存在していた。


 街路に括られた提灯が丹色をほんのりと照らし、それは道しるべのように集合体へと導かれている。

 そしてその場所には多くの人が集い、色取り取りの木綿地を纏って楽しそうな笑顔を浮かべていた。


「そっか、そんな時期か」


 それは神社で斎行される夏祭りだった。


 篠笛響く祭囃子と、カラフルな装飾を施されて面並ぶ屋台。

 能楽殿で行われる里神楽に、盛大に催される縁起餅撒き。

 若人から尊老まで、年齢分け隔てなく参加する街の一大行事だ。


「…………」


 それを見て、詞音は郷愁のような感覚を得る。


 彼女の人生は地獄ばかりだったけれども、一度だけ、彼女はあの喧騒に身を投じたことがあった。

 自分には縁のない世界だと思っていたが、かつて、確かに詞音はあの場所にいた。


 そしてそれは、彼女が、初めて自分の気持ちに気づいた日のことで――。


「……ん」


 急に響が唸り、翼をはためかせてその場に滞空する。


 反応が遅れて彼女を追い越した三人が、その場に留まって彼女へと振り返った。


「どうしました空蝉サン。祭、行きたいのデスか」


「違う。…………………………」


 しばらく、口を閉ざしたまま響は熟考を重ねていた。

 秒単位ではなく分単位で言い表せられるほど、彼女はそのまま思考の海に身を委ね続ける。


 やがて彼女の口から漏れた言葉は、……いつもよりも真剣さを帯びていた。


「ガスだ」


「え……?」


「ガス計測器の電波を傍受した」


 そう言って、不意に響が急降下する。

 ワンテンポ遅れて三人も彼女の後を追っていった。


 彼女が向かったのは、祭会場の裏に聳える山だった。

 祭の喧騒は遠のき、虫と鳥の奏でる音ばかりが鳴り響くような場所だ。


 その山の中腹部には、車一台が通れそうなほど大きな扉があった。

 扉の横に掲げられたプレートには『杉並区第七災害備蓄倉庫、及び震災対策用緊急貯水槽』と刻まれている。


「う……っ」


 扉の前に降り立った詞音が、嫌そうな顔をして後ずさる。

 その隣にいた宗一も思わず同じような表情をしてしまう。


 その扉からは、悪臭――というよりは、あまりにも純度の濃すぎる臭いが漂っていた。


 それはガソリンスタンドで仄かに漂ってくる香りを、何十倍にも濃くしたような濃密な刺激臭。

 鼻呼吸をするだけで咳き込んでしまうくらいの拒否感を覚えるほどの、人体にとって悪影響しか及ぼさない異臭だった。


 そんな扉に近づいて、響が目を閉じて力に集中していた。


 その顔はいたく真面目、いつもの演技過剰な様子が嘘のようだ。


「この中の計器が異常値を示している。……本来ならば監視モニターに警告が届くくらいの値がね。でも、計器が警報の信号を発信した形跡は無いね……」


「……機械の故障ですか?」


「いや、全部の処理を恙なく完了したと動作ログに書かれてる。信号が欠損していたり未動作になっているというよりは、信号を送る命令自体が存在しないと見てよさそうだね」


「不良品……?」


「別の備蓄倉庫にある同じ型番の電波をさっき受信してみたけど、そっちでは信号の機構が搭載されているんだよね。……どういうことか分かるね?」


 故障でもなければ不良品でもない。

 それでいて致命的な動作エラーが発生する原因があるとするならば、一つしかないだろう。


「誰かが計測器を弄って、警報が届かないよう改造したです」


「ご名答だよ幼子ちゃん、花丸あげよう。……さて、誰かが人為的にこんなことをしたんなら、単なるガス漏れの事故として終わるわけがなさそうだよね」


 響が扉を横に思いっきり引っ張ると、金属製の重い扉がゆっくりと開いていく。


 扉を開けた瞬間、より一層ガスの香りが濃くなった。

 噎せ返るようなその密度に、四人は思わず咳き込んでしまう。


 そのときだった。


「……ちょっと、何この臭い……」


「誰かがガソリンでもぶちまけたのか……?」


 四人以外の声がどこかから聞こえてきた。

 聞いた限りでは男と女、まだ若さの残る声だ。


 やがて甚平姿の男と浴衣姿の女が暗がりから姿を現し、少しだけ開いた備蓄倉庫の扉を不思議そうに眺め始めた。


「源治、追い返せ」


「御意」


 源治が翼を大きく広げ、二本の羽を若い男女に発射する。


 彼の放った羽は二人の額に軽く刺さった。

 その瞬間、二人の動きが止まり、瞳が生気を失って虚ろぼんやりとした表情を浮かべ始める。


「二人の意識を掌握しまシタ。このまま祭の会場に帰らせマス」


「頼む。……ここは祭に飽きたカップルがしけ込む場所らしいな。臭いを嗅ぎ付けた無謀共が迷い込んでこないとも限らん」


 懐から折り畳み式の懐中電灯を取り出しながら、響が源治に声をかける。


「源治、扉の前に張っていろ。防災担当者以外が紛れ込んできたなら即刻追い返せ」


「畏まりまシタ」


「で、君たちはどうする」


 響が兄妹に問う。

 彼女は予備の懐中電灯を差し出しながら、二人がその道具を受け取るかどうかを待っていた。


「……最悪の想像が当たっていたならば、この先は死の危険性を孕むだろう。ただその代わり得られる寿命も大きいかもしれない。来るか、それとも源治と共にここで座して待つかい?」


「………………」


 最悪の想像。

 その中身くらい、宗一には分かっていた。


 もしそれが現実となったならば、数えることもできないほど多くの犠牲者が出ることになるだろう。

 きっと、この前の飛行機墜落事故をも超える死傷者が出るに違いない。


 宗一は、そんな未来を予見できていながら尻尾を巻いて逃げ出せるような男ではない。

 むしろ人を助けるという行為に、どこか不謹慎な高揚感を得るばかり――。


「行きます。同行させてください」


 そう告げて、彼は響の差し出した懐中電灯を手に取る。


 その顔に迷いなど、僅かほども存在しなかった。


「詞音ちゃんはここで待っているんだ。もしヤバそうな雰囲気を感じ取ったらすぐ逃げるんだよ、いいね」


「やだ」


 そう短く告げて、詞音は響の手から懐中電灯を掻っ攫う。

 そして眼を鋭く眇め、心配そうな表情をする兄の顔を見据えた。


「宗一が行くならあたしも行く。……ここで待つことなんかできるわけないでしょ」


「危ないんだよ、詞音ちゃんが考えてる以上に! 死ぬかもしれないんだぞ!?」


 語気を荒げた言葉を受けて、詞音は少しだけ面食らう。


 今まで一度も、宗一は詞音に怒鳴ったことがなかった。

 どれだけ短絡的で非常識な行動に出たとしても、感情を荒立てず、冷静を装って言い聞かせてきたのだ。


 しかし、今は冷静さを保っている場合ではない。

 妹を危険に曝させないために、宗一はできるだけ強い口調で彼女の蛮勇を止めようとする。


 それでも、詞音は宗一から目を反らさなかった。


「じゃあ、守ってよ。あたしが死なないように」


「……!」


「その代わり、宗一が死なないようにあたしが守ってあげるから」


 そう告げて、詞音は躊躇なく扉の先へと進んでいく。


 宗一はその背に声をかけようとして――響に腕を掴まれた。


「問答している時間すら惜しいよ、少年。三人で行くしかない。心配だというなら、幼子ちゃんの言う通り全身全霊で守ってやりな」


「……く……っ」


 悔しそうに歯噛みをしながら、宗一が己の頭を掻き毟る。


 しかし意を決したのか、詞音を追って扉の先へと進んでいった。


「……監視を頼んだよ、源治」


「お任せアレ。……ご武運をお祈りいたしマス」


「祈ることなどありはしないさ」


 そう呟いて、響も扉の先へと足を踏み入れる。


「ミレニアムウイングに至るまで、死ぬ運命など受け入れてたまるものか」


 そして、彼女は兄妹を追って駆け足で進む――。

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