10章 地上の花火【ミレニアムウイング】
天使の行動時間は人間の真逆、昼に眠りこけて夜に空を飛び回る。
なんだか天使というより、吸血鬼やドラキュラと呼ぶほうが適当だなと宗一は思う。
だが殺人や強盗などの事件は、人の寝静まった夜に発生する。
それを鑑みるのであれば、活動時刻を夜に限定するのは合理的な話だ。
そんなわけで翌日の夜も四人で街の上空を逍遥し、地道に寿命を増やすことになっていた。
「……え? 長く生き続ける理由かい?」
杉並区の上空を飛び回っている最中、宗一が響にそんなことを問いかけた。
「はい。空蝉さんは以前『生きるならほどほどに』って言っていたのに、どうして数百年間生き続けているのかなと思いまして」
「成程成程、全くに以て道理だ。ふむ、どうしたものか」
悩むのが癖なのだろうか、響は小さく唸りながら少々考え込む。
「うむ! 今からちょっと内緒の話をするから、君たち口と肝臓を固くしておくんだぞ」
「肝硬変じゃないですか」
己の口元に人差し指を当ててから、響は語りだす。
「常識甚だしいことだが、人間や我々天使には寿命があるわけだ。あと何年生命活動を続けられるかを表すカウントダウンさ。無論、動物にも存在するし、植物にもある。言ってしまえば無機物にもあるんだよ、その場合生命活動ではなく腐敗までのリミットだけどね」
「現に今、俺も寿命が足りなくてかき集めてる最中ですもんね」
「左様! ……だとすれば、当然、この地球にも寿命があってしかるべしだと思わないかね」
地球。
何十億年も生き続ける、生命の源だ。
そこに産まれた些末な生命体に寿命が存在するならば、親である星にも存在すると考えるのは道理だった。
……現存するもので言えば世界終末時計がイメージに近いだろうか、あれも世界の終わりまでを示したカウントダウンの一種だ。
「天使が永遠に生き続けるため、寿命をかき集めるように――星も何とかして寿命を延ばす必要がある。ただね、星は原則無機物だ。自らの意思で行動することはできない。だから大量の寿命を集めた天使を使うんだ」
「天使を使う……?」
「ああ、驚くことなかれ! 『千年を担う翼』と呼称されるその存在は、文字通り千年の寿命を持つ天使が成れるもので、この地球の中心で星の生命活動を維持し続ける神のような存在さ。寿命が尽きれば次のミレニアムウイングが依り代となる、そうして星は存続しているんだよ!」
神のような存在と言えば耳障りはいいが、言ってみればそれはバッテリーのようなものだ。
十分な寿命を蓄えた天使を犠牲にして、星を維持する。
そして容量がカラになれば次、それが尽きればまた次。
やっていることは神ではなく生贄だ。
だが、それが無ければ星が滅びるとするならば、必要な犠牲と言えるだろう。
「風説流言巷談曰く、その存在は六枚の羽を持ち、煌々とした光を放つ熾天使らしいんだ。羽の数が増えているんだから、まあ、単純に考えて我々より上位の存在であることは必定であると断じざるを得ないと言えよう!」
「え……?」
宗一と詞音の脳内に、あの日の出来事が蘇る。
墜落事故に遭い、天使としての肉体を与えられた、あの瞬間の記憶が鮮明に思い起こされた。
「それ、出会いました……俺たちが死んだ後に、天使にしてくれたんです」
「え!????! マジすけ!???????!!」
どこにそんな瞬発力があったのか驚くほどに、響は一瞬で宗一に近づいた。
顔の距離は僅か数センチ、一瞬頭突きをくらわされたと思って宗一がのけぞる程の至近距離だ。
後ろで詞音が盛大な舌打ちをしたが、心の底からテンションの上がった響には届かない。
「出会ったのかい、熾天使と! 普通出会えないんだよ、熾天使と!」
「え、ええ、まあ……」
「そうか! そうか! そうかぁ!」
響はその場でくるっと翻り、空に円状の軌跡を作る。
居ても立っても居られないほどの感情が彼女の胸に広がり、その目を輝かせていた。
役者のように作られた笑顔は消えて、今の彼女が浮かべるのは、子供が浮かべるような純粋無垢なる笑顔。
失ったはずの感情が蘇ったのか、その顔に生気が宿っていた。
その表情はまるで憧れの俳優やアイドルについて語る夢見者、恋する乙女のように瞳を爛々と彩らせ、頬を上気させて興奮交じりに身をくねらせる。
「私の夢はね、熾天使と出会うことなんだ! ミレニアムウイングに成って神との謁見を取り付けて、本当に熾天使がいるのか確かめたかったんだ! ……でも、そうかあ、そうなのかあ!」
ようやく来たんだ、代替わりの時期が!
あらん限りの声で、響は叫んだ。
「熾天使が姿を見せたということは、恐らくその身に宿った寿命が尽きかけているってことだよ。つまり新たなミレニアムウイングが選ばれる時期に来たんだ! ……私が神に出会うまで、その姿を改めるまで、あと少しなんだ……! ああ神よ、人の望みの喜びよ! 我が心中に揺蕩うこの感情を何と譬えようか、仮令幾京の言葉を操れようが表白できはしないだろう……!」
「……空蝉サン、はしゃぎすぎデス」
「これがはしゃがずにいられ……いや、そうか、そうだね……今の状態を思い返したら、後々頭を抱えそうだ。一人になったら思う存分はしゃぐことにするよ」
赤く染まった己の頬を数回叩いて、更に深呼吸を重ね、響はいつもの平静さを取り戻す。
そして自由気ままに飛んでいたのを正し、再び隊列を整えて飛び始めた。
「やあれ若人諸君、惑乱して慙愧の至り! なにぶん積日生き続けてきた苦労が報われそうだったのだから、推し量ってもらえると助かる。あとついでにさっきの痴態を忘れてもらえるとさらに助かる、忘れてもらえなければ手頃な石で記憶を飛ばさせてもらおう!」
少しだけ耳朶を赤く染めた響を見て、何百年生きて自我が崩壊していたとしても、心の奥底にはまだ人格の欠片が残っているんだなと宗一は思う。
「千年分の寿命ですかー。なんだか規模が大きすぎて想像しにくい数値ですねぇ」
「それだけではなし! その上ミレニアムウイングに抜擢されるには条件があるんだ。誰一人殺さず、殺人の処女性を保ったまま寿命を貯めないとならぬのよ。……これが容易にミレニアムウイングが生み出されない、最も大きな理由とも言えよう」
誰一人殺さず、千年の寿命を得る。
それは単純に計算して、十二万人もの人間を助けなければならない。
いや、日々減っていく寿命のことも考えるなら、もっと助ける必要があるだろう。
ただでさえ人を殺さずに寿命を得ることが難しいというのに、それを千年分も貯めるにはいったいどれだけの苦労を重ねなければならないのか。
……宗一は、響があれだけ喜んでいた理由を推し量る。
(まあ、俺には無縁なものだよな……)
千年の寿命を得ることなど想像もできないし、神として地球の真ん中で過ごし続けるのも考えられない。
それに第一、詞音を置いて星の電池になることなど受け入れ難いことだ。
宗一はそう思いながら、夏風を切りつつ空を往くのだった。




