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黒薔薇の牙 ―忠義を纏うメイド―  作者: 櫻木サヱ
霧に潜む影

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33/45

夜の館、静寂と小さな声

夜の館は昼間とはまるで別世界のようだった。

暖炉の炎は落ち着きを増し、微かなパチパチという音が広間に静かに響く。シャンデリアの光も、昼とは異なり柔らかく、琥珀色の影を壁や天井に落とす。


リリアーナは書斎から自室へと向かう廊下を歩く。

ドレスの裾が静かに床を擦る音、足元で微かに鳴る絨毯の柔らかさ、遠くの暖炉の火の香りが漂う。


「お嬢様、就寝前に少しお手伝いさせていただきます。」

レアが静かに足元に控える。犬面の瞳は闇の中でも光を反射し、周囲の微かな動きを逃さない。


「ありがとう、レア。でも今日は少しだけ、自分の時間を持ちたいの。」

リリアーナは微笑みながら、机の上の書物に手を伸ばす。日中に庭園で摘んだ花をそっと机に置き、香りを楽しむ。


「かしこまりました。」

レアは静かに退き、部屋の角で影のように立つ。

その背後では、窓の外に庭園の影が揺れ、微かな風がカーテンをくすぐる。廊下の奥にはノアの影がちらりと見えるが、まだ危険はない。


リリアーナは日記帳を開き、今日一日の出来事をゆっくりと記す。羽根ペンの滑る音、インクの匂い、紙の質感。静かな夜の中で、すべてが丁寧に、ゆったりと流れる。


「……今日は、穏やかだった。」

小さな声で自分に言い聞かせるようにリリアーナは呟く。

「はい、お嬢様。」

レアの声がそっと返る。犬面の瞳は微かな灯りに輝き、部屋全体を守るように静かに影を落とす。


窓の外、夜の風が吹き抜け、庭園の木々が微かに揺れる。虫の声と風の音が交わり、館に静謐な旋律を生み出す。

アルフォンスは自室の整理を終え、廊下の警戒を緩めずに巡回する。

エリスは寝室の香炉に火を灯し、室内の香りを落ち着いた夜に調和させる。


「レア、明日も一緒に散歩に行こうね。」

「もちろんでございます、お嬢様。」

リリアーナの声に、犬面の守護者はわずかに首を傾げ、しかし静かに頷く。


夜が更け、館は深い闇に包まれる。

暖炉の火は赤い残光となり、シャンデリアの光も穏やかに揺れる。

家族、執事、メイド、そして犬面の守護者――そのすべてが、夜の館の優雅で滑らかな日常を紡いでいた。


遠くの窓の外、黒い影が微かに揺れる。ノアの微笑は、今日の平穏をほんの少しだけ揺るがす。しかし、今はまだ、日常の静寂が館を包み込む。


リリアーナは布団に入り、深呼吸をひとつ。

「おやすみなさい、レア。」

「おやすみなさいませ、お嬢様。」

犬面の守護者は微かに背筋を伸ばし、静かに見守る。


館の夜は、静かで優雅で、そして確かに守られていた。


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