揺れる午後、微かな影
陽光は柔らかく、庭園の薔薇を黄金色に染めていた。
リリアーナは室内で刺繍をし、レアはその横で紅茶を注ぐ。
銀のポットから立ち上る湯気が、午後の光に溶けてゆく。
「レア、この薔薇……昨日より少し咲き方が変わったかしら?」
リリアーナは指先で花びらをそっと触れる。
「おそらく、微風のせいでございます。
花も生きておりますゆえ、変化は自然なものです」
犬面メイドの声は穏やかだが、耳が微かに動いた。
外の庭から、昨日にはなかった気配が漂う。
数分後、館内の廊下で、わずかな物音。
使用人たちは誰も気づかない。
だが、レアは音の主を嗅ぎ分けた。
──冷たい革手袋、金属の軽い擦れる音。
「……ノア」
心の中でつぶやく。
ただ、声は出さない。
彼の影はまだ直接的な危険ではない。
ただ、存在をちらつかせるだけの、静かな侵入者。
リリアーナが笑って声をかける。
「レア、どうしたの? そんなにじっと見て」
「……なんでもありません、お嬢様」
日常を壊さぬよう、レアは微笑を保つ。
午後のティータイムは穏やかに続く。
だが、ティーカップの縁に微かに残る黒い煤。
朝の散歩でも見かけた微細な痕跡が、またひとつ。
レアは気づいている。
だが、令嬢には知らせない。
彼女の使命は、すべてを未然に防ぐこと──守ること。
⸻
夕暮れ前、リリアーナが窓辺に立ち、庭園を見下ろす。
「レア、なんだか最近、少し空気が変わった気がするの」
「……気のせいでございます、お嬢様」
だがレアの耳が再びぴくりと動く。
影は見えない。
しかし、感じる。
館のどこかに、黒い手袋の存在──微かな波紋が広がっていることを。
午後の光はゆっくりと消え、館に夜の影が落ち始める。
レアは窓辺でそっと誓う。
──主の微笑みを、絶対に守ると。




