白昼の散歩、黒き影
昼下がりの庭園は、春の香りと薔薇の甘い芳香に満ちていた。
白い大理石の噴水が光を反射し、霧のように舞い上がる水滴が小さな虹を描く。
鳥たちのさえずりが、庭の奥まで静かに響いた。
リリアーナは花畑の間を歩きながら、スカートをそっと持ち上げる。
「ねぇ、レア、この薔薇、名前はなんて言うの?」
「これは“漆黒の誓い”でございます。
見る角度によって黒に見えますが、ほんのり赤味を帯びております」
レアは静かに答え、背筋を伸ばす。
その姿はまるで影を纏った黒猫のよう。
犬面でありながら、動きは柔らかく、優雅で、誰も警戒心を抱かない。
庭園の片隅、ヴィクトルが現れる。
端正な容姿に整った礼服。
笑みを浮かべて、リリアーナの手を取る。
「お久しぶりですね、リリアーナ」
「はい……ヴィクトル様」
少女の頬が微かに染まる。
レアは少し後ろに控え、二人のやり取りを静かに見守る。
だが、庭園の影の奥に、ひそかに黒い人影が揺れた。
ノア──執事の存在は、あくまで「控え」として振る舞う。
しかし、その目はレアの方をちらりと向ける。
犬面メイドと灰色の瞳が、一瞬だけ火花を散らすように交わる。
「……今日の薔薇、すごく綺麗ね」
リリアーナの声が、穏やかに庭園を満たす。
ヴィクトルは微笑み、軽く頭を傾ける。
だが、ノアの影が二人の歩みにわずかに入り込む。
レアは気配を嗅ぎ分け、静かに足を止めた。
手を動かすことなく、体の向きを少し変えるだけで、彼女の犬面が示す威圧感は十分に伝わる。
──何かが起こる前に、わたしが護る。
花びらが風に舞い、ノアの黒い影はすぐに消えた。
ヴィクトルは何事もなかったかのように振る舞う。
リリアーナは純粋に笑い、レアも微笑みを返す。
庭園は平和に見えるが、犬面の目は決して油断しない。
散歩の終わり、リリアーナが小さく息をつく。
「レア、今日は本当に楽しかった」
「それは何よりでございます、お嬢様」
だが、夕暮れの空を見上げたレアの耳が、ひそやかに動いた。
──遠くで、冷たい風に混じり、微かに黒手袋の金属音が響いた。
視線を庭の奥に向けるレア。
……そこにはもう、何もいない。
だが、確かに“影”はそこにあった。




