十三話
「殿下!?」
そこに立っていたのは紛れもない彼だった。
いつの間に来ていたのだろうか、気配にまったく気づかなくて唖然としてしまう。
少し離れたところから、側近たちが慌てて駆けてくるのが見える。
彼は腕を組んでわたくしを見下ろし、不機嫌そうな声で言う。
「ベラ、いまさら生徒会の仕事を抜けてもらっては困るぞ。昼食休憩の時間も同様だ」
「あ……それは、そうですよね……」
たしかに、二時間ほどある昼食休憩の内、食事と仮眠を済ませても、一時間は仕事をしているのだ。
昼食休憩中ずっと彼女に付きっきりになって、仕事を滞らせてしまうわけにもいかない。
彼女と彼の顔を交互に見て、どうにかできないものかと思案し、わたくしは閃いた。
「そうだ! 彼女にも生徒会の仕事を手伝ってもらいましょう!!」
「はぁっ?」
「えぇっ?」
驚いた顔で声をあげた二人に、わたくしは嬉々として説明する。
「特待生クラスに入れるくらい、彼女は優秀なんです。わたしの会計の仕事を補佐として手伝ってもらいましょう。そうすれば、人手が増えて仕事効率も上がりますし、彼女も他の生徒に邪魔されずに昼食が摂れます」
「なっ……」
呆気にとられる彼に近づき、さらに彼女に手を差し向けて訴える。
「彼女はこの通り、殿下の近くにいても平気です。殿下に纏わりついたり、迷惑になるようなことは絶対にしません」
「しかし、ベラ……」
「問題になるようなことがあれば、わたしが責任を取ります。だから、どうか、お願いします」
「責任って、お前……」
顔を引き攣らせて後ずさる彼に寄り、わたくしは手を合わせ、必死に懇願する。
「殿下、お願いします……ね?」
首を傾げて潤んだ目で見つめると、彼は口を開けたり閉じたりした後、しばし考え込む。
「………………」
わたくしを見つめていた彼が、脱力したように嘆息する。
「はぁ……仕方ない。ベラがそこまで言うなら、試用的に任せてみよう。使えなかったら辞めてもらうが……」
「ありがとうございます、殿下!」
彼が根負けした様子で承諾してくれ、わたくしは満面の笑みを向けた。
「ロゼリアさま、一緒に昼食を食べましょう! それと、生徒会の仕事を手伝ってくれませんか?」
「え? えぇ? えぇえ?」
突然の展開に困惑している彼女。だけど、逃すつもりはないので、なんとしてでも口説き落とそうと思う。
「もちろん、タダでとは言いません。わたしの料理を気に入ってくれたみたいなので、今後の昼食もわたしがご用意します」
「え! ベラノクスさまの手料理だったんですか?!」
口元に両手を当て、目を丸くして驚いている彼女へ、もう一押し。
「お好みのものをご用意しますよ。甘酸っぱい果物にクリームたっぷりのフルーツサンドなんて、いかがでしょうか?」
「ごくっ……すごく美味しそうです……また、ベラノクスさまの手料理食べたい……あの、あたし、生徒会のお仕事手伝います!」
よしっ! ヒロイン確保!!
彼女が甘党だと知っているので、胃を掴む食べ物ならいくらでも用意できる。
もう逃しはしない、これは勝ち確ですわ。
勝利を確信してニコニコしている横では、彼がなんとも言えない顔でわたくしを見つめ、さらにそれを眺めていた側近たちがぼやく。
「あ……あの殿下が?」
「女生徒を生徒会に?」
「信じられない……イタタタタ」
フェリクスがレオンハルトのほっぺを抓って、お返しに脇腹をどつかれている。
「おいっ、俺の頬を抓って夢かどうか確認するんじゃない! やるなら自分のでやれ!」
「アタタ、どうやら夢じゃないようだね。これは驚いた」
「天変地異の前触れでしょうか。悪いことが起こりませんように」
側近たちの物騒な物言いに慄いて、彼女は顔を青くしてわたくしを見上げる。
「天変地異って……あ、あたしはそんな大層なことをさせられるんですか?」
「いえいえ、とんでもない。大したことありませんよ。至って普通のただの会計仕事ですから、大丈夫大丈夫」
安心させようと笑いかけると、その横で彼が不穏な言葉をこぼす。
「仕事内容はともかく、ベラの仕事速度が〝至って普通〟と言えるものかどうかは疑問だがな」
「えぇ……あたしで大丈夫なのかな……」
「こら殿下、不安を煽らないでください。普通ですから、本当に大丈夫ですってば」
「「「普通?」」」
側近たちから首を傾げられ、彼と彼女からもなぜか訝しげな視線を向けられてしまった。
どうして疑われてしまうのか、まったくもって解せない。
◆
放課後の生徒会室。
さっそく、試験的に会計の仕事を彼女と一緒にしてみる。
市井で生活していただけあって勘定計算が得意な彼女は、会計の仕事も難なくこなし、大変優秀な人材だった。
これで彼女は生徒会の一員として彼との接触も増やせるし、他の攻略対象のフラグも側で監視して阻止できる上に、生徒会の仕事まで片付いていくという、まさに一挙両得――いや、一挙多得だとわたくしはほくそ笑む。
会計仕事が一段落したところで、ふと彼女が思い出したように訊いてくる。
「そう言えば、ベラノクスさまのクラスはどちらになるんですか? あたしよりよほど優秀なご様子なのに、特待生クラスにいらっしゃらないのが不思議です」
制服タイで同い年だと気づいた彼女が疑問に思ったようだ。
ベラドンナは彼女と同じ特待生クラスなのだけど、ベラノクスとしては講義を受けていない。
「え、えっと……実は身体があまり丈夫じゃなくて、部屋を借りて休んでいるんです。朝は薬学の研究などを、昼食休憩と放課後は生徒会と殿下の仕事を手伝わせてもらっています」
公爵家の名義で研究室を一室借りていたので、それらしいことを言い繕う。
当たり障りないように説明していると、話を聞いていた彼が会話に入ってくる。
「まぁ、ベラの場合は貴族学園の講義で学べることなど、すでに習得済みだろうがな」
「それはそうですね。そうでなければ、殿下のお力になることはできませんから」
彼の言葉に同意して頷き、微笑む彼に笑い返すと、そんな様子を見ていた彼女が感心したように呟く。
「お二人はとても仲が良いんですね。親友って感じがします」
「そうだな」
「そうですか?」
彼女の言葉に彼は頷き、わたくしは首を捻ってしまった。
すると、ピクリと眉を震わせた彼がわたくしの頬を両手で挟み、強制的に振り向かせる。
「おい、違うのか?」
口元は笑っている形なのに、目が座っていてちょっと、いや、だいぶ怖い。推しがご立腹なご様子だ。
「いえ、殿下は(懸想してくる女性以外には)誰にでも優しいお方なので、仲のよろしいお方はたくさんいらっしゃると思いますし、わたしなどが親友と言ったら烏滸がましいかと思いまして」
「お前ほど私に気を揉ませて、振り回すやつは他にいないぞ?」
「申し訳ございません。お許しください、殿下」
頬をムギュッと潰されて変顔になっているわたくしに、彼が顔を寄せてきて言う。
「少しは反省しろ」
「何を反省すればいいのかわかりません、殿下」
顔が近すぎる推しの超絶美形な迫力に心臓は飛び出そうだし、内心は尊死寸前で絶叫してるしで、目をグルグル回して脳みそはパンク状態、まったく使い物にならない。
「ふふふ、本当に仲良しですね」
彼とのやり取りを微笑ましそうに眺め、笑っている彼女にわたくしは救いを求める。
「ロゼリアさま、殿下が難しいことをおっしゃいます。助けてください」
「殿下、あまり意地悪したら嫌われますよ。ヒントをあげてください」
彼女が言うと、彼は不貞腐れたように仏頂面をしてボソリとこぼす。
「……名で呼べと言っているだろう。アレクと」
「あ、そのことでしたか。わたしなどが愛称呼びするなんて畏れ多いことです」
「ベラノクスさまも意固地にならずに、愛称呼びしてあげればいいのに」
「お! やはり、そうだろう?」
彼が彼女の加勢に気を良くし、嬉々としてわたくしに詰め寄る。
「ほら、ロゼリア嬢もそう言っているぞ、ベラ」
残念なことに、頼みの綱の彼女は救いになってはくれなかった。無念。
だけど、彼を愛称呼びするなんて、特別感がありすぎるのだ。
愛称呼びは、本来はヒロインが許されることで、乙女ゲームに存在しないモブ以下の存在であるベラノクスが、許されていいはずがないわけで。
さらに推しに詰め寄られ、追い詰められたわたくしは、たじたじになりながら苦し紛れに叫び訴える。
「それでは、ロゼリアさまにも殿下を愛称呼びすることを許してください!」
「は?」
「え?」
なかば推しの近さにパニクって、自分が何を言っているかわからなくなっているけど、モブ以下の自分だけが特別扱いされるような状態はさすがに避けたい。
「わたしだけが愛称呼びを許されるのは畏れ多すぎるんです。ロゼリアさまにも愛称呼びを許可されるのであれば、気兼ねなく呼べますから」
わたくしの顔を押さえる手に両手を添え、眉尻を下げて彼を見つめる。
「それに、ロゼリアさまなら殿下の女嫌いも軽減されるでしょう? 気を許せる友のように仲良くして欲しいのです」
しばし難しい顔で考え込んだ彼は、意を決して宣言する。
「……わかった」
「え? えぇ? えぇえ?」
困惑するばかりの彼女に彼が告げる。
「アレクと愛称呼びすることを許す」
「わたしのこともベラと呼んでください」
彼に続いて告げれば、彼女は頬を紅潮させた。
「あ、あたしのことは、ロゼと呼んでもらえると嬉しいです」
大きな瞳を煌めかせて言う彼女に、さっそく彼が呼びかける。
「ロゼ、生徒会役員の補佐としてベラを手伝ってやってくれ」
「ロゼさま、これからよろしくお願いしますね」
「は、はい! アレク殿下、ベラさま、他の側近の方々も、よろしくお願いします!!」
生徒会に歓迎され、彼女は明るい笑みで挨拶したのだった。
◆
翌日の昼食休憩。
初めて彼女を交え、和気あいあいと食事を終えたところ。
彼女がうっとりとした表情で両頬を押さえて呟く。
「果物とクリームたっぷりのフルーツサンド、すごく美味しかったです。あたし、ベラさまの手料理が食べられて幸せです」
「そんなに喜んでもらえて嬉しいです。作った甲斐がありますね」
美味しそうに食べてくれる彼女の姿を見ていると、小動物に餌付けしているような気分になり、とても癒されるのだ。
生徒会室の雰囲気も、彼女がいることでほっこり癒し空間になっている。心なしか攻略対象たちの表情も柔らかい気がした。さすがは愛されヒロインである。
食事を終えて手早く食器を片付け、膝掛けを取り出して彼女に渡す。
「はい、どうぞ」
「これは?」
「生徒会の食後の日課で、二十分ほど仮眠をとることにしているんですよ。その方が仕事効率も良くなるので」
「へぇ、なるほど、食休みですね。わかりました」
わたくしも隣の椅子で仮眠しようかなと考えていると、彼に急かされる。
「ベラ、まだなのか?」
「あ、湯たんぽのお湯ですか、今お持ちします」
抱き枕(湯たんぽ付き)にお湯を入れないと温かくないので、彼の待つ衝立の奥、仮眠用ソファーのところへ取りに行く。
しかし、ソファーに座る彼の周りには、昨日渡していた抱き枕もブランケットも見当たらず、辺りをキョロキョロと見回す。
「……あれ?」
「抱き枕はないぞ。早くこっちに来い」
彼はいつもわたくしが座っていたところ、ソファーの座面をポンポンと叩く。
「え? なぜに?」
困惑して首を傾げてしまう。
「抱き枕は持ち帰って夜に使っている。捨てたわけではないぞ」
「いえ、そうではなくて……」
「あれだと熟睡してしまう。仮眠ならベラの体温くらいが丁度いい」
「えぇ……」
衝立の外にはヒロインがいるのに、モブ以下の自分が膝枕するのもいかがなものかと思う。
せっかく膝枕するならヒロインの方が断然良いに決まっている。……と言うか、あわよくば、二人の胸キュン・美麗スチルを眺めていたい。
「あ、えっと、殿下……人の体温が丁度良いのであれば、わたしの硬い膝などではなく、ロゼさまに膝枕していただくのはいかがでしょう? きっとその方が寝心地も良いはずです」
下心満載でそう勧めていると――
ブチッ!
――何かが切れる音がして、青筋を立てる彼がわたくしの腕をむんずと掴んで引っ張った。
「わっ!?」
ソファーの上に強引に引き倒され、わたくしを組み敷いて彼は顔に影を落とし、低い声で言う。
「……何を言っているんだ、お前は? まがりなりにも私は婚約者のいる身だ。気安く女性の身体に触れることは許されないだろうが! だから、お前じゃないと駄目なんだ!!」
「は、はいっ!」
彼の小さな怒声に竦み上がってしまう。
こんなに憤慨している姿を見るのは初めてだ。
動揺して涙目になって彼を見上げる。
「ふんっ!」
彼は鼻を鳴らし、ガッチリと腰に腕を回して強制的にわたくしを抱き枕にし、お腹に顔を埋めた。
「………………」
間を置いて、推しに押し倒され、抱きすくめられているということに気づき、わたくしは仰天して過呼吸になる。
「……かはっ……ぐふぅ……死ぬっ! 死ぬぅ!!」
ご立腹した推しが完全に殺しに来たのではないかと慄き、わたくしは瀕死の掠れた悲鳴をあげ、救いを求めた。
だが、救いは来ないし、彼も放してくれそうにない。
彼はお仕置きだと言わんばかりに、わたくしを抱きすくめたまま、すやすやと仮眠したのだった。
一方、騒がしい物音に目を覚まし、衝立の陰からそろりと覗いていた側近たちとヒロイン。
「喧嘩ではなさそう。放っておいても大丈夫そうだね」
「じゃれついてるだけみたいだし、特に問題なさそうだな」
「喧嘩するほどなんとやらとも言いますし、しゃしゃり出るのも野暮です」
「二人は本当に仲良しなんですね。くっついて寝てる猫みたいで可愛いです」
のほほんとそんなことを小声で囁く者たち。
雰囲気から感覚が麻痺しているのか、二人の異様な距離間の近さにツッコミを入れる者は誰もいなかったのである。
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