十一話
わたくしは万全を期し、早朝から学園へと登校し、廊下で待機していた。
すれ違う生徒たちが、チラチラとわたくしの姿を見て、囁き合う声が聞こえる。
「見て、ベラドンナさまがいらっしゃるわよ。今日はいつもよりお早いのね」
「いつ見ても気高くお美しいお姿、お見かけするたびに見惚れてしまいますわ」
そんな外面はツンと澄まし顔で佇んでいるわたくしであったが、内面はドキドキソワソワしっぱなしなのである。
なにせ、前世でドハマリしていた乙女ゲームの本編が始まるのだ。
大好きなイベントがこの目で直に見られるなんて、こんなご褒美にテンションが上がらないはずはない。
乙女ゲームのシナリオでは、途中編入してきたヒロインが案内役の講師とはぐれ、校内で迷子になってしまう。
焦ってヒロインが廊下を走り回っていたところ、運悪く学園の憧れの的であるベラドンナと衝突し、二人とも転倒。
王太子の婚約者であるベラドンナから激しく叱責を受けたヒロインは、それを見ていた生徒たちから白い目で見られるようになる。
それから、生徒たちは示し合わせたかのようにヒロインを避け、虐めるようになっていくのだ。
理不尽な虐めを見かねた攻略対象たちがヒロインへ手を差し伸べ、交流を重ねるうちにヒロインの健気な愛らしさに惹かれていき、恋愛ルートが開かれる。
典型的な展開ではあるが、それが乙女ゲームの醍醐味というものだろう。
今日この日、推しカプが運命的な出会いを果たす。そんな見逃せない重要なイベントがあるのだ。
これは、何がなんでも間近で見たい! 見なければならない!!
使命感に燃え、わたくしが鼻息荒く意気込んでいると――
ドンッ!
「きゃっ!」
「きゃん!?」
――突然の衝撃が身体を襲い、結構な勢いで弾き飛ばされ、思わず変な声を上げてしまった。
床に倒れて強かに身体を打ち付け、わたくしがアイタタと腰をさすっていると、背後から慌てた声が聞こえてくる。
「ご、ごめんなさい! あたし迷って、よそ見しちゃって、ぶつかってしまいました。本当にごめんなさい!」
うわー、ヒロインの声、可愛いー! ……じゃなくて、わたくしは横向きに倒れた状態で振り向き、悪役令嬢のセリフを言わなければ。
「校内を走るだなんて、なんてはしたない……」
流し目を送り、チラリとその姿を見る。
生きてるヒロイン、きたーーーー!
こぼれそうなほど大きな薔薇色の瞳、柔らかい桃色の髪、白くて小さくてふわふわで、そんな生身のヒロインが目の前にいる!!
これぞ愛されるべくして生まれてきたヒロインの姿、超絶カワイイ!
慌てて立ち上がった彼女が屈み、わたくしへと手を差し伸べてくれる。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
だけど、悪役令嬢のわたくしは持っていた扇子でその手をバシンッと思いきり叩き落とす――つもりが、そんな勢いで叩いたら絶対に痛いと思ったら勢いが削がれ、ペチリと手を払うだけになってしまった。
ちょっと、いや、だいぶ失敗……。
冷や汗を垂らしつつ、気を取り直してすっくと立ち上がり、わたくしは悪役令嬢らしく、切れ長な目で威圧的に彼女を見下ろす。
すると、彼女はわたくしの顔を見上げてポッと頬を染め、もじもじと恥ずかしそうにしながら訊く。
「あ……あたし今日からこの学園に入学した、ロゼリア・ローズクオーツと言います。あなたは?」
「あら、あなたが元孤児と噂の男爵令嬢でしたか。どおりで……下賤な生まれは隠せませんわね」
わたくしはじろじろと不躾な視線で見下ろして眺めるけど、内心は大興奮で悶絶していた。
薔薇色のほっぺとか可愛すぎか! 上目遣いのキュルルンお目々とか、もう反則でしょ! うわーうわー、動いてるヒロイン、ギャンカワ!! ……じゃなくて、辛辣なセリフを言わねば。
「哀れな身の上とはいえ、淑女としての最低限の礼儀作法くらいは心得るべきではなくて? 身分の高い者から名乗るのが常識だと幼子でも知っていてよ。それとも、わたくしに対して礼儀は不要と軽んじられているのかしら?」
周囲で傍観していた生徒たちがざわつき、わたくしに追従して口々に非難する。
「王太子の婚約者である公爵令嬢に向かって、なんて無礼な振る舞いだ」
「この国で最も美しい花と称えられる、ベラドンナさまを知らないなんて、そんなはずはないでしょう」
「なんという侮辱かしら、己の耳を疑ってしまいますわ……」
非難する言葉の数々に、彼女はどんどんと萎縮していき、小さい身体を余計に縮こめていく。
「そ、そんなつもりは……」
暗い表情で俯いた彼女に、わたくしはさらに辛辣な言葉を放つ。
「身の程をわきまえなさい。本来なら高貴なる血筋の者たちが通うこの貴族学園に、あなたのような下賤な者は相応しくありません。くれぐれも高貴な方々の迷惑になることはなさいませんように」
「……はい、ごめんなさい」
彼女は大きな瞳に涙を浮かべ、か弱い小動物のように震えてしまう。
うわああああああ、可哀想可愛い! 今すぐ抱きしめて慰めたい! ……けど、ここはぐっと堪えて退場せねば、ヒロインを慰めるのはヒーローである推しの役目なのだから!!
「ふん! 失礼しますわ」
わたくしは足早にその場を立ち去り、ぐるっと一周して、こっそりと陰から覗き見る。
先ほどの一件で彼女を手助けしようとする生徒たちはいないので、ふらふらと彷徨い歩いていた彼女は、偶然通りかかる王太子にもぶつかってしまう。
運命的なファースト・コンタクト。〝美麗スチル〟の出会いイベントなのだ。
魅了体質の彼は誤って触れてしまった彼女が、これまでの女性たちとは違う反応を示したことに、ひどく驚く。
そして、困り果てている彼女を見かねて助け船を出してくれるのだ。
しかし、今か今かと推しが現れるのを待っていたけど、いつまで経っても現れる気配がない。
………………遅いな。全然、来ないんだけど、遅すぎない?
このままでは、授業の始まる時間になってしまう。
ゲームのプレイではわからなかったけど、ベラドンナとの一悶着と、彼とのエンカウントに、時間差がだいぶあったのだろうか。
そうなると、彼女はこの後もしばらく迷子になって、彷徨い続けることになってしまうんだけど。
あんなに肩を落として、とぼとぼ歩いて、可哀想すぎる……。
「よし、呼んでこよう」
我慢できなくなったわたくしは、彼を連れて来ることにした。
◆
急いで着替えてTS薬を飲み、ベラノクスの姿になって、彼の通う上級生のクラスへと出向く。
「殿下はこちらにいらっしゃいますか?」
クラスの入り口から覗いて訪ねると、その姿はすぐに見つかった。
彼もわたくしに気づいて微笑み、近づいてきて声をかけてくれる。
「ベラ、体調は大丈夫か?」
「はい、昨日はご心配をおかけしました。今はいつも通り、大丈夫です」
彼が顎に手を当て、気遣わしげに言う。
「少し考えたんだが、私も世話になっている宮廷医師に一度診てもらわないか? 国一の名医だ。ベラの身体のことも改善できるかもしれない」
「殿下……お気持ちは大変嬉しいのですが、血筋的に特異なものですから、お医者様が治せる類のものではないんです。僭越ながら、魔法薬学に関しては、わたしの血筋――古の魔女の家系が随一だと自負していますし、自分の身体のことは自分がよくわかっています」
「そうか……」
提案をお断りすると、彼は明らかに落胆したようだった。
嘘の病状で彼を気落ちさせてしまうのは、罪悪感に苛まれて非常に心苦しい。
だけど、今はそんなことよりもと、彼に詰め寄って訴える。
「わたしのことなどより、途中編入の新入生が困っているので、助けてあげて欲しいんです!」
「……新入生? どういうことだ?」
「ベラドンナと廊下でぶつかって、きつく叱責された女生徒がいるんですが、他の貴族たちからも元孤児だからと白い目を向けられてしまって、助けてくれる者がいないんです。殿下が気にかけてくださったら、きっと他の生徒たちの目も変わるでしょう。ですから、お願いします」
彼は女生徒だと聞いてことさら渋い顔をする。
「彼女は他の女性たちとは違います! 彼女だけは特別なんです!!」
必死に訴えると、彼は怪訝な表情を浮かべて訊いた。
「元孤児と辺境領にこもっていたベラとは縁もゆかりもないはずだろう? その女生徒が特別だと言うのはなぜだ?」
「それは、運命の乙女だから……あ、えっと、上手く説明できないんですが、彼女は特別な乙女なんです。殿下にとっても良い運命になります。だから、どうか手を差し伸べてあげてください。お願いします、アレクシス殿下」
熱心に訴えれば訴えるほど、彼は不愉快そうに目を眇め、不機嫌な声で言った。
「ベラの言う運命の乙女とやらも、きっと他の女と何も変わらない。私が近づけば懸想し、欲を宿した目で見てくるだけだ。それを目の当たりにすれば、お前の目は覚めるのか?」
わたくしは彼をまっすぐに見つめ、胸を張って自信満々の笑みで断言する。
「彼女は他の女性とは違います。絶対に殿下を傷つけたりしません。心配しないで大丈夫ですから、わたしを信じてください」
彼はわたくしの顔をじっと見て、困ったように眉尻を垂らした。
「………………」
「それと、これも渡してあげてください」
さっき急いで用意した校内地図も手渡して欲しいと差し出す。
なんとも言えない表情で手書きの地図を見下ろした彼は、わたくしの顔を見て眉を顰めて逡巡し、嘆息して頷く。
「ベラがそこまでするなら……わかった」
「ありがとうございます、殿下! では、こちらです――」
彼をヒロインとの出会いイベントの場所へと連れていった。
「あの廊下を曲がったところです、殿下」
手で指し示して促すと、心底気乗りしないといった様子で彼は重いため息を吐く。
「はぁ……」
次いで、彼は早々に済ませようと思ったのだろう、表情を切り替えて顔を上げ、示した方へと向かっていった。
廊下の曲がり角に差し掛かった、その時――
「きゃっ!」
「おっと!」
――途方に暮れてふらついていたヒロインと、颯爽と歩いていた彼がぶつかった。
勢いに押されて倒れそうになった彼女を、彼はとっさに抱きとめる。
涙ぐんでいた薔薇色の瞳と驚きに見開かれた碧眼の瞳。二人の目が合い、見つめ合う。
その決定的な瞬間を、わたくしはこの眼に焼き付けたのだ。




