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十話

 放課後になり、わたくしがいつものように生徒会室へと訪れると、どことなく空気が重い。

 どうしたのかなと思いつつも、書類の整理をしていれば、フェリクスがそろりと近づいてきて耳打ちする。


「殿下の表情が浮かないんだけど、喧嘩でもしたの?」

「いいえ、そんなまさか。喧嘩なんてしませんよ」

「そっか、じゃあ他に何か原因があるのかな? 昼過ぎからずっとあんな感じなんだけど」

「ずっと……?」


 言われて彼の様子を窺う。

 いつもは真面目な顔で黙々と仕事をこなしている、凛々しくも輝かしい彼の表情が重く暗い。

 普段、キビキビと書類を捌いている所作にもキレがなく、覇気がないのだ。

 何かを思い悩んでいるようにも見える。


「あんな状態の殿下はあまり見たことないから、どうすればいいんだろうと思って」

「たしかに、心配ですね……」


 昼食休憩の時、わたくしが飛び出して行った後に何かあったのだろうか。

 呼び止められたのに急に出て行ってしまったのは失礼だったと思うけど、ご立腹されたとしても落ち込まれるようなことではないと思う。

 なので、やはりその後に仕事のことなどで、何かしらあったのかもしれない。


「殿下、報告書をまとめたので、ご確認をお願いします」

「ああ、わかった」


 声をかければ、彼はいつも通りに手を差し出し、書類を受け取って丁寧に対応してくれる。

 報告書の説明を終えて、わたくしは思い切って彼に訊く。


「あの、何かお仕事でお悩みではありませんか? 殿下のお力になりたいので、なんでも申し付けてください」

「ベラ……ああ、そうだな。今、手がけている仕事は概ね順調だ。お前のおかげで、西の僻地の件も特段問題はない。ありがとう……」


 少し影のある表情ながらも、儚く微笑んでお礼を言ってくれた。

 彼の尊く麗しすぎる姿を心の奥底に刻みつけ、わたくしも微笑み返す。


「少しでも殿下のお力になれていたら嬉しいです」

「………………」


 彼はわたくしをじっと見つめ、逡巡する素振りをする。

 それから、何か言おうと口を開きかけ――


 コンコンコンコン。


 ――生徒会室の扉を叩く音が響き、迎えに来てくれた義兄が顔を出す。


「ベラ、迎えに来たぞ」

「はい。では、お先に失礼します」


 生徒会役員たちへ挨拶し、義兄と一緒に帰ろうと向きを変える。


「…………ベラ!」


 彼の声が響いて呼び止められ、振り返れば、彼が真剣な表情で言う。


「話がしたい」


 席を立って近付いてくる彼の前へ、義兄が身を乗り出して制す。


「駄目だ。ベラには大事な用がある。話なら明日にしてくれ」


 TS薬の効果切れを懸念し、悠長にしている時間はないと判断した義兄が、断りを入れてくれたのだ。

 それでも、彼は必死な表情でわたくしを見つめ、訴える。


「少しだけでいい、話を……頼む」


 わたくしが義兄に視線を向けると、駄目だと首を横に振られた。


「………………」


 だけど、彼の切実な表情を見ていると、どうにかしてあげなければと、断り切れない気持ちになって、つい口走ってしまう。


「あまり時間がないので、ここで話せることでしたら……」


 それを聞いた彼の表情が少しやわらぐ。

 次いで、真剣な表情へと変わり、彼は重々しく告げた。


「ベラ、すまなかった。私の発言はあまりにも礼を欠いた物言いだった」


 わたくしはなんのことだろうかと首を傾げて考え、昼食休憩でのことかと思い当たった。


「……あ、〝女だったら〟と言ったことですか? わたしは気にしていないので、そんな些細なことで謝らないでください。王家の方が容易く謝罪してはいけません」

「騎士道を重んじる家系の男に対し、言っていい言葉じゃなかった。明らかな失言だ」


 彼は忠臣に対して失言してしまったと悔やみ、思い悩んでいたようだ。

 そんな誠実で真摯な姿勢の彼が尊すぎて辛い。

 すでに尊さが上限突破してるのに、さらに記録更新してくる推し尊し。はー、もう、好きすぎる。


 きっと、彼は謝らなくて良いと言っても気にしてしまうだろうから、その気持ちを受け取ろう。

 わたくしも真剣な顔で姿勢を正し、彼をまっすぐに見据えて応える。


「わかりました。謝罪を受け入れます」


 そして、できるだけ柔らかく微笑みかけ、明るい声で言う。


「ただ、料理を振る舞ったり世話を焼いたりと、わたしはあまり男らしくないところも多いので、女性的な印象を受けてしまうのは仕方ありません。母親似で女顔ですし、わたしはまったく気にしていないので、気に病まないでください」


 彼はわたくしを見つめ、瞳を揺らめかせながら問う。


「なら、どうして……どうして、あんな顔をしたんだ?」

「どんな顔だったかわかりませんが、少し驚いたのかもしれません。何気ない言葉がこぼれるくらい、殿下に気を許していただけているなら、とても光栄なことですから。嬉しくてつい、涙ぐんでしまったかも。ほら、殿下のこととなると、わたしは情緒が不安定になるので」


 気に病む必要はないのだと明るく答えると、彼は安堵したように表情を綻ばせた。


「私はそんなベラを好ましいと思っている。いつも支えられ、助けられている。これからも力を貸して欲しい」


 そう言って彼に手を握られ、両手で包み込まれた。

 緊張していたのだろうか、彼の少しひんやりとした手の感触が伝わってくる。

 推しに手を握られているのだと、間を置いて理解が追いつき、わたくしはどもってしまう。


「そ、そう、ですか。ありがとうございます。もちろん、これからも誠心誠意、尽力いたします。殿下のお力になることが、わたしの幸せですから」


 推しからの不意なファンサに、正直絶叫しそうなほど動揺しているのだけど、ここは冷静を装って精一杯微笑んでおく。


「ベラ。やはり、愛称呼びしてくれ。距離を置かれているようで、悲しくなる」


 さらに追い打ちをかけてくる推しの破壊力。

 心情的には尊死しすぎて、すでにオーバー・キルなんだけど。

 正直なところ、キャパ・オーバーなので、もう早々に退散したい。


「あの、申し訳ございません。時間がないので、あとは明日に……お許しくださ――」


 ドクンッ!


 ――心臓が脈打ち、身体が熱くなり始めた。


「あ……!」


 包み込まれている手を引き抜こうとしても、彼は放してくれない。


「身体が熱いな……どうした、調子が悪いのか?」

「は、放してください! 殿下!!」

「ベラ!?」


 焦って大声で叫べば、異常を察した義兄が彼から引きはがし、わたくしを担ぎ上げて走り出す。


「はっ、はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……」


 TS薬の効果が切れたのだ。

 息が切れ、身体が灼熱に焼かれるように熱い。

 義兄に運ばれている間にも、身体がどんどんと女になっていく。


「ベラッ!」


 彼が心配して後を追ってくる声が聞こえる。

 わたくしの身体は、元の女体に戻ってしまっていた。

 どうかバレないようにと願い、義兄の肩口に顔を埋め、必死にしがみつく。


「急患だ、ベッドを借りる!」


 震えることしかできないわたくしを、義兄は急いで医務室へと運んでくれた。

 カーテンが閉められ、ベッドに降ろされて、すぐに布団をかぶせられる。

 わたくしは布団の中で、TS薬を取り出して急いで飲む。


「うぐ、ううっ……は、はぁ……」


 男体化する苦痛を耐えていると、カーテンの外が騒がしくなる。


「テオドール、これはどういうことだ?」


 すぐさま駆けつけてきた彼が、義兄に説明を求めた。

 義兄は間を置き、重く低い声で答える。


「ベラノクスには持病がある。薬を飲んで休息しなければ命に係わる。長時間の拘束は許されない」

「なっ、なんだって! そんな状態で、私の仕事を手伝っていたのか?!」


 狼狽するような彼の声が響いた。


「女みたいだと言ったようだが、騎士の家系でこんなに華奢なのは病弱だからだ。才知にあふれた優秀な弟が屋敷から出られず、これまで表に出てこなかったのもそのためだ」

「命に係わるなら、こんな危険なことをさせる必要などなかっただろう! なぜ止めず、私に預けるような無謀なことをした!!」


 危機的状態に困惑し、責めるような口調で彼が叫ぶと、義兄は怒号を吐く。


「殿下が婚約者を拒絶したからだろ!!」

「っ!」


 わたくしの不注意のせいで招いてしまった、二人の言い争いがいたたまれない。

 男体化が落ち着いて、ぐったりとした状態だけど、なんとかカーテンから顔を出し、震える手で義兄の裾を掴む。


「はぁ、はぁ……っ……テ、テオ兄さま、わたしはもう大丈夫ですから……」


 義兄はわたくしの震える手を握り、彼を睨みつけるようにして告げる。


「拒絶されてもなお殿下を心配する義妹が、殿下を心酔する弟に相談したんだ。どうにか殿下の力になれる方法はないかと考えて決めたこと……弟には時間がない。この先の運命は決まっている。だから一年はベラの好きなようにさせるつもりだ」

「!?」


 それを聞いた彼は絶句し、言葉にならない様子だった。


「大事な家族のことだ、他人にとやかく言われる筋合いはない」


 義兄は冷たく吐き捨てるように言い切った。

 家族や仲間にはとても優しい義兄だけど、それ以外には辛辣すぎるほど冷たい。

 わたくしはなんとかフォローしなければと、冷や汗をかきながら、彼に微笑みかけて言う。


「殿下、いつものことなので、少し休めば大丈夫なんです。驚きましたよね、心配をおかけしてしまって申し訳ございません」


 義兄は気遣うようにわたくしの頭を撫で、先ほどとは別人ではないかと疑いたくなるほど、優しい声で囁く。


「ベラ、落ち着いたなら帰ろう」

「は、はい、テオ兄さま」


 わたくしはもう少し彼へも気遣ってくれたらいいのにと思うのだけど、厄介なシスコンのことなので、難しいんだろうなと思って、ため息がこぼれる。


「………………」


 そんなわたくしたち兄弟(兄妹)のやり取りを、彼は複雑な表情で黙って見つめていた。

 身体の熱も引いて楽になったので、心配をかけてしまった彼へ、改めて挨拶する。


「アレクシス殿下。それでは、わたしたちはこれで失礼します」

「ああ……また、明日……」


 わたくしが名を呼んで笑いかけると、彼は切なげな微笑みを浮かべ、手を上げて見送ってくれたのだった。


 ◆


「テオ兄さまは天才です! こんなに機転の利く、素敵なお兄さまは他にいません! お兄さまの中のお兄さま、最強のお兄さまです!!」

「ふふん。それほどでも――あるかもしれないな。可愛い義妹に称賛されて、最っ高に気分がいい。もっと褒め称えてくれてもいいぞ」


 帰りの馬車に乗り込むなり、わたくしは義兄のとっさの演技を褒めちぎっていた。

 やっぱり、持つべきものは頼りになるシスコンの義兄である。


 一年という期間も、婚約破棄されるまでの約束の期間だけど、義兄の物言いで、彼はベラノクスの余命があと一年だと誤解しただろう。

 これで、今後は無理に引き止められることも、長時間の拘束をされることもないだろうから、正体がバレる危険性も減った。


「いよいよ、本編がスタートするので、その前に環境が整って良かったです」

「本編がスタート……なんの話だ?」

「ふふふ。こちらの話ですから、気にしないでください」


 乙女ゲームのシナリオを熟知しているわたくしは知っているのだ。

 ついに明日、ヒロインが学園に登場し、乙女ゲームのシナリオがスタートするということを。


「家族思いで優しいテオ兄さまが大好きです。どうか一年、協力してくださいね」

「ああ、俺も可愛い義妹が大好きだ。この頼れる義兄に任せておけ」


 乙女ゲームの攻略対象である義兄も、本来は悪役令嬢を断罪してヒロインと結ばれるルートがあるのだけど、推しの幸せのためにそのルートは潰させてもらう。

 すべては推しの幸せのための打算だけど、頼れる義兄のことは大好きだし、家族思いな義兄が前に言ってくれた通りに娶ってくれるのなら、貞淑な良い妻になるからどうか許して欲しい。


「わたくしはテオ兄さまの幸せも願っていますから……」

「うん? そうか、ありがとう。ベラは本当に可愛いな」


 義兄は嬉しそうに微笑んで、わたくしの肩を抱き寄せ、こつんと頭をつけた。


「皆が幸せになれるよう、わたくし頑張りますから――」


 ◆

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