九話
サラリとした眩い金髪が流れる頭がわたくしの膝の上に置かれ、彼は横になった状態でゆっくりと目を閉じたのだ。
「………………!」
こ、こ、これはもしや……この、この体勢は、いわゆる、俗に言う――膝枕というものでは? わたくし、推しに膝枕してしまっているのでは?? しかも、推しからの直接的な接触で???
彼の麗しい寝顔が超絶美しいし、なんかすごくいい匂いするし、膝の上の重みがもううわああああって情報過多すぎて、わたくしはオーバーヒートしてフリーズしてしまう。
女体では触れるどころか近づくこともできない。けど、男体なら隣に座って肩が触れる距離にいても許されるとは思っていた。
だから、隣に座ってるだけでも、多少なりとも暖かい熱源くらいにはなれると思っていたのだ。けど……まさか、推しからダイレクトにタッチされるとは思っていなかった。
もうどうしたらいいのかわからない。指一本動かせず、ただただ固まってしまう。
心臓はバクバクと早鐘を打ち、体温が爆上がりして、顔まで熱くなっている気がするし、全身真っ赤になっているに違いないんだけど。
内心、大わらわなわたくしの心情など露知らず、推しは膝枕の温もりが丁度良いのか、心地よさそうに寝息を立ててスヤスヤと眠ってしまった。
自分も仮眠を取るとは言ったけど、こんな興奮状態で寝るなんてまず無理。
わたくしに身を預ける無防備な推しが尊すぎて、もう昇天して仮眠どころか永眠してしまいそうな勢いなのだ。
けども、推しの仮眠の妨げになどなってはならないので、微動だにしないよう細心の注意を払い、わたくしは無我の境地になって己を暖房器具だと思って固まる。
硬直している間にも時間は刻一刻と過ぎていき、ハッと気づいた時には予定のニ十分が経ってしまった。
早く起こさなければと思う反面、このままずっと安らかな寝顔を眺めていたい願望も湧き、内心葛藤しつつも、できるだけ優しく穏やかな声で呼びかける。
「……殿下……殿下、お時間ですよ」
彼のまつ毛が微かに震え、ゆっくりと瞼が開き、その碧い瞳が露わになる。
「……ん。本当に眠ってしまったな」
「殿下はお疲れでしょうから……少しでも癒しになれば良いんですけど……」
寝ぼけ眼でぼんやりと呟く彼に囁きかけると、膝に頭を預けたままわたくしを見上げて訊く。
「ベラノクス……なぜ、お前はそうまでして私に尽くそうとするんだ?」
彼は真意を読み取ろうとするように、わたくしの瞳を見つめて言う。
「最初は婚約者のことなど、要らないことを示唆されるのではないかと警戒していたが、しばらく様子を見ていても、そういった類の狙いがあるようには見えない……」
動機は単純明快で、彼がわたくしの〝推し〟だからなんだけど。
推しと言っても意味がわからないだろうから、どう言ったら伝わるかなと少し考え、諺を交えて説明してみる。
「殿下はこんな諺があるのをご存じですか? 『情けは人の為ならず』」
この世界にはない諺かもしれないと思いつつも訊いてみると、案の定、彼は首を横に振った。
「いいや、初めて聞くな」
「人に親切にすると、その人のためだけでなく、やがては自分に返ってくるという意味の諺なんですが、これは真理だと思っています。なにせ、わたしは速攻で直接返ってきていますから」
「どういうことだ?」
眉根を寄せる彼に続けて説明する。
「人は他者に親切にすることで、幸福を感じるんだそうです。わたしも殿下のお力になれて、幸せを実感しています。あ、ちなみに諺でいう情けとは、人を哀れんだり同情するって意味ではなく、人を思いやり親切にするって意味ですよ」
「………………」
わたくしの話を聞き、彼は難しい顔をして顎に手を当てて考え込む。
さらに、わかりやすいようド直球で訴える。
「わたしは殿下に尽くすことが幸せなんですから、自分の幸せのために尽くしているのも同義です。それはもう、直接的に幸せを感じているので、殿下がご迷惑でない限りはお気になさらなくていいんです」
目を見張って困惑した表情をする彼へ、力強く断言する。
「ですから、殿下は何も気に掛ける必要はございません。殿下が思うままに行動し、心身共に健やかでいらっしゃることが、わたしにとっての最大の褒美なんですから」
「……何も望まず、そのままでいいなんて……それではまるで、無償の愛みたいだな」
彼がはにかんで呟くので、今度はわたくしが考え込んで答える。
「無償の愛、無条件の愛情ってことですか? わたしは完全なる無償の愛なんてものは存在しないと思いますけど」
「そうなのか? それはどうして?」
身体を起こして座り直した彼が、不思議そうな顔で訊いてきた。
「親子や恋人や知人友人への愛も、すべては関係性があってのものですし、一緒に居たり何かすることで幸せを感じているなら、そこにはもう得難いものが大量に発生しているってことです。それって完全な無償とか無条件とは言い難くないですか?」
「小難しいことを言うな」
彼に目を眇められてしまった。
だけど、そんな色々な表情を見せてくれる彼が、わたくしにとってはとてつもなく尊いわけで。
「推しの笑顔とか、推しの寝顔とか、推しの限定レア・アイテムのあれやこれや、そんな尊いものを得られるのなら、全財産をつぎ込んで破産してでも手に入れたい! 課金したいと思うのが人の性というものなんですよ!! そりゃもうなんでもしますよね!!!」
「なんかよくわからない話になったな」
勢い余って主張すると、なんとも言えない顔をされてしまった。
「おっと、熱が入りすぎました……おほん。殿下への奉仕はわたしにとっては、見返りがバンバン大量発生していますので、どうぞご安心ください!」
とにもかくにも、彼にとっては益はあっても害はないのだと、ニッコリ笑顔でサムズアップして見せる。
「それは、本当に安心していいのか……?」
なぜか少々疑わしい目で眺められ、彼にそうぼやかれてしまった。
だけど、彼の瞳には複雑な感情が浮かび、どこか感心したような声で呟く。
「そういった考え方もあるんだな……そんな風に想ってくれる者が側にいるというのは、不思議なものだな」
いつもより柔らかな表情で微笑まれ、わたくしは見事に胸を打ち抜かれて、尊死したのだった。
◆
また後日、昼食休憩中でのこと。
食事を終えて食器を片付けていれば、彼まで席を立って片付けを手伝おうとしてくれる。
「殿下はそんなことされなくても、わたしが全部やりますよ」
慌てて止めようとすると、彼が手早く食器を集め、差し出して言う。
「まぁ、たいしたことではないが、このくらいならしてもいいだろう。『情けは人の為ならず』らしいからな」
「ん? ……と、おっしゃいますと?」
昨日わたしが教えた諺を口にした彼。その意図がよくわからなくて、首を傾げてしまう。
「お前はその諺が真理だと言っていただろう。なら、私の行いは私に返ってくる。裏を返せば、見返りを期待してもいいということだろう? お前は必ず返してくれそうだからな。次の昼食も期待しているぞ」
そう言って悪戯っぽく笑って見せる彼が、もう尊すぎて速攻で死ねる。
「んぐうっ! も、もちろんです! 昼食メニューのリクエストはありますか?!」
推しの笑顔に動揺しまくり、わたくしは梅干しみたいに顔をしわくちゃにしながら即答してしまった。
「あははは、なんでそんな変な顔をするんだ。ははは……そうだな、お前の好物はなんだ? それがいいな」
「わっかりました! お任せくださいぃぃぃぁぁぁああああ殿下が尊いああああっ!!」
繰り出される輝く笑顔の数々に情緒が崩壊し、わたくしは身悶えながら快諾してしまうのだった。
◆
それから、さらに数日が経過する。
わたくしの手作り弁当と食休みの仮眠は、すっかり日課になっていた。
そして、なぜか当然のように、推しを膝枕することにもなってしまっていた。
安心したように膝の上で眠る彼が、猫みたいで可愛いなと現実逃避しつつ、わたくしは宇宙猫顔してしまう。
「………………」
本来の女体だったら、絶対にありえないシチュエーション。
彼との距離感に困惑してしまうけど、こうしてずっと寝顔を眺めていられたら、どんなに幸せだろうと考えてしまう。だけど、それは叶わない夢なのだ。
もうすぐ、乙女ゲームのヒロインが学園に途中編入してくる時期。
こうしていられる時間も、きっとそう長くはない……。
「……殿下、お時間ですよ」
いつも通り、仮眠休憩のニ十分が経って、軽く声をかけて彼を起こす。
「お前と一緒にいると心地が良いな」
目を開けた彼がぼんやりとわたくしを見上げて呟いた。
「私を理解してくれているような気がするからだろうか。お前が女だったら良かったのに……」
何気なくこぼした彼の言葉――それが、わたくしの胸を切り裂いた。
「っ……嘘つき、ですね。殿下は……わたしが女だったら近づくこともできないでしょう。似た顔の婚約者も駄目だったんですから」
あるがままのわたくしでは、女のままでは近づくことさえ許されない。拒絶されるだけで、受け入れてなどもらえない。
彼を幸せにできるのは、わたくしではないのだから。それが、覆すことのできない真実――運命。
胸が痛み、涙が込み上げてきて、泣きそうになるのを必死に堪える。
「なんで……そんな顔をするんだ?」
彼が驚いた顔で起き上がり、困惑の色を滲ませた瞳でわたくしを見つめる。
「私は懸想してくる女が駄目だが、お前が女だったら違ったんじゃないかと思ったんだ」
彼に悪意があるわけではない。彼は何も悪くはない。けど、だからこそ、その言葉は残酷だ。
わたくしは感情を押し殺した微笑みを浮かべ、不安そうに目を揺らめかせる彼に告げる。
「大丈夫ですよ。殿下はこれから運命の乙女と出会って、真実の愛を育んでいくんです。必ず幸せになれますから。絶対にそうしますから」
「ベラノクス……」
彼はわたくしの表情を気にかけるように、その手でわたくしの髪を梳き、頬に添えた。
「ベラと呼んでいいか? 私のこともアレクと呼んでいい、愛称呼びを許す」
頬に触れる彼の手をそっと押さえ、離させる。
「わたしのことはお好きに呼んでください。ですが、殿下を愛称呼びするのは畏れ多いです。そういったことは運命の乙女と――」
離そうとした手を握られ、引き寄せられる。
彼はわたくしに詰め寄って言った。
「ベラ。名で呼べ」
「……ア、アレクシス殿下」
つい、名呼びしてしまった。
彼の顔の近さに困惑し、心臓が跳ねてしまう。
男友達だとしても、この距離感はおかしくないだろうか?
少し距離を取ろうかと考えていると――
「あの、昼食休憩も終わる時間ですので……」
ドクン!
――心臓が脈打った。
早めに飲んでいたTS薬の効果がそろそろ切れるかもしれない。
わたくしは焦り、早く退室しようと立ち上がる。
「殿下、失礼します!」
「ベラ!!」
彼が呼び止めようとするが、正体をバラすわけにはいかない。
わたくしは急いで生徒会室から飛び出して行ったのだった。
その後、仮眠場所から姿を現した彼の暗い表情を見て、いつもと違う雰囲気に、側近たちは互いの顔を見合わせた。
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