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頑張ってね、小林君!  作者: もう無理だよ
136/211

136_私と鶴首とご機嫌顔のお嬢様


私の名前は田辺元気たなべもとき。男、独身、野望あり。



8月、社長に呼び出されて本社に出勤します。最上階の角部屋が社長室であり、ガラス張りの窓から明るい光が差し込む開放的な空間となっております。


約束の時間に部屋をノックし、来客用のソファに腰掛けると、社長はすぐに本題に入りました。


「前置きは省略して…田辺君…ずばり、君から見て環の婚約者はどう思う…?」


「中原様ですか…?そうですね…環お嬢様には合わないと思います。それに個人的にも嫌いなタイプですね…人としても…男としても…」


「はぁーだよな…俺もそう思うんだよ…やはり例の件…実行するかな…?」


ため息をつきながら社長は決心し、私に提案します。


「中原君にハニートラップを仕掛けようと思う。もし成功すれば環との婚約は破談になるし、こちらに有利なカードが手に入る。協力を頼みたいんだが…どうだろう…?」


口元をゆるめる仕草で社長が私の意を汲んで下さいました。



後に計画は驚くほど上手くいき、環お嬢様の婚約は破談となり、中原様には私たちが抱えている問題を解決していただけることになりました。


社長が高笑いしている頃だろう…と思って山梨で働いていると愛さんが子機を持って慌ててやってきます。


「田辺さん…パパから電話…なんだか落ち着かない様子だけど…」


すぐに子機を受け取って通話ボタンを押しました。


『田辺君…緊急でお願いしたいことがあるんだが…』


環お嬢様が中原様に婚約破棄を取り消してもらいたい主旨で説得しに行くとのことです。


「なるほど…それで私が環お嬢様の暴走を止めれば良い…ということですね?」


「話しが早くて助かるよ」


「お任せ下さい、具体的にいつ頃環お嬢様は中原様に会いに行くのでしょうか?」


私は詳細を聞いて電話を切ろうとしました。


『あぁ、例の件、田辺君から環に聞くんだよな…?』


「はい…私から直接伝えたいと思います」


あぁ、とか、うん、とかボソボソ言われて電話が切れました。





10月24日――


戸矢崎家の立派な玄関に車を付けて環お嬢様を待ちます。その間、懐かしのモップで窓を拭いていましたが、拭けども拭けども環お嬢様はやってきません。


(やれやれ…迎えに行った方がいいのでしょうか…?世話が焼ける…)


モップを片付けようとしたら玄関先にお嬢様が立ち尽くしていました。


「どうして…?田辺…どうして…ここに…?」


やっと来たと思ったら酷いお顔でした。


「…その顔で中原様に会いに行っても無駄でしょう。さぁ、乗って下さい。私とドライブに行きましょう」


さっさと車に促して、山梨のホテルに連れて行きます。あとは愛さんが対応して下さる。




翌日――


寝不足ですが、スッキリ晴れやかな環お嬢様がご機嫌で車に乗り込みます。


「田辺、聞いて…アタシね、中原さんとの結婚がなくなったの!もう嬉しくって…最高の気分よ!」


「それは良かったですね…。東京に着いたら起こしますから、ひとまずお休みになられたらいかがですか?」


「眠れるかしら…なんだか気持ちが高ぶりすぎてて眠れそうにないのよ…でも…そうね…ねむく…なって…きた…わね…」


言うなりケーキのクッションを枕にして、コテンと寝てしまいました。バックミラーで確認します。熟睡ですね…ですが、いい顔だと思います。




戸矢崎家の立派な門をくぐって玄関に車を止めます。


「お嬢様…到着しましたよ…」


ぐっすり寝ています。お嬢様の顔を見ながら私は背もたれに寄りかかりました。


(せっかく婚約が破談になって喜んでいるのに、すぐに新しい婚約者ができたとなれば若い女性ならショッキングなことでしょうね…本来なら好きな人を作ってデートを楽しみたいお年頃なのに…しかも相手が30歳を過ぎた私ですから…)


どう伝えるのがベストか…と悩んでいたらお嬢様が目を覚ましました。


「ふぁ~良く寝たわ…あらっ、もう着いていたのね。運転ありがとう、あなたのおかげでストレスがなくなったわ…」


「いいえ、私は何もしていません」


車から降りて環お嬢様の前に立ちます。


「…変ねぇ…確かにそうだけど…」


首をひねって考え中の環お嬢様にさりげなく本題を話しました。


「お嬢様…あなたの婚約者ですが…私に決まりました…」


声が震えて小さくなって…ごまかすために私は強めの口調で続けました。


「…鳩が豆鉄砲を食ったよう…というのは今のお嬢様のようなお粗末なお顔なのでしょうね」


(何を言っているのでしょう…まるで好きな子をいじめる小学生男子のようです…)


お嬢様のストレスにならないように伝えようと思ったのに私は酷いですね。中原様に負けず劣らずのダメ男のような気がします。





次の日――


社長から婚約の話を進めたいと連絡が入りました。環お嬢様は私と結婚することに異議はなかったのでしょうか。社長に聞きます。


「異論はないそうだ。私の都合の良いように進めてほしい、と環に言われた」


「そうですか…私も社長の良いように進めてほしいと思いますが…」


環お嬢様と直接会って話したいことがあると伝えたら早い方がいいだろうと社長が都合をつけてくれました。




10月29日――


お嬢様と公園で待ち合わせをします。


(どんなお顔で来るのでしょうか…?)


お嬢様は顔に出ます。どんな心理状況か顔を見れば一発で見抜けます。


「田辺…お待たせ…遅くなったかしら…悪いわね…」


目を細めるお嬢様…私に笑いかけているのでしょうか…。予想外の展開にパニックになりそうでした。


顔色を伺おうと思ったのに、お嬢様の顔が見れません。


「一週間のお休みか…アタシなら派手に遊びたいわ…」


上機嫌と感じますが…どうなのでしょうか。お嬢様の心理状況が掴めません。


「ねぇ、釣りをしてみない…?」


断わりました。

ミニ丈のワンピースで釣りなんてご冗談でしょう?ダメです、色々とダメです。


「あちらにベンチがあります…そちらで返事を聞かせて下さい」


「返事?お父さんから聞いているでしょ…?」


「直接あなたから聞きたいのです」


環お嬢様が椅子に座るとミニのワンピースがさらにミニ丈になります。目のやり場に困るので、私は持って来たブランケットをお嬢様にかけます。


「田辺には野心があったのにアタシのせいで遠回りさせたわ…だからアタシと結婚することで挽回できたらと思うし、もっと上に行けるように協力できたら…と思ったの」


「それが…返事ですか…?」


「そうよ…他には何もないでしょ…」


(何もない…ですか…どうしてこんなに胸がザワザワするのでしょう…)


山梨のホテルで働くことは野心から遠のくと思っていましたが勘違いでした。働いてみて分かったことですが、むしろステップアップのチャンスだったのです。


しかも環お嬢様に恩も売れた、と浮かれたほどです。


(恩を盾にして、このまま結婚することもできますが…果たしてそれでいいのでしょうか…?)


結婚というものは一生のことです。やっぱりやめたは通用しません。隣でのんびり釣りを眺めている環お嬢様は本当に分かっているのでしょうか?聞いてみました。


「ストレス溜めて倒れたら田辺に寄りかかるから抱きとめてほしい…」


倒れる前提で話しが始まりました。頭が痛いです。


「アタシは結婚というものが幸せの象徴だとは思わない。結婚相手は誰でも構わないの。大切なのは両親や家族が喜んでくれることだから…お父さんとお姉ちゃんが田辺なら安心だって言ってたからアタシに断わる理由はないわ」


あぁ、沙羅も安心だって言ってたわね、と白い歯を見せます。


「ありがとうございます…お嬢様の正直な意見が聞けて…良かったです…」


(何が良いのだろう…こんなにもショックを受けているのに…)


私が落ち込んでいる隣でお嬢様は釣りを見ながら話を続けます。


「ねぇ、田辺はアタシに会いたいって思う時はある?同時にアタシがいなくて寂しいと思うことは…?」


私もお嬢様に同じ質問をしたら「ないわね」と即答されました。ショックが大きいですよ。


「私はありますよ…」


「あ、あるの…?それはいつどこで?何時何分、地球が何回まわった時…?」


小学生のようなことを言われました。おかしいですね、本当にお嬢様は面白い人です。

ショックを受けていた心が少しだけ軽くなりました。


「ねぇ…この後ケーキを食べに行かない…?」


「いい提案ですね」


ケーキのことは下調べ済みです。

特にショートケーキは環お嬢様のストレスが発散できる食べ物です。


――ねぇ、田辺…ストレスが溜まったら好きな人と美味しいケーキを食べればいいと気づいたのよ


(そう言って微笑んでいたのはいつでしたか…懐かしい…)


「ねぇ…田辺…ストレスが溜まったら、あなたとケーキを食べたいと思う…」


「…えっ?」


「これから先…結婚して…夫婦になっても…一緒にケーキを食べる時間だけは作ってほしいわ」


「それは…私へのプロポーズですか…?」


「プロポーズ…?いいえ、アタシはアタシの望みを口にしただけよ…」


「そう…ですか…」


心臓が止まるかと思いました。胸に手を当てます。心臓は止まっていません、異常な早さで動いているだけでした。


「田辺…再来週の金曜日にサプライズがあるから…期待して待ってて…」


「サプライズですか…?期待して…待っていれば…いいのですか?」


(あぁ、今度こそ心臓が止まる…)


胸に手を当てます。心臓は止まっていません、さらに異常な早さで動いているだけでした。


(こんな調子で二週間待つのですか…?それは地獄の日々なのでは…?)


「…何でそんな嫌そうな顔するのよ…?そりゃ楽しくないかもしれないけど…アタシなりに色々と考えて計画してたのに…」


(お嬢様が私のことを考えて計画…?それは一体どんな計画なのでしょう…?)


「お嬢様…あの…気を悪くしないで聞いていただきたいのですが…サプライズという言葉は意外なこと、予想外のこと、という意味ですが、相手を喜ばすことも意味しています。どれに当てはまるのでしょうか…?」


「……?それを言ったら意味ないじゃない…?」


「確かにそうですね…ですが…私は二週間も待つのです…少しヒントを下さい」


「ヒント…そうねぇ…まぁ…意外なことでもあるでしょうし…驚くと思うわ…。だけど楽しみにしててほしいとも思うし…アタシの夢が叶う瞬間でもあるわね…」


お嬢様の話を聞いていたらますます混乱しました。


「分かりました…期待して待っていますね…」


何も分かりません。私が分かったことは白い歯を見せるお嬢様の顔色が良い…ということのみです。


(今の私にとってお嬢様の顔色が優れていることが唯一の救いですね…)





二週間後――


山梨のとある駅の近く、私は地蔵のようにじいっと立っています。約束の時間よりだいぶ早いですが、何をしても手に着かないので、待ち合わせ場所で時間を潰すことにしたのです。


(待つ側というのはこんなにもゆっくりと時間が過ぎるのですね…首を長くして待つ…という言葉がありますが、私の首もキリンや鶴のように伸びたように感じます…)



プップー

一台の白い車が私の前に止まります。リアウイングが大きい派手な車…と思っていたらお嬢様が乗っていました。


「サプラーイズ!」


「お、お嬢様…?運転が…できるのですか?」


「えぇ…アタシの長年の夢…車を運転することだったの…」


じゃじゃーん、と免許証を見せてくれます。緑ラインの免許証…本物ですね…。


「さっそくだけど、今からドライブに行きましょう!」


「そ、それは…死ぬ時は一緒だ…というようなプロポーズでしょうか…?」


恐る恐る助手席に乗り込みます。


「ハァ?何言ってるのよ…純粋にドライブを楽しもうって話しじゃない」


「楽しめません、怖いです…」


「ハァ?アタシは高速に乗ってここまで来たのよ…?無事にたどり着けているし、安全運転を心掛けるわよ」


「安全運転は心掛けることじゃありません、基本的なことです」


「うるさいわね、ごちゃごちゃと…これだから年寄りは困るのよ…」


「あの…ちなみに…どちらに行くのでしょう…?」


「決まっているでしょ?」


「…そうですね…愚問でした…」



2008年11月14日、お嬢様と婚約を決めてから心臓の動きが異常です…私が先に倒れるかもしれません…ですがその時はお嬢様めがけて倒れればいいですね、そうしましょう





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