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魔王、辞めます。  作者: 稲生景


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新魔王と、兄様呼び

 ――魔王城・執務室


「ロウズ、今日の予定は何ですか?」

「はい。予定は……特にございませんね」

「……魔王がこんなに暇だったとは。兄上が魔王を辞めた理由、今なら分かる気がします」


 彼の名はゼノム・モナーク。

 先代魔王・ロストの実弟であり、第350代目魔王としてその座を継いだ男である。


「いえ、魔王様の場合は、あまりに優秀すぎて、すべき仕事が早々に片付いてしまった……というのが正確かと」

「はぁ……仕事もない、人間も攻めてこない。暇すぎますね……」


 ゼノムが深いため息を吐いたその時、執務室の扉がノックされた。


「入れ」


 彼の一言で扉が静かに開き、男が一人、木箱を担いで入ってきた。


「宅配です。ゼノム様宛てにお荷物が届いております」

「荷物? ロウズ、こちらに」

「かしこまりました。ただいま」


 ロウズが箱を受け取り、机の上に置く。


「木箱と……手紙ですね。差出人は……ロスト様!?」

「兄上から!?」


 ゼノムは勢いよく立ち上がると、ロウズの手から手紙を奪うように取って、封を切り読み始めた。







 我が自慢の弟、ゼノムよ。元気にしているか?

 俺は相変わらず元気だ。


 今は蟻人たちと一緒に農業をしながらのんびりと暮らしている。これがまた想像以上に楽しくてな。

 木箱の中には、俺が山で採った木の実と、蟻人たちが作ってくれた菓子が入っている。良かったら食べてくれ。


 そのうち、俺が育てた野菜も送るから、楽しみにしておいてくれ。


 ――ロストより


 P.S. 妹ができたぞ。






 手紙を読み終え、ゼノムは穏やかに微笑む。


「兄上……楽しそうで、何よりです……ん?」


 文末に小さく書かれた一文に気付き、ゼノムは目を凝らした。


『P.S. 妹ができたぞ。』


「…………はあぁっ!?」


 いついかなる時も冷静沈着だったゼノムが、初めて本気で狼狽した瞬間だった。


 ――数週間前、ロストの家にて。


 レティがロストの家に来てから、早くも数週間が経過していた。

 その日、ロストが部屋で本を読んでいると、扉がノックされた。


「誰だ?」

「私です、兄様あにさま

「レティか。入っていいぞ」


 扉が開き、レティが小走りで入ってきた。

 ロストに拾われた当初は全身ボロボロだった彼女も、今ではすっかり綺麗になり、髪も肌も輝きを取り戻している。


 艶やかな赤香色のショートボブに、真っ白なワンピース。とても可愛らしい姿だった。


「レティ、何か用か?」

「えっと、蟻人さんたちから、昼食ができたので兄様を呼んできてほしいって頼まれました」

「そうか。一緒に行こうか」

「はいっ」


 二人は仲良く並んでリビングへ向かう。


 ――ちなみに、なぜレティがロストを「兄様」と呼ぶようになったのか。その理由は、初めて「妹」として迎え入れられた日の出来事に遡る。


 ――ロストの家・リビング


「あの、ロスト様……」

「レティ。今日からお前は俺の妹なんだから、“様”付けで呼ぶ必要はないぞ」

「えっ、でも、じゃあ何とお呼びすれば……?」

「それを今から決める。まずはだな……」


 ロストは手元のメモ用紙を取り出しながら言った。


「まず、『お兄ちゃん』と呼んでみてくれ」

「え、えっと……お、お兄ちゃん?」

「……うーむ、何か違うな。じゃあ次は『お兄様』だ」

「お、お兄様……?」

「悪くない……が、まだ何か物足りないな。では次は――」


 このやり取りを、周囲の蟻人たちは静かに眺めていた。


「……ロスト様、何してるんだ?」

「どうやら“呼び方会議”らしいぞ」

「思いついたことをすぐ実行するよなぁ、あの人は……」

「まあ、いつものことだよね」


 そして試行錯誤の末、最終的に「兄様あにさま」に決まったのだった。


「レティ、ここでの生活にはもう慣れたか?」

「はい。最初は少しだけ戸惑いましたけど、今はもう大丈夫です」

「そうか。それで、どうだ? ここでの暮らしは楽しいか?」

「はい! とっても楽しいです!」


 レティは目を輝かせ、嬉しそうに話し始める。


「お庭のお花に水をあげたり、畑の野菜を収穫したり、クロちゃんのお世話をしたり、蟻人さんたちにお料理を教えてもらったり……全部、今までやったことがなくて、とても新鮮で楽しいんです!」

「それは良かったな」


 ロストがレティの頭を優しく撫でた。


「あっ……えへへ……」


 撫でられたレティは、照れながらも嬉しそうに微笑んだ。


「やはり、お前の笑顔は可愛いな」

「あ、兄様……」


 レティの頬がほんのり赤く染まる。


「……そういえば兄様、さっき読んでいた本は?」

「農業の本だ。今度、新しい魔野菜でも育てようと思ってな」

「そうなんですか……兄様、その本、後で私も見せていただけませんか?」

「ん? いいが、急にどうした?」

「私、自分の手で野菜を育ててみたいんです。ただ採るだけじゃなくて、一から作ってみたいんです!」

「ふむ……いい心がけだ。苦労して育てた魔野菜が立派に育った時の喜びは格別だぞ。レティもその感動を味わってみるといい」

「はい! 私、頑張ります!」

「うむ、いい返事だ」


 ロストは再びレティの頭を撫でる。


「えへへへ……」


 レティは満面の笑みを浮かべた。


「お前の笑顔を見ていると、癒されるな。これからもその笑顔で、俺を癒してくれよ」

「はい、兄様!」


 ――こうして、今日もロストは、レティの笑顔に癒されるのだった。

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