悩み 5
呆けている恵子へ手を差し出したまま啓吾は続ける。
「理解できないのも無理がありません。到底信じてもらえないことだと分かっていましたから。
だけど、一度だけで良いんです。僕を信じてこの手を握ってくれませんか。」
傍から見たら口説き文句の最中にも見えるが当の本人たちはそれぞれ想いが異なる。
一方は真実を話すために手を取ってもらいたいが、もう一方はこの怪しい男を信じてしまってよいか心の中で天秤にかけていた。
「……雪乃と話ができるとは、どういうことなんですか?」
恐る恐る質問する恵子。
これまでに培ってしまった怪しい雰囲気を払拭するため、啓吾は極めて真摯に伝えることを心掛けながら話す。
「僕は昔から人の見えないものが見えるんです。これも受け入れてもらいにくいのですが、霊媒体質というやつです。
以前は見えるだけでしたが、最近は話もできるようになりまして。正直に言いますと恵子さんに初めてここへ連れてきてもらった際、すでに雪乃さんと会話をしています。」
目の前の男が言っていることが信じられず、恵子は難しい顔を見せながら考える。
「たしかに、ここでの会話は少し不自然ではありましたが…。啓吾さんが単に変な方なんだと思っていました。」
啓吾、ちょっと落ち込む。
「こうしてお話しても信じてもらうことは不可能でしょう。なので、僕の力を直接みていただくしかありません。
僕の手に触れた人間は僕と同じように霊と会話することができます。僕は何もしないと誓いますし、手だって広げたまま動かしません。恵子さんは少し触れるだけで良いのです。
手を離さなければ持続しますから、もし何も起こらなかったらすぐに引っ込めていただいて構いません。
どうか、僕を一度だけ信じてください。」
手を差し出したまま頭を下げる。
人が少ないとはいえ、周囲には行き交う人たちもいるのだ。いよいよもって愛の告白だと勘違いされてしまっては困ると恵子は自分が折れることにした。
「わかりました。わかりましたから頭を上げてください。周りの人たちに変な目で見られてますから。」
恵子から了承を得た啓吾は顔を上げるとその明るい表情を恵子に向けた。
「それでは、改めて。」
そうして啓吾が手を差し出すと、恵子は少し身を傾けながら腫れものに触るように啓吾の手を握った。
「えっ!?」
するとどうだろう。
視界が光に包まれていき、先ほどまで暗いばかりであった通りに光が差し込む。その光は埃の煌めきのようなモヤを伴っており、現実世界とは違う世界にいるようであった。
まるでモノクロフィルムの映画に入り込んでしまったかのような感覚。恵子の頭にまず思い浮かんだのはそんな漠然とした感想であった。
「……恵子?」
視界の変化に驚いていると声がかかる。
声は女性のものであった。聞き覚えのある、それも久しぶりに聞く声。
声がしたほうへゆっくりと顔を向けると、ちょうど花壇の前に女性が佇んでいた。
「ゆ…きの……?」
恵子がやっとのことで声を出すとその女性は、はにかんだような笑顔を向ける。
この不思議な視界のせいか佇んでいる女性は淡く白い光の輪郭をかたどっており、少し全体がぼやけているように見える。しかし、恵子はこれが雪乃であると確信できていた。
「恵子。ようやく話せた。」
「雪乃!雪乃なんだね!?よかった!無事だったの?」
啓吾は約束を破り、手が離れないように恵子の手をグッと握るが、恵子はそれには気づいていないようだった。
雪乃は確かに亡くなっている。搬送先の病院でそう判断されているし、葬式だって終わっている。葬式に出席している恵子にそのことが分からないはずはないのだが、それでもそう言ってしまうのは自然なことなのかもしれない。
「んん。そこのお兄さんのおかげで話せてるだけ。私は地縛霊になっちゃったみたい、残念なことにね。」
「でも、でも……。地縛霊って、やっぱり私のせいだよね。私なんか庇ったから…。」
再会できた喜びも今はなく、暗い顔で俯く。
雪乃に会えたこと自体は嬉しいことではあっても、現状の原因が自分にあるのでは申し訳なさでいっぱいになってしまうのだ。
「なーに辛気臭い顔してんのよ!そんなんだから私が天国にいけないんじゃない!せっかく拾った命なのに、これじゃ庇い損よ!
わかったら自分を責めるのをやめなさい!今すぐに!!」
すごい勢いで捲し立てられ、思わず肯いてしまう。
「よし!けど、突然ごめんね。どうしても恵子とは話しておきたくて。
そこのお兄さんに頼んで場を作ってもらったの。」
恵子は啓吾のほうを見ると、啓吾は特に感情を見せずに肯くだけだった。
「恵子には高校の頃からつらい思いさせちゃったよね。
恵子は誰からも好かれて、それでいて謙虚で。いつも私よりも一歩前を言っているようで、それがものすごく悔しかった。」
雪乃が語り始めると恵子は口を挟むことなく一言一句聞き逃すことがないように静かに耳を傾ける。
「高二のことも、そう。私が好きだった相手と恵子が付き合ったことよりも恵子に負けた気持ちになった自分が許せなかった。
だから最初は負け惜しみのつもりだった。それがいつの間にかエスカレートして、謝るタイミングもなくなっちゃって…。
大学に入ってすぐの頃にそんな自分がみじめで仕方なくて。だから距離を置いた。」
恵子が入学早々で綾と出会うことになる事件を起こしたあとから雪乃は恵子の前に現れないようになっていた。
授業では会うものの、話すことも言いがかりもつけられることがなかったが、そんな思いが雪乃の中にあったことなど恵子は知らなかった。
「だから教授に研究室へ誘われて、そこに恵子がいて驚いた。
だけど、それと同時に今度こそ仲直りできるかもって思って。だから研究室に入った。」
しかし結果は散々なものであった。
すでに研究室に溶け込んでいた恵子は周りからの信頼も厚く、それに嫉妬してしまった雪乃は以前のように恵子へつらく当たってしまっていたのだ。
「研究室に入ってから何もかもうまくいかなくなって、いつの間にかこれって恵子のせいかも、って思い始めてた。
私、プライベートでゲーム配信やってて。そこでポロっと大学のこと話しちゃったの。むかつくやつだから私の前からいなくなっちゃえばいいのに、って。
だけど、その配信が終わった後に配信を見返してたら自分の考えていることがすごく醜いことだって気づいて。
だから事件の日、恵子に謝るためにここまで来たの。」
恵子は驚きのあまり目を見開き、口をあんぐりと開けて止まってしまう。
それはそうだろう。まさかあれだけ自分のことを嫌っていると思っていた人間が謝るために、自分に会うためにここまで来ていたなど、寝耳に水というものである。
「それに刺されたのだって自業自得だと思うんだ。」
「え?」
「言ったでしょ。配信でボロくそに言ってたこと。
そのとき、つい恵子がショッピングモール好きなことも話しちゃったの。
私の視聴者ってそんなに多いわけじゃないんだけど、狂信的な人が多くて。だから、刃物が見えた時なわかった、自分のせいだって。」
「……でも、庇ってくれた。」
「だって、謝りたかったのに自分のせいで恵子が亡くなるなんてことになったら死んでも死にきれないでしょ?謝ることができなくて、その後悔のせいで地縛霊になっちゃったのは予想外だったけど。
けど、こんな偶然あるんだね。こうやって懺悔できるなんて思ってなかった。結果的には地縛霊になるのも悪くなかったかも。」
笑いながら雪乃はそう言うと、改めて恵子のほうに居なおして深々と頭を下げる。
「恵子。本当にごめんなさい。
今までのこと、強く当たっちゃったことも嫌がらせしたことも、私が死んだことで苦しませちゃったことも。」
「やめて!雪乃のせいじゃない!
私に一歩踏み出す勇気があったらって、ずっと思ってた。
雪乃は私のことを前を進んでるって言ってたけど、私からしたら雪乃のほうが眩しかった。自分を貫く強さがあることも明るくて優しい一面があることも。
本当はずっと憧れてた!雪乃みたいになりたいってずっと思ってた。
だから、だからごめんね。雪乃を余計に苦しませちゃって。」
「私が謝るところなのに、あんたが謝ってどうするのよ。……けど、やっと本音で話せたかな。思ってたのとは違うけど、結構すっきりしたかも。」
「……ふふ。私も。」
そうして笑い合う二人。
ようやく、すれ違っていた二人が本気の気持ちを言い合えたことでモノクロだった世界が色づき始める。
「……これは?」
「雪乃さん、そろそろ時間のようです。」
一度、啓吾に目線を移したあと、啓吾が言ったことを確かめるように雪乃のほうを向く。
「そっか。悔やんでいたことが失くなっちゃったもんね。
恵子、これからは自分のことを大事にして頑張るんだよ。」
「え、…………嫌!やだ!雪乃!」
恵子は心の底から叫んでいた。この後に起こる事がわかったのだろう。
そう。啓吾が言った時間とは、雪乃がこの世から消えてしまう時間であると。
「ちょっと。これから天国に召される美人にすがるのはわかるけど、現実は見ないと。
私はこの世にはいない人間だけど恵子にはちゃんと帰る場所があるんだから。
ほら、泣かないで顔を上げて」
泣きじゃくり言葉にできない恵子に歩み寄った雪乃はスッと恵子の顔に手を差し伸べる。
「約束して。もう悩まないで、自分の気持ちに素直になるって。
あんたは器量よしなんだからきっと上手くいく。だからクヨクヨするのはこれで終わり。
いいね?そうじゃないと私、天国じゃなくて地獄にいっちゃうかもしれないんだから。」
涙でぐちゃぐちゃになった恵子の顔を覗き込み雪乃は笑って見せる。
その姿は薄っすらと透明度を増して、存在が消えていくのがはっきりと見て取れた。
「う…ん。うん、わかった。約束する。……雪乃、ありがとう。」
「ふふ。こちらこそ。」
そうして居なおすと雪乃は啓吾のほうを向く。
「お兄さんもありがとう。お兄さんのおかげで恵子と仲直りできた。」
「いえ、これも仕事の一環ですから。
そうだ。最後に雪乃さんへお伝えしておくことがありました。
事件を起こした通り魔ですが、無理な取引を強いられて契約したものの、それが原因で経営していた会社が多額の借金を抱えて倒産したために自暴自棄になっていたそうです。
そこに恵子さんと目があったため、犯行に及んでしまったと。雪乃さんの配信のことはまったく知りませんでしたよ。」
雪乃と恵子は顔を見合わせて数舜、茫然となる。
「…はは。そっか。私のせいじゃなかったんだ。……よかった。」
「じゃあ、やっぱり雪乃は私のせいで?」
「ほら。約束したそばからそんな顔しない。
恵子のせいなわけないじゃない。言っていたでしょ、自暴自棄になってたって。
犯人を許す気はないけど、自分の馬鹿な言動のせいじゃなかったってわかったからか、なんか胸に詰まっていたものが全部取れたみたい。ありがとう、お兄さん。」
雪乃の感謝の言葉に啓吾は軽く会釈する。
「だけど、口説き文句はもう少し見直した方がいいと思うよ。あれじゃ、ただの不審者だから。」
恵子を雪乃と会わせるために悪戦苦闘していたことをいじられた啓吾、再び落ち込む。
「ふふ。それじゃもう行くね。恵子、約束のこと忘れちゃだめだよ。…………幸せになってね!」
そう言い残し、雪乃の体は光の粒子を少し残して完全に消えていった。
すると、モノクロに見えていた視界も元に戻り、暗闇の中で街灯の光に照らされた花壇だけが残った。
手を繋ぐ二人は会話をするでもなくただ黙々と、綺麗に咲いたコスモスとその傍らに添えられた、コスモスに負けないほど色鮮やかに咲き誇るバラ一輪だけを時間が経つのも忘れて見つめていた。




