悩み 4
―――――三日後
二十一時半を少し回ったこともあり、外はすっかり暗くなっていた。街灯の明かりで辺りの様子は覗えるものの、二十一時が閉店時間のショッピングモールも今は物静かなものだ。
昼間あれだけ賑わっていた大通りも人は疎らで足早に駅の方へと去って行く人ばかりである。ショッピングモール前にいる人物など従業員が帰る程度で誰もいないに等しい。
そんな中、通りの隅にある花壇に腰を掛けている男が一人。どうやら誰かを待っているようで手には花を持っているが、その顔はどこか憂鬱そうであった。とても恋人の帰りを焦れったく待っている様子には見えない。
しかし、そんな男のほうへ近づく女性が現れる。
「お待たせしてしまいすいませんでした、啓吾さん。」
現れたのは秋枝洋品店に自分の運気を上げてほしいと願ってきた依頼人、東原恵子であった。
「いえ、閉店時間を調べておくのを忘れて夕方からこの辺りにいたのでお気になさらず。
そういえば今日は鞄が違いますね。大学にでも行かれていたのですか?」
恵子が謝ったのは二十一時を大きく回ってから到着したことであったが、啓吾の斜め上の回答に黙秘を選ぶことにした。
確かに大学には行ったが時間的な余裕はかなりあったし、ショッピングモールが二十一時に閉店することも勿論知っていた。それでも遅刻したのは、じつはここにくること自体をかなり迷っていたからである。
ほとんど初対面の男と二人というのも不安だが、それよりもこの場所には近寄りたくなかったのである。啓吾が待っていた花壇の中に恵子が嫌うコスモスが咲いていたのも嫌悪感を募らせる一因であった。
黙秘するからにはそのことも隠しておこう、と決めて考えていたことが悟られないように当たり障りなく返答する。
「えぇ。まだ一つだけ単位が取れていない授業があって。大学院に通うことも視野に入れているので、勉強は続けているんです。」
「なるほど。それはすばらしい。不運を絶つためにもとても重要なことです。」
「それはそうと今日はこんな時間に何をするんでしょうか…。」
「もちろん恵子さんの不運を打破するためにお呼びしたのですよ。
ところで、恵子さんは大学院に行かれるとしたら、やはり新種の花の研究をされるのですか。」
「そうですね。教授からも誘われています。……。どうして研究内容を啓吾さんがご存じなんですか?私、啓吾さんに大学の話しましたっけ?」
「それは教授から直接お話を聞いたからです。」
「教授からって…井之頭教授からですか?なんで?大学はどうやって知ったんですか!?」
「失礼かとは思いましたが、必要なことだったので訪問させていただきました。どうして通っている大学を知っているかの回答ですが、綾さんと同じ大学だとおっしゃったのは恵子さんです。」
「どうしてそんな…。必要性をまったく感じません!プライベートを影で調べるようなことをしたのも許せません!ストーカーとして警察に突き出します!」
そういうと恵子は振り返り、駅前の交番まで行こうとする。それを見た啓吾は慌てて言い繕う。
「ぅえぁあ!いやいや、不快にさせてしまったのなら謝ります!懇切丁寧に謝ります!大学に行った理由もこれから全部説明します!だから戻ってきてぇ!!」
その勢いに押されてなのか、人目を気にしてなのか、恵子は立ち止まり戻ってくる。
ひとまず安堵した啓吾は、順番を間違えないように気を付けながら説明を始める。
「まず、恵子さんの大学に行った理由ですが、不運の原因を突き止めるために恵子さんの人となりを知っておく必要があったんです。第三者の視点で伺うほうがこういったことは明瞭になっていきますから。
そこで綾さんに話を聞き、大学の井之頭教授を紹介されたんです。元々は綾さんがいた研究室だったんですね。」
綾のことを出したところで恵子の態度もいくらか落ち着いたようだ。『そういうことなら仕方ないか』とでも思ったのかもしれない。
「前に一度お話したように、私が困っていると綾さんが声をかけてくれたんです。それで綾さんの所属する研究室に行って手伝ううちにずるずると…。」
「教授も同じように話されていました。
綾さんが無理やり連れてきたと聞いていたが、とても熱心に手伝っていたのでつい自分の研究室に誘ってしまったと。
恵子さんを連れてきたことは研究室にとって、綾さん最大の功績だったともおっしゃってましたね。」
啓吾の言葉に恵子は少し恥ずかしそうに顔を伏せる。
「しかし、教授はこうも言っていました。
恵子さんと同級生の雪乃さんがいれば、この研究室もさらに進んだ研究ができていたかもしれない、と。」
『雪乃』という単語を聞いた途端に恵子の顔が険しくなる。啓吾は気づいていないとばかりに話を続けた。
「雪乃さんは自尊心の高い方だったようですね。
教授が柔軟な思考を持つ恵子さんを『コスモス』とするなら、決めたことに一直線の雪乃さんを『バラ』と表現していました。
雪乃さんが研究室にいた期間は教授が連れてきた時期、つまり雪乃さんが二年生だった頃の秋口から三年生の春先まででしたが、性格が正反対の二人にしてはよく二人でいるのを見かけたと言っていましたね。
雪乃さんとは以前からお知り合いだったんですか?」
「え、と…。雪乃とは高校が一緒で…。授業も同じようなのを受けていたので…。……啓吾さん。本当は全部知ってらっしゃるんじゃないですか?」
懐疑的な目が恵子から放たれる。
「推測はあります。しかし、綾さんからも教授からも雪乃さんとの仲がどうだったかは聞いていません。」
…………。長い沈黙。それでも啓吾から次の言葉を促すようなことはしなかった。
時間が経つのが遅く感じるほどに重たい空気の中、ようやく恵子の重い口から深いため息が出る。ため息を吐くとともに体を脱力させて、観念したかのように話し始めた。
「雪乃とは高校から一緒でしたが、あまり仲はよくありませんでした。
いえ、悪いとは言いませんが、雪乃は唯我独尊のようなところがあって、気に食わないことがあるとよく私に当たってきていたんです。」
「いじめ、ですか。」
「世間からはそう見られるかもしれません。
始まりは高校二年のときでした。私が初めて付き合った彼が雪乃が好きだった相手だったんです。かなり強引にアプローチをしていたのに振り向いてもらえなかったようです。
それまでは普通に仲がよかったんですよ。一緒に買い物に行ったり、カフェで他愛もない話をしたり。旅行だってしたことがあります。」
それでも一回のすれ違いが二人の仲に深い溝を作ることになったということだろう。恵子は少し後悔するような表情になっていた。
「その彼とは一年も経たずに別れてしまったので、結果的には悪い方向に進んだだけでした。思えば、ここから私の不運は始まっていたのかもしれませんね。とにかく、そこから雪乃の嫌がらせは始まりました。」
「雪乃さんの嫌がらせは大学でも続いていたのですね。」
「えぇ。綾さんと初めてあったときも雪乃に勉強道具を隠されて探し回っていたときでした。
啓吾さんも大学に行かれたのならわかるかと思いますが、私の大学は広いとはいえ教室の場所がわからなくなるほど入り組んでいるわけではありません。
綾さんは私が咄嗟に吐いた嘘に気づいていたと思います。だけど、そんな素振りは見せずに優しく校内を案内してくれたんです。」
「だから綾さんにあれだけ心酔していたということですか。」
「それでなくても綾さんは私にとって憧れです。
優しいところもそうですが、気さくで明るくて私とは正反対。そう言った部分は雪乃にちょっと似ていたかもしれません。あの子も普段は優しく明るい子でしたから。」
そう言った恵子の表情に、さらに深い後悔の念が浮かぶ。
「恵子さん。教授は雪乃さんが研究室をやめたのは三年生になってすぐのことだったとおっしゃっていました。その理由ももちろん教えてくださったので僕も知っています。
それでも恵子さんの口から聞かなければなりません。この場所で起こった事件当日に何があったのか。」
恵子は歯を食いしばり悩み込む。かすかに手が震え、その震えを抑えるように両手を胸の前でギュッと握った。
しばらくして何回か大きく深呼吸をしたあと、啓吾のほうは見ずに語りだす。その声は今にも泣きだしそうに震えていた。
「事件の日、私はいつものようにショッピングモールにあるカフェへいくために駅からこの通りを歩いていました。
駅にはたくさんの人がいるので普段はいちいち気にかけないのですが、普段から治安のよいこの場所に明らかに挙動不審な男の人がいたんです。
周りからも浮いていたせいか、その日だけはどうしても気になってしまって。つい男の人がいるほうを向いたら目があったんです。」
恵子はその男性が鋭く冷たい目で、どこに焦点を当てているかもよくわからない視線だったのにも関わらず、その瞬間だけははっきりとお互いの目線があったことを確信したと教えてくれた。
「不気味だったので人混みに紛れれば安心できると思って足早にショッピングモールへ行こうとしました。
そしたら誰かに背中を押されて、気づいたらその花壇の近くに突き飛ばされていたんです。
振り向いたら女性がさっきの男の人ともみ合っているのがわかりました。
そして、その女性は男の人が隠し持っていたナイフで刺されました。
そのときに女性と目があったんです。…………。…雪乃でした……。」
消え入るような声でそう話す恵子の目からは涙が出ていた。涙声になりながらも恵子は続ける。
「なんで雪乃があの場所にいたかは知りません。偶然だったんでしょうが…。それでも確かに雪乃だったんです!雪乃が私を救ってくれたんです!
なんで……。あんなに私のことを嫌っていたのに…。…なんで……。」
そうして、人の目も構わずくぐもった声を出しながら泣き出す恵子を啓吾は静かに見守った。
慰めるわけでもなく、宥めるでもなく、ただ静かに恵子が思うままに泣いている姿を見ているだけだった。
泣き疲れたのか、ようやく恵子が落ち着きを取り戻したことを確かめた啓吾はゆっくりと話し始める。
「恵子さん。話して下さり、ありがとうございます。そして、つらい記憶を抉るような真似をさせてしまい、すいませんでした。
ですが、これで恵子さんの不運を打破する準備が整いました。」
啓吾の言葉を聞いて恵子が乾いた笑いを出す。
「啓吾さんは不思議な人ですね。普通の男性はこんなに取り乱した女性をみたら慰めの言葉をかけるものですよ。
ふぅ。でも大泣きしたことで少しだけ楽になれた気がします。不運を招いたのも元はと言えば自分のせいだと頭の中で整理もできました。
そこに雪乃を巻き込んでしまったことは謝っても謝り切れませんが、この業も背負って生きていくことにします。
これでご依頼は達成です。啓吾さん、ありがとうございました。」
少し冷たく感じる声を出して頭を下げる恵子。しかし、啓吾はそこに待ったをかける。
「いや、依頼達成はこれからですよ、恵子さん。
実を言うと、この事件のことは教授と会う前に他の方からも窺っていたんです。
どうして男はナイフを持っていたか。どうして恵子さんを狙ったか。…どうして雪乃さんがこの場にいて恵子さんを庇うことができたのか。」
恵子は啓吾が言っている意味がわからなかった。
この事件のことは当時、この通りにいた人間であれば誰でも知っているし、警察だって事情聴取をとっている。
しかし、雪乃が事件当日、何をしにこの場へ来たのかは不明だった。仮に警察に知り合いがいて教えて貰ったとしても語る前に亡くなっている雪乃が考えていたことなどわかるはずがないのだ。
家の人間にも話していないことを第三者どころか、昨日今日初めて事件のことを知った男にどうしてわかるのか。
訝しむ恵子には到底理解できない言葉を啓吾はさらに続けた。
「恵子さん。僕は人には言えない特技があります。いや、言っても信じてもらえない特異体質と言ったほうが適切でしょう。
恵子さん。雪乃さんに会って話したくありませんか?」
そう言って差し出した啓吾の手のひらを、恵子はただ茫然と見つめていた。




