噂話 in 帰り道
「んのー、今日も充実した一日だったんのー♪」
「せっかくの夏休みを補習で潰されているというのに、なんとまあ幸せそうなこって」
悠里が心の底からの叫びです と言わんばかりに明るく告げる様子に、脇で見ていた利賀が溜息を吐く。
保健室を後にした夕凪たちは、今は登下校の際に通学者が活用している歩行者専用のレンガ道を歩いていた。
時刻は日が沈みかける夕方。左右に並ぶ住宅からは、まな板の上で何かを刻む音やら鍋で煮る音、それに加えておいしそうな献立の匂いが香ってくる。
「んのー、ここの家は魚の煮物なのー? あっ、あっちはなんかカレーっぽいのー」
「お前っていつも楽しそうだよな」
悠里の呟きに対し、右隣にいる利賀が半ば呆れたような様子で再度コメントする。その様子を二人の後ろから眺める由愛と夕凪。
不意に、文哉が夕凪のほうを向いて、不満そうにこう告げた。
「ところでユウよ。お前は俺に謝るべきことがあるだろう?」
なんだこの腐れ野郎は、いきなり訳の分からないことを言うなー と思いつつ、とりあえず反応する夕凪。
「なんであたしがお前に謝らないといけないんだ? まるであたしが、お前を生死に関わる状況に追い込んだみたいじゃないか。お前の命を救った恩人なのに」
「追い込んだんだよ! ほんの数分前に、学校の保健室で! しかもお前の手によって!」
「あれは自業自得だろ? お前があたしを笑うから悪い」
「お前のこと笑う人は死んで良しって、んな無茶苦茶な法律があるかー!」
「法律はねーよ、常識だろ。女の子笑うなって、お母さんに習わなかったのか?」
「それ『笑うな』じゃなくてたぶん『泣かすな』だから! そしてお前はどう考えても女の子の枠外だから!」
「何を馬鹿なっ!? こんな大和撫子に向かって何を言うんだ!」
「ユウを大和撫子と認めたら、世の男女は全て清純派乙女だよ……」
「なんだそれ!? まるであたしがス○ィーブン・セ○ールみたいに屈強な漢に聞こえるぞ!」
「そこまではいってねぇよ、ていうか勝手にそんな有名人と比較するなっ! 謝れ、ス○ィーブン・セ○ールに!」
ぎゃあぎゃあ と、由愛と悠里にとっては見慣れた口喧嘩が、目の前で展開される。
悠里はにんまりと口元を緩ませながら、
「んのー、いつ見ても仲睦まじい夫婦喧嘩。愛漂うんのー」
「誰と誰が夫婦だっ!?」
「んのー、さすがはユーちゃん。頭に血が上ってても気づくんだね♪」
「それは馬鹿にしてるのか? それとも貶しているのか!?」
頭から角が出てもおかしくないほどに、表情が憤怒のそれになっていく夕凪。その様子を見ていた文哉がどうどう と彼女を宥めようと、
「本気に取るなよ……。明らかに弄り心丸出しだろ、奴は。乗るとさらに遊ばれるぞ」
そう言って、彼女の肩を押さえる。その行動からは、ほんの数秒前まで口論していた相手に対する対処とは思えないほど、丁寧なものだった。
が、怒り心頭の夕凪には、そんな阿呆の戯言など聞こえてはいない。
「何を冷静に受け止めている殉職者ぁあ!」
「俺死人扱いっ!? ……あれ、でも二階級特進だから喜んでいいのか? 二等兵から軍曹まで一気に昇進なんだよな、確か」
馬鹿が何かブツブツと呟いていたが、夕凪は「こっちの知ったことではない。そんなことより、今は変な御伽噺を作り上げんとする魔性の女を、この手でひねり潰しておかなくてはっ!」……という気持ちで一杯だったため、そのまま無視。
考えることを捨てた野獣が、指先の関節をボキボキと鳴らし始めた、そのとき。
「これこれ、目先の欲に目がくらんで、問題点を見失うのは駄目だよ」
不意に放たれた落ち着いた声に、一瞬我を忘れかけていた殺戮者と殉職者一名は『はっ』と我に返る。
静止の声は、悠里の向こうを歩いていた由愛のものであった。
夕凪は戦闘態勢に入ろうとしていた右手を収め、ふーっ と息を吐いた後、呟く。
「あ、危ねー……。こんな小さな友人の小さいことでキレて警察沙汰になったら、この先の人生すっげー損してたわ」
「俺の殉職って小さいこと!?」
「ゆーちゃん今私のこと小さいって言ったの?」
「ありがとなー、由愛―。目ぇ覚めたわー」
「大した事じゃない」
「ちょっと誰か構ってくださいっ! ものすごく寂しいんですがこのポジション!」
「ゆーちゃん? いくら利賀くんでも無視はよくないと思うなー」
もっともな助言をした悠里に向かって「いくらって何いくらって!?」と叫ぶ阿呆が視界の隅でうるさかったが、無視して親友の善行にハグで感謝する夕凪。そうしながら、由愛の耳元に口を近づけて、密かに問いかける。
「(つか、本当に疑問なんだけど……。なんでお前はあの阿呆と付き合ってるんだ?)」
「(好きだから)」
即答だった。
夕凪は怪訝な表情を浮かべると、由愛の目を見て、
「(阿呆が好きなのか?)」
「(違うよ? 好きなのは文哉君だよ?)」
おかしい。会話は成り立っているようで、どこか擦れ違っている気がする。
由愛は小首を傾げて、頭上に疑問符を浮かべたような仕草をした。……どうやらこれ以上彼女と会話を続けても、こっちの頭が疲れるだけのような気がする。
夕凪はハグの体勢を解くと、話し相手を替えることにした。
もう一人の親友、もとい先ほど血祭りにあげようと思った、自分の胸辺りまでの身長しかないちびっこ悪女の方に顔を向けると、彼女は落ち込んで肩を落としまくっている文哉の頭を撫でていた。どうやら、彼女なりに慰めているつもりらしい。
……慰められている少年は、撫でられるたびに肩の高さが低くなっているが。
「(慰められてさらに落ち込むくらいなら、頭を差し出さなきゃいいのに……)」
そう思いながら、夕凪は悠里に話しかけようと、口を開きかけたところで、先に悠里のほうがこちらを向いて言ってきた。
「ねえユーちゃん。『ヴィジョンズ・セラー』って、知ってるん?」
「は? ヴぃじょんず、せらあ? 何それ」
いきなり親友の口から発せられた意味不明の単語に、夕凪は不器用に復唱しながら聞き返す。
悠里は自分の小さな顎に人差指を押し当てながら、「知らないんの?」と言う。普通の女子がやるとなかなか様にならないが、見た目が幼い彼女がやると、ちょうど身長差も重なって確実に上目遣いになってしまうため、かなり刺激が強い。何というか、ここで意にそぐわない回答をしては、悪い形で後に引きそうだ と思わされるくらい。同姓である夕凪でも、ムカつきもせずにおとなしく『YES』の道を進んでしまうことが、その魔力の強さを物語っているだろう。
「なんだよ、その、『うぃじょんずせらあ』っていうのは?」
「ユウ、なんかものすごいバカっぽく聴こえるぞ。お前の発音はぐっ!?」
文哉の奴がなんか言っていたが、奴の顔面に裏拳を叩き込んで黙らせる。……英語は苦手なのだ。特に文章の朗読が。
沈黙した文哉を無視して、悠里は説明を始めた。
「んのね、今クラスで話題にあがってるんだけどね。最近、この町で黒いフードを被った男を見かけたっていう話、知ってるん?」
「ああ、そういえば昨日の学校の不審者通報に載ってたわ。このくそ暑い夏に、馬鹿みたいに黒尽くめの格好してるやつが、日中近所を歩いてるって話でしょ?」
「んの。その話だよ」
夕凪の言葉に頷く悠里。
と、由愛がおずおずと手を挙げながら、
「……あの、それだけで、不審者扱いになるの?」
「いや、だって真夏だぞ? 直射日光だけで人をぶっ倒しかねないこの季節に黒尽くめになるなんて、頭がオシャカになってるヤツ以外にどう見ろっつーんだよ」
「……その人の、マイブーム的ファッションとか」
「自らの命を賭してまでやる必要のある服装か……? 黒尽くめファッソン」
「んのー、ファッションだよ、ゆーちゃん」
「細かいことは気にするなっての」
「……すでに頭がオシャカになってんのって、ユウのほうじゃねぐれらっ!?」
いつの間にか立ち直っていた文哉を、その鳩尾に裏拳を叩き込んで再び黙らせる。私の頭がオシャカだと言うなら、てめぇの頭はすでに御臨終だっつーの。
「というか、話脱線してないか? その野郎と『うぃじょんずせらあ』ってのに、なんの関係があるんだ?」
「うんにゃ。それそのものなの」
「?」
即答してくれた悠里の言葉の意味が分からず、夕凪は首を傾げる。その様子を見てか、悠里は補足するという感じに言葉を続けた。
「要するに、その黒フードの男の正体が、件の『ヴィジョンズ・セラー』っていう伝説なの」
「ものすごい信憑性の無い伝説だな、おい」
「ちなみに、当て字は『夢幻商人』なの」
「いや、聞いてないし」
いらんいらん、と手を振って話しを切りつつ、夕凪は溜息を吐いた。悠里はというと、そのジェスチャーを見なかったことにして勝手に話を続けている。
「夕方の、太陽が真っ赤になっている時間に人気の無い道を通る子どもの目の前に現れて、出会った子供に夢を叶えてくれるアイテムをくれるんだ、ていう話なの。同じクラスのあすかちゃんに聞いた話だから、間違いないと思うの」
「へー」
眼をキラキラと輝かせながら話す、まんま子どもな悠里の言葉に適当に相槌を打ちつつ、夕凪は納得する。要するに、『変な格好した人間=都市伝説的な存在』という風に絡めた、妄想気味の阿呆の見解が、悠里の『夢幻商人』だとかの話の大元らしい。
あすか、という少女の名も、かなりのオカルト大好き少女だと学校の噂で聞いたことがある。
「(ていうか、わざわざそんな限定的環境設定で現れるとか、RPGのイベントか、ってーの。てか、『太陽が真っ赤になっている時間』って、要するに夕暮れ時ってことか?)」
「ゆーちゃん、なんか言ってるん?」
「いやべつに」
いつのまにか悠里が疑りの眼でこちらを見上げていた。こういう独り言とか陰口などには敏感な性質だと、前に本人から聞いたことがあったなぁと思い出しつつ、彼女の視線から逃れる。
悠里はまだ訝しげに見ていたが、そろそろと表情を和らげ、話を続けた。
「でね。この話には続きがあってね」
「へぇへぇ」
「夢幻商人に遭遇した人は、その大半が行方不明になってしまうの」
「ふーん」
「何故かって言うとね。夢幻商人が渡してくれるアイテムっていうのには、それを使うための『資格』が必要で、その『資格』を手にするための課題をクリアする過程で、別の世界に行っちゃうらしいの」
「ふむふむ」
「んのー……、ゆーちゃん、適当に聞き流してない?」
「あぁ。その通りだ」
またも疑わしげな眼差しを向けてきた悠里に、夕凪はさらりと答える。その反応に膨れると思ったが、むしろ呆れたらしく悠里が溜息を吐くのを確認して、夕凪は口を開いた。
「だってお前な。そんなゲームみたいな設定だらけの噂話聞いて黄色い声上げる奴なんざ、今時小学生でもいないぜ」
「噂話じゃないの、都市伝説なの!」
「似たようなもんだろ?」
「噂話は信憑性がないけど、都市伝説は受け継がれている分、信憑性濃いんだよ!」
どこに焦点合わせたらそんな見解が生まれるんだ? と疑問に思ったが口には出さなかった。言い返すだけ無駄な気配のする話題は適当に流す性質なのだ。
その後も、悠里が「イタリアのネットのブログで体験者が」とか「四年前の少年行方不明事件が実はそれと」とか力説していたが、夕凪はそれらを適当に聞き流していた。
そうこうしているうちに、一行は十字路に到着した。ここに来ると、夕凪と悠里は左右に、文哉と由愛は前方の道へと分かれることになる。
「んじゃ、また明日、学校でなー」
悠里の趣味話から解放されることに心の中でほっ としつつ、夕凪は荷物のほとんど入っていない鞄を背負い直しながら皆に背を向けようとした。
すると、背後から文哉が呆れた声で、
「また明日なー、って。明日は補習休みだぞ。ユウ」
「え? あー……、そうだっけ?」
言われて記憶を掘り返してみると、確かにそんなことが夏休みの日程表に書かれていたような気がする。
夕凪はバツが悪そうに振り返ると、頬を指でポリポリと掻きながら、
「えーっと、あれだ。明日は一緒に遊ぼうぜ、という意味で言ったんだよ、あたしは」
「補習もねぇのにわざわざ『学校で』遊ぶのか?」
「そ、そこに意外性を持つというあたしの発想っ!」
「却下却下。そんなんするくらいなら、不破ん家行ってゲームやってた方がよっぽど有意義だってーの」
「(けっ、この引きこもりが)」
「引きこもりじゃねぇよ。つか聞こえてるし」
「黙れ雑兵が」
「だから雑兵じゃねぇべはぁっ!?」
空気を読めない阿呆を蹴り倒して地面に沈めると、夕凪は顔を上げ、「んじゃ、またなー」と二人の親友に陽気に別れの言葉を告げる。
彼女らに背を向けて駆け出そうとして、夕凪はふと西の方角を見た。
沈み始めた太陽が、空をどこまでも紅く染め上げていき、まるで上空を燃やしているように見える。
「(夕暮れ時に現れる黒づくめ、ねぇ……)」
そう呟いてから、夕凪は帰り道を駆けていった。




