日常 in 保健室
人名について
・藤柴悠里
・利賀文哉
・羽山由愛
どこからか、聴き慣れた鐘の音が響いてきた。
薄目を開けて周りを確認すると、自分が白一色のベッドに寝ているのに気づいた。どうやら保健室にいるようだった。
ふぅっ と息を吐きながら身体を起こし、体にかかっているシーツを除けようとして、ふと、右肩に重量を感じた。
そちらに目を向けると、茶髪に短いツインテールの小柄な少女が、夕凪の右腕にしがみつきながら寝ているのが確認できた。
「何をやっているんだ、悠里?」
あきれながら言葉を降りかけ、ついでに小さな頭を小突いてやる。が、あまり効果は無いらしく、少女――藤柴悠里は相も変わらずスースー と寝息を立てていた。
そういや、コイツは寝たら物理的に起こすのは不可能だったな…… ということを思い出し、やり場の無い脱力感を発散するため、悠里の頭をやさしく撫でた。やわらかい髪質が手に伝わり、なんとなく癒される。
と、ふいにベッドの周りを囲むカーテンの一角が開かれた。
そちらに目を向けると、知ってる人物がこちらを見て、何か言うところだった。
「……何をほんのり笑顔になってんだ? 気持ちわりいぞ」
「乙女の寝ている空間に断りも無く入り込んできて、開口一番がそれか? カラフル顔の二等兵」
「二等兵じゃねえし、そもそも、カラフル顔になったのはてめぇのせいだろうが」
言い返しながら、知った顔の人物――利賀文哉は、ベッドの脇に置いてある丸いすに腰掛ける。
「つか、なんで藤柴はここで寝てんだ?」
「あたしに聞くなよ。菊野の青チョーク、顔面に喰らったところで意識飛んだから、何にも覚えてないんだって」
菊野というのは、夕凪や文哉、就寝中の悠里の担任である。通称『殺人チョーカー』と呼ばれる菊野は、大学時代に左腕投手だったそうで、授業中に余所見や無駄話をする生徒をチョーク投げで黙らせるという、一昔前の漫画に出てきそうな若い教師だ。
噂では、市販のチョーク一箱(三六本入り)片手に、地元の不良集団を『更正』の名目で壊滅させ、彼らを野球チームに仕立て上げて甲子園を目指しただの目指さなかっただのというのがあり、結構有名な人となっている。
その噂に興味を持ち、何度か授業中に決闘(要するに授業妨害)を申し込みしているのだが、今のところ、最高回避回数は五回で、全弾回避して彼に敗北を認めさせた者は、夕凪を含め、未だいない。
その最高回避記録保持者のおかげでチョーク塗れの文哉は溜息を吐きつつ、ここに至るまでの状況説明を始める。
「あのあと、気絶したお前を藤柴が担いで保健室に連れて行こうとして、重量に耐え切れずに潰れそうになっていたのを、俺が手伝ったんだよ」
「なるほど、保健室に運ばせていただく命を一人でこなそうとする心の広き我が友人に、学校一の阿呆が恩着せがましく」
「言い方が悪すぎだ。なんか意味不明な感じに内容が危なくなってきとるし。なんでお前の中では俺の扱いがそんなにひどいんだよ」
「黙れ、カラフル顔の雑兵が」
「だから、カラフル顔になったのはお前のせいだし。つか雑兵って、なんかさっきよりランク下がってねえか?」
「気のせいだ。というか、いい加減顔洗ってこい」
しっしっ と手で追い払う仕草と共に放った夕凪の言葉に、利賀は渋々ながらも従い、カーテンの外へと出て行った。……思うが、ここに来るまでの過程で、何故ヤツは顔を洗おうとか思わない? 気に入ったのか、あのチョークまみれのスタイル。
そんなことが頭をよぎった時、彼女の膝の上に何かが乗っかった。
視線を下に落とすと、目をコシコシ擦っている小さな姫様が、ショボショボした目で夕凪を見上げていた。
「あーあ、面白い感じだったんのに~」
って起きてたんかい、このちびっ子は。
いきなり訳の分からない発言をかましながら膝の上にもたれかかった友人を見下ろしつつ、夕凪はそんなことを思う。とりあえず、返事代わりに彼女のほっぺをつまみ、横に引っ張ってみた。
「ふにゃぁ~」
……学校の保健室のベッドの上で、間の抜けた声を上げる少女の顔で遊ぶ。これが一女子中学生の麗しき夏の思い出に……、なるわけがない。
というか、なんだろう。この絵は、他人から見たらどう見えるのだろうか?
自分の顔で遊ばれているのに、いつまで経っても嫌がる素振りを見せず、逆に至福の笑みを浮かべる悠里を観察しながら思考を巡らせていると、またも無遠慮にカーテンが開けられた。
利賀のヤツ、もう帰ってきたのか? と思いながらそちらに顔を向けると、夕凪は自分の当てが外れたことを自覚した。
視線の先に、美女が立っていた。
身長は男子平均の利賀より少し低い程度。光を反射させるほどの白い肌と、細く、だが女性的な部分はそれなりに強調された体格。これぞ生粋の日本人だろうと思わせる、墨のように黒く、長い髪。年齢は同じはずなのに、夕凪の目には、彼女は少し大人びて見えていた。故に、夕凪は彼女を美『少女』ではなく美『女』と表現したのだ。
そんな彼女の、黒曜石のように黒く澄んだ瞳が夕凪の姿を捉え、次に範囲を拡大して、悠里を視界に収める。
夕凪の鼻先数ミリのところまで顔を近づけさせられ、頬をつねられている少女の姿を、確認する。
そうして、沈黙の数秒間が流れていった。
和風美女は何かを理解したようにこくり、と一回頷くと、
「お邪魔しました……」
楚々とした態度で頭を下げ、開かれたばかりのカーテンを閉めようとして、
その手を、夕凪はがしぃっ! と掴んで止めた。
「待てぃ」
「大丈夫……。私は何も見なかった……」
「見なかったことにしてくれ、ってんじゃなくて、誤解しないでくれ、って言いたいんだけど」
「大丈夫……。恋愛の形は人それぞれだから……」
何も大丈夫じゃねぇっ! と半ば絶叫しかけるが、和風美女は淡々と告げながらもカーテンを閉じようとしているため、叫ぶ余裕などなかった。夕凪は交渉の場を作ろうと、彼女の掴むカーテンを引き留める体勢に入る。
このまま彼女を放してしまえば『必見! あの燈村夕凪と藤柴悠里が保健室のベッドにて・・・』なんていう目も当てられぬニュースが出来てしまうだろう。言葉に間違いはないが、実情が歪められる事必須の字面になることは明白だ。
そして、もしそんなものが出来上がってしまった場合、長期休暇終了後には『燈村×藤柴、初体験ではどちらが攻めだったのか?』なんていう放送コード等に引っかかりそうなワードてんこ盛りの拡大スクープに成り果てるだろう。無論、そんなものが公表されたら、夕凪の学生生活は粉々に崩壊するだろう。……って、この内容は中学生に理解できるのか?
それはさておき、そんな危機的状況の回避のため、夕凪は孤軍奮闘しつつ、そういえば悠里の奴は何をしてるんだ? と思い、背後を振り返ると。
「なんでー? なんでほっぺふにふにやめるのー? 気持ちいんのにー」
……愛くるしいお子様が不満を言いつつ続きを求めていた。どうやら寝起きのせいで、今の未曾有の危機勃発の切羽詰った状況に、脳の処理能力が全然追いついていないのだろう。
あとでその頬引きちぎれるまでつねってやるから今は私を助けろ! と心の中で叫ぶが、ベッドの上のお姫様には届くはずも無い。
その様子を見ていた和風美女は、夕凪の目を見ながら、
「ほら、早く構ってあげに戻ってあげて……」
「要らない厚意をありがとう! でもそんな不燃物をあたしは求めていないっ!」
彼女の勧めをしっかり拒否しつつ、カーテン戦線を拮抗状態に固定しようと再度意思を固めた、そのとき。
「たーだいまーっと。……あれ、羽山? 来てたのか?」
唐突に、洗顔を済ませた阿呆が帰還した。
「あ、文哉君……」
「? 何してんの、お前ら?」
顔を洗ってさっぱりした利賀の疑問の声に、和風美女――羽山こと羽山由愛はそちらに意識を向けた。彼女の手からカーテンが放れ、
いきなりの動作に、咄嗟に対応できなかった夕凪は、思いっきりバランスを崩した。
「どわぁああっ!」
体勢を保とうとしたが、その努力も空しく、ビタンッ! というやたら痛い音を立てて勢いよく床に倒れた。顔面からフローリングの床にぶち当たり、壮絶な痛みが鼻を中心に広がる。
反動で涙目になりつつ顔を上げると、未だ寝ぼけ眼の悠里が「ゆーちゃん、顔真っ赤っかー」とやたら舌足らずな感想を呟き、由愛は突然の状況についていけずにポー……っとした顔で夕凪を見下ろし、利賀にいたっては「ぶっ!」と噴き出していた。
……とりあえずムカがいったので、うつ伏せの状態から華麗に体を滑らせ、利賀の足を引っ掻ける。同時に、その回転力を利用して緩やかに立て膝へ、さらに力の流れを巧みに操って、最終的に立ち上がることに成功する夕凪。そして入れ替わるように、乙女の羞恥を笑った阿呆は床に後頭部から着地、もとい墜落した。
ゴンッ という、鈍い音が室内に響き渡る。そして、それを掻き消すように、夕凪へおー! という感嘆の声と共に拍手が送られた。
夕凪は衣服についた汚れを払いながら、後ろで倒れている利賀を見下して、
「ったく。人の不幸を、しかも女子の不幸を笑うなんざ、万死に値するっつーの」
「………………」
「おい文哉、聞いてんのか?」
「………………」
「…………、文哉?」
返事が無い。返ってこない。
他の二人も異常に気づいたのか、拍手を止めて、利賀を見下ろす。そして、床に倒れた少年が白目を剥いたまま、ピクリとも動かないことに気づいた。
辺りが異様に静まりかえる。
室内にある時計の針の音だけが大きく響き、嫌な感覚と共に夕凪の額に汗が滲む。
「少し、やり過ぎだったのでは?」
首を傾げて告げられた悠里の一言に、夕凪ははっ と我に返ると、手近にあった花瓶を引っつかみ、活けられた花を引っこ抜いて由愛に押し付け、
「目を覚ませぇえええええええ!」
花瓶の中の水を、昇天しつつある利賀の顔にぶっ掛けた。
その後、少女たちの必死の救命活動により、一〇分後、利賀文哉はその体に魂を戻し、覚醒するに至ったのである。




